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第三話『眷属の忠誠心』

   第三話『眷属の忠誠心』


 俺は代々、侯爵家に仕える執事の家系の長男として生まれた。特に祖父はこの仕事に誇りを持っていた。

 ──いいか、ハチ。旦那様の喜びは私たちの喜び。旦那様と私たちは立場が違えど、目に見えない信頼で結ばれている。一度忠誠を誓ったなら、命に代えても守りなさい。

 幼い頃からそう言い聞かされ、俺自身も祖父に憧れ、祖父のように旦那様と強い絆で結ばれたいと思っていた。

 だが国が貧しくなるにつれ、裕福だった侯爵家は日が沈むように傾いていき、優しかった旦那様は最初の奥様を病気で亡くされてから、おかしくなっていった。

 生活は荒れ、メリッサお嬢様は気持ちを落ち着けるように、毎日亡き母と見た滝の絵を描いていた。

 そして継母を迎えてから、旦那様はいよいよおかしくなった。俺は旦那様と継母の寝室に呼ばれるようになり、夜通し相手をした。

 それでも俺は幸せだった。俺に気持ちが向いている限り、メリッサお嬢様を守れると信じていたからだ。

「ッツ……! 旦那様っ、もうっ許し──」

 かたっ……。

 ドアが開くわずかな音と差し込む光に俺の体は凍り付いた。顔をあげることも視線を動かすことさえ出来なかった。

 それからメリッサお嬢様は誰にも心を開かなくなった。父親を毛嫌いし、継母を蔑み、俺を──まるで気持ち悪いものを見るような目で見るようになり、二度と笑わなくなってしまった。

 俺の唯一の希望は断たれ、懐かないメリッサお嬢様に業を煮やした継母が魔女の嫌疑をかけ、それに反論した俺も同罪となった。

 それから俺の心には、大きな穴が空いている。

「──……夢か……」

 そよそよと青い風が吹き、黄色い菜の花を揺らしている。

 何をしていたんだったかと考え、追手から逃げるついでに素材を集める事になり、山を二つ越えたところだったのを思い出す。

「なんじゃ。また泣いておるのか」

「ルル……悪い。いい天気で寝てた」

「それで悪夢を見ていたら世話ないな」

 そう言って笑う。籠一杯に名前の分からない薬草を摘んでいるから、素材集めはうまくいったのだろう。

「儂も休憩じゃ」

 そう言って横に座り、俺が作っておいたフルーツサンドを頬張る。俺も起き上がり、同じようにフルーツサンドを口に運ぶ。

「ルル」

「ん?」

 ルルはもぐもぐと美味しそうに食べている。

「前に正式な眷属になるには命懸けって言ってたよな? どういう意味だ?」

「んぐっ! げほっ! いきなりその話か。やらないと言っただろ」

 さすがのルルもストレートにこの話題を持ち出されると戸惑うらしい。

「理由くらいちゃんと教えてくれてもいいだろ?」

「……失敗すれば儂に魔力を吸い取られて死ぬ。成功して強さを手に入れても、儂の言う事しか聞かん人形になる。そんなのつまらんじゃろ」

 この話は終わりだと言わんばかりに最後の一口を放り込む。

「そうか? 俺はアンタの人形にならなってもいいぜ」

 ルルは信じられないという顔で口をあんぐりと開ける。

「め、めったなことを言うなっ! 分かっているのか? 物言わぬ操り人形だぞっ!」

「でも強くなれる」

「ッツ……」

「それに、今だって俺はアンタの命令ならなんだって聞く。ダメか?」

「……どうしたんじゃハチ。よほど変な夢でも見たんじゃな」

 そう言って俺の額に手のひらを当ててくる。

「熱でもあるのかって、風邪ひかねーだろこの体」

「そうじゃが……」

 当惑しているルルの顔を覗き込む。

「ルル。アンタを守りたい」

「────」

 もうこれ以上、痛い思いをして欲しくない。だがルルは俺を睨む。

「勘違いするなハチ。儂は守られるほど弱くない。傍にいてくれるだけでいい」

「そんなこと分かってる。でもそれじゃ俺が納得でき──おいルルッ!」

「もうこの話は終わりじゃ。そろそろ移動するぞ」

 ルルは一体何が不満なのだろうか。言う事を聞く便利な眷属が手に入るというのに──。





 山をさらに一つ越えたあたりでルルが立ち止まる。

「この辺りにあるはずだが……」

「何か探しているのか?」

 すでにかなりの素材が集まっているというのに、ルルは水晶を見ながらしきりに方角を確認している。

「〝月の涙〟という花を聞いたことがあるか?」

 俺は首を横に振る。

「一年に一度だけ月明かりの夜に満開になる花じゃ。だが咲く場所が毎年バラバラで、こうして水晶を使っておおよその位置を予想して探す。運良く見つかれば万能薬の素材になる」

「万能薬?」

「毒、麻痺、眠り、混乱などケガ以外のすべてが治せると思えばいい」

「すげーな」

「エクソシストは手段を選ばんからな。しばらくは用心したい」

 確かに──とくにあのエリックとかいう男は何でもやりそうだ。

「運がいい。見つけたぞ」

 そういって開けた原っぱに到着した。

「見つけたって……これ?」

 まだ咲いていないとはいえ、蕾は茶色く、想像していたような美しい景色ではない。むしろ(わび)しいくらいだ。太陽が雲に隠れてしまったせいだろうか──。

「咲くとすれば一か月以内じゃ。咲かずに枯れてしまうことも多いが待つしかあるまい……」

 そう言いながらルルが結界を張る。

「寝泊まりでもするのか?」

「ああ」

「冗談だったんだが」

 そう答えるとルルが笑う。

「ようやく咲いても一時間で(しぼ)んでしまうからな。見逃すわけにはいかん」

「なるほど」

 ルルが張ってくれた結界の中に、今度は俺が雨風を凌ぐためのテントを張り、二人で一息つく。

「待っている間に顔料でも作ろう」

「ああ」

 顔料は水に溶くだけで絵の具になる。ルルにとっては絵を描くため、そして魔術を使うための必需品だ。

 ルルが麻袋から赤や青の鉱石を取り出し、まずは小さく砕いていく。

「ほい」

「任せろ」

 ルルが砕いた鉱石を受け取り、すり鉢で磨り潰していく。

 ふいに、ふっと甘くていい匂いが鼻をくすぐる。

「まだ蕾なのに、いい匂いがするんだな」

 言った瞬間、ルルの顔が強張る。

「──ハチ、今なんと」

「? 甘くていい匂いがするなって」

「……この花の蕾は無臭じゃ」

 相変わらず硬い表情のまま俺を見る。

「なんだよ。甘い匂いがしたらダメなのか?」

 俺は怪訝に思いながらもその匂いの元を辿(たど)る。

「これ、アンタから──?」

 耳の後ろに鼻先を近づけると特に強く感じた。

「触るなっ!」

「ぅぐッ!」

 言うなり乱暴に突き飛ばされ、せっかく張ったテントが派手に潰れ、俺は結界の外まで吹っ飛んでしまった。相変わらずとんでもない力だ。

「あ」

「そ、そこまで怒ることないだろっ!」

「す、すまんっ」

「…………」

 妙だ。普段のルルなら余裕で対応出来ているはずだ。俺はテントを張り直しながらルルの様子に気を配る。

「どうかしたのか?」

 ルルはどこか気落ちしているようだ。

「……繁殖期がくる」

「繁殖期?」

「……魔女には一年に一度繁殖期がくる。体が火照り、強い催淫効果のフェロモンを出す」

「それがこの匂い?」

 ルルが頷く。

「本格的に繁殖期に入れば抗えんほど強力になる。それは人間や眷属だけでなく野犬や魔物まで引き寄せる。まるで蟲毒(こどく)のようにまぐわい、誰の子かもわからん子を宿す」

「野犬や、魔物と……?」

 想像しかけてやめた。それはあまりにおぞましい気がしたからだ。

「ハチ、儂は結界を張って(こも)る。この花は任せたぞ」

「わかった」

 俺が頷くと、ルルは立ち上がって森の奥に向かう。だが何を思ったのかふいに立ち止まる。

「それと──儂のことは心配いらん。お主も結界には近づくな」

「……わかった」

 わざわざ念を押すなんてルルらしくない。そんな事を言われたら心配したくなるだろう。






 あれから一週間経った。ルルは無事だろうか。いや、あいつのことだから、ちゃんと結界を張って問題なく過ごしているはずだ。

 俺は月明かりの下、野犬の干し肉を噛みながら、まだ咲く気配のない花をぼんやりと眺める。

「儂のことは心配いらん……か」

 俺はルルに守りたいと伝えた。大切な花の番を任せてくれたのは嬉しいが、自分のことになるとルルは相変わらず一人で抱え込んでしまうようだ。

「不安なら毎日だって、そばにいてやるのに……」

 一時間で(しぼ)んでしまう花──逆に言えば一時間も咲くのだ。合間合間に様子を見に行くことはできる。だがきっと、ルルは弱っている自分を見られたくないだろう。そこまで考えて苦笑する。

「俺が頼りないだけか……」

 それがひどく苦しい──。






「ッツ……なんだ? これ……」

 ルルに留守番を任されてもうすぐ一か月が経とうとしている時だった。

 真っ赤に染まった満月がやけに大きく、野犬の遠吠えが不気味さに拍車をかける。

(なんだ? この匂いっ……)

 ルルのフェロモンに似ているがおそらく違う。もっと毒々しくて、嗅ぐと舌が痺れてくる。

(まずい……クラクラする。意識が──)

 もう一か月は経つ。咲くとすれば今日か明日だろうし、ルルも戻ってくる。この場を離れるわけにはいかないのに、気づいたら俺は見知らぬ小屋の前に立っていた。

「────!」

 俺は恐怖で動けなくなった。板壁(いたかべ)の隙間から見せつけられた光景は、想像していたものよりも、いや、この世のものとは思えないほどおぞましい。

 簡素な木造りのベッドがギシギシと激しく音を立て、中心に若い女(おそらく魔女だろう)がいて、そこに野犬と男が数人群がり、上も下もないほどにまぐわっている。

 まるで蟲毒(こどく)のようにとルルが言った通りだ。

「──ッ……」

 興奮しすぎた野犬が魔女の首筋を噛んだ次の瞬間、魔女がその野犬の首を()ね、滝のように滴る血をゴクゴクと飲み下す。

「ぅっ……」

 俺はこみ上げる吐き気を必死に飲み込んだ。

 魔力を吸い取っているのだろう、女に群がる男達の体もどんどんやせ細っていく。下からは精液を搾り取られ、上からは血を吸いつくされ、最後は枯れ木のようになって息絶えていく。だがその死骸はどこか幸福に満ちていて不気味だ。

 腹が一杯になったのか、女が体を起こし、満足げに舌なめずりをする。

 生き残っているのはでかい男一人だけだ。そいつは全身真っ黒い鎧に包まれていて、その顔も兜に覆われていて見えない。だが女はその男にうっとりと手を伸ばし、優しく抱きしめた。

 おそらくお気に入りの眷属なのだろう。あの男だけは殺さないようだ。

「……ねえ、さっきからずっと見てるけど、私が欲しくないの?」

「ッツ……!」

「私のフェロモンが効かないなんて、アナタ、何者?」

 俺は一目散に逃げた。近くに来られたら俺も抗えないだろう。肌で感じるあの魔女の魔力はルルよりも数段上だ。命がある限り吸いつくされるに違いない。






「ハアッ、ハッ……」

 俺はルルのフェロモンの匂いがしなくなるところまで逃げた。こうしている間にも花が咲いてしまうかもしれないが、あの魔女とルルを引き合わせるとまずい気がした。

「とりあえず、ここまで来れば大丈──ッ」

 だが目の前に突然さきほどのでかい男が現れ、俺を目掛けて斧を振りかざす。俺は対応しきれず、腹を切られて意識を失ってしまった。






「う……」

「気がついた? 私から逃げようなんて百万年早いわよ」

 可愛らしい少女の声にゾッとする。

「アンタ……さっきのっ」

 腹の傷は再生していたらしく、俺は思い切り飛び起きた。拘束されていないのはきっと、いつでも捕まえられる自信があるからだろう。

 ぅ……く、はあっ、はっ……

「ッツ!?」

 すぐそばの木の(うろ)から聞こえる声に俺は勢いよく振り向く。(うろ)の入り口は葉で隠されていて姿は見えないが、間違いなくルルの声だ。張られた結界の周りにはフェロモンに惹きつけられたたくさんの野犬が群がり、興奮状態のまま大木をガリガリと引っ掻いて揺らしている。

「ッツ! そいつの邪魔をするな」

 十匹はいたと思う。俺はすべて殺した。だが当然この結界の中には入れない。それでも無事が分かっただけ俺は少しほっとした。

「……やっぱりアナタその魔女の眷属なのね。でも意志がある。血を分け与えた段階……仮契約ってとこかしら」

 様子を見ていた魔女が俺に話しかけてくる。

「……だったら何だ」

「ふーん。随分変な二人組ねえ」

 魔女は首を傾げて結界の周りをゆっくりと歩き出す。そのすぐ傍には、先ほどのでかい男が無言のままついてまわる。

「私と同じ繁殖期なのに結界に閉じこもっちゃって。近くに男がいるのに求めようともしない。アナタにとってそれは生殺し同然……身も心も一つになりたい──そう感じてるんじゃなくて?」

「ッツ……」

「図星なのね」

 魔女の瞳がギラリと光る。

「かぁわいそぉ、私が正式に眷属にしてあげる♡」

 そう言って自分の子供をあやすように俺に抱きついてくる。見ず知らずの女の母性に俺は鳥肌が立つ。

「気持ち悪いんだよっ! 離れろっ!」

 自分でも信じられない力が出て、魔女が尻もちをついた。

「いった……仮契約の癖に(みさお)でも立ててるつもりなの? 生意気」

 そう言って男に顎で指示を出すと、あっという間に俺は地面に押し倒されてしまった。

「あ、ケガさせちゃダメよ。魔力が減っちゃうから」

「くそっ! 離せッ!」

 だがでかい男は魔女の言いつけ通りに動く。頭の上に陣取り、自分の足に俺の両腕を挟んで、こちらの上半身の動きを完全に封じた。

「ね、見せつけてあげましょう」

 ゆっくりと俺の胸元を撫でながら、腹の上に魔女が乗っかってくる。この女のフェロモンは本当に毒々しい──この距離で嗅ぐと舌だけでなく体まで痺れてくる。

「アンタ、いい趣味してんなッ──」

「ふふ。あと数十分もすれば繁殖期が終わって出てくる。どんな顔するのかしらね? 自分の男が他の魔女とやってるなんて──」

 濡れた舌が俺の首筋をくすぐる。と同時に俺を押さえつけている男の足にさらに力が入る。ミシミシと音が鳴り、ボキリと鈍い音がした。

「ッぐ、ぅ!……ッアンタ! 同じ魔女だろっ、なんでこんなことっ」

 正直、ルルがいない時に他の魔女と対峙することになるとは思わなかった。何をどうすればいいのか見当もつかない。

「ふふ、なんでかって?」

 女が不敵に笑う。

「魔女は自由で身勝手な生き物。他人のモノが欲しければ奪う。仮契約のままなのがいけないのよ」

 そう言って蛇のように俺の体をまさぐる。

「ッツ……やめろっ」

「さすがにこの距離だと体も正直になるみたいね」

 体が熱くて思うように力が入らない。その反応を楽しむように魔女がクスクスと笑う。

「……ぅっ!」

 このままではこの女の眷属にされてしまう。腕を折られる傷みと、無理矢理与えられる快感で意識が朦朧としてくる。だが俺が他の魔女の眷属になればルルは悲しむだろう。そんな気がする。それだけは避けたくて、俺は唇を噛み、なんとか耐える。

「ふふ、強情ね。そんなに自分の(あるじ)が恋しいの? でも残念。誰の眷属になろうと結果は一緒よ。自分の意志なんて持たないお人形さんになるんだから。そう……この子みたいに」

 そう言って男の兜の口元をカショッと上に上げ、俺の上で二人がキスを交わす。確かに男から能動的な意志は感じられない。だが、俺はそうは思わない。

「……く、ふはは」

「……何が可笑しいの?」

 魔女は怪訝そうに俺を見下ろす。

「人形人形って言うけど、アンタ、こいつの主人のくせに気づいてやれてないのか?」

 おそらくこの男がこの魔女の弱点だ。繁殖期に唯一生かして、今もそばに置いている忠実なこの女の眷属──。

「そいつ、さっきから俺を殺したがってるぜ」

「ッツ、何をバカな事──眷属になった奴に意志なんてないのよ?」

 ギリッと魔女が唇を噛みしめる。

「いいや、あるね。俺もずっと奴隷同然だったから分かる。どんなに主人の言いなりでも、その内側には眷属としてのプライドがある。その証拠に俺の腕はこいつの嫉妬でもう三回は折れられてる」

「ッツ、見せなさいっ!」

 男が少しだけ足の力を緩め、逃げられない程度に俺の腕の状態を見せる。あらぬ方向にバキバキに折れている腕を見て、魔女が青ざめる。

「どうして……ケガをさせるなと言ったはず……」

「ほら、な?」

 再生する度に折られてるから、俺の魔力はカツカツだ。どの道抵抗することなんて出来ない。ほとんどダメ元の時間稼ぎだったが、魔女は思いのほか取り乱す。

「ア、アナタに何が分かるのよ!? 魔女にとって眷属は駒! 普段は魔女を守るための盾になり繁殖期には相手をする、生まれてくる子供のために命を投げ出し、魔女の養分になるっ! 何の意志も持たない人形──人形なのよっ! うぅっ……っつ……」

 大粒の涙が俺の頬に落ちてくる。

「……アンタ……まさかこの男を」

 魔女はこの男を想っているのだと分かった時、魔女の瞳が鈍く光る。

「……気が変わったわ。魔女と眷属の本能に抗い続けるのは至難の業……アナタ達も、私達と同じにしてあげるっ!」

 魔女が手をかざすと男がすぐさまルルの張った結界を壊し始める。空気が揺れ、見えない壁が歪む。今にも崩れてしまいそうだ。

「やめろっ! くそ! 離せよっ!」

 だが今度は魔女に羽交い絞めにされてしまう。

「ふふ、楽しみね。男が欲しくてたまらないはずよ。すぐに一つになれるわ」

 耳元に吹き込まれ、ゾッとする。

「ふざけんなっ! 俺が良くてもあいつが望んでないっ!」

「魔力を吸い取られて死ぬかもしれないのに相手の心配? ますます気に入らないわね」

 魔女が唇を噛み、呼びつけた男にその血を飲ませる。

「さっさと壊しなさいっ!」


 ぐぉオ゛ォお゛ぉっ!


「なっ」

 明らかに男の物理攻撃の威力が上がった。あと数発も殴れば結界が壊れてしまうだろう。なんとかしないと──! 思うように動いてくれない体を奮い立たせるために俺は闇雲に暴れる。

「離せッ 離せよッ!!」

「!? ッツ、まだこんな力が──」

 俺は執事としての自分に誇りを持って生きてきた。そしてメリッサお嬢様を守れなかったあの日からずっと命懸けで守れるものを探していた。

 ルルは強くて優しい。どんな理不尽な目に遭っても飲み込んで前を向く。

 だから守ると誓った。

 見返りなんていらない、愛されなくてもいい──命なんてくれてやるから、俺に守れるだけの力をくれよっ!


 ドクンッ!


「!? ッ! 離れてっ!」

 魔女が男に叫び、自身も俺から距離を取る。

「ッツ──ッツ!」

 内側から沸き起こる尋常でないパワー──爪は伸び、鋭い牙が生え、筋肉が隆起して肉体が鋼のように頑丈になる。続けて耳や尻尾が生えた感覚がして五感が鋭くなったのが分かった。


 グ゛ル゛ル゛ル゛ルッ!


「ッツ……漆黒の人狼……信じられないっ!忠誠心だけで覚醒したっていうの?」

 魔女が警戒して後ずさりをする。


 グ゛ル゛ル゛ル゛ル……


 俺の頭の中はルルを守ることだけだ。自分が今どんな姿をしているのかなんて気にする余裕はない。ただ(みなぎ)る力に任せて魔女に襲い掛かる。だがすぐに男が割り込んできた。

「! ダメっ! 逃げてっ」

 そう言われて逃げる眷属はいないだろう。予想通り男はその素振りすら見せない。

 俺が勢いよくぶん殴ると、丸太のように重く感じていた男の体が風船のように軽く吹き飛んだ。そのままトドメを刺すため馬乗りになり、鋭い牙を見せつける。


 ガブッ!


 だが俺が噛みちぎったのは細い腕だった。

 グルル……?

「やめてっ……お願いっ……」

 魔女の声は弱々しい。涙を流し、眷属を庇う。

「残り一つなの……ドレイクの命はもう残り一つなのっ! 謝るからっ! もう意地悪しないからあっ!」

 だが眷属の性なのだろう。ドレイクと呼ばれた男は魔女を守ろうとその腕を振りほどき、俺に斧を向ける。俺はそれを片手で掴み、枝を折るようにボキリと折った。


 グル゛ル゛ル……


 俺は男にゆっくりと近づいていく。魔女を始末するにはやはりこの男を先に殺さなければならないようだ。

「いや……だめっ……」

 俺は再び口を開けて襲い掛かる。

「やめてえっ!」

「ハチ。やめろ」

 ビタリと俺の動きが止まる。

 有無を言わせない絶対的支配者の声に俺の心は震えた。

「言ったはずじゃ。もう殺すなと」

 繁殖期を終え、幾分やつれてはいるが精悍な顔つきのルルがそこにいた。

「ル、……ル……良かっ……た……無、事──」

 風船が萎むように力が一気に抜け、俺は何か柔らかいものの上に倒れ込む。たぶん、ルルの胸だろう。

「……体で支配するのは半人前のやること……心を従えてこそ本物の魔女──眉唾(まゆつば)ものだとばかり思っていたが、まさかこの目で拝めるとはな」

「アナタは……幻惑の魔女ルル……ッ」

「そういうお主は色欲の魔女ミスティーか」

 どういう事か説明してもらおうかと、地を這うようなルルの声に相手が息を呑むのが分かった。

 俺の意識はそこで途絶えた。






「ルル。アナタ本当に何も知らなかったの?色々魔女の事研究してるんでしょ?」

「くどい」

 どうやら蕾のままの花畑に戻り、焚火を囲んで俺のことを話しているようだ。

「俺にもちゃんと説明し──ッ痛ッ、ッツ!」

 体を起こすと頭が割れるように痛い。

「無理をするな。体に相当な負荷がかかったはずじゃ。命が減らなかったのが奇跡」

 確かに体の節々がとにかく痛い。ここのところ傷を負ってもすぐ治っていただけに長引く痛みは辛い。

 ルルの言葉に甘えて俺はゆっくりと仰向けになる。だがふいに目に入った赤い月に俺は少しゾッとする。

「で? 何が、どうなったんだよ……」

「簡単に言うと覚醒した。正式な眷属になったその先がさっきの状態じゃ。とんでもないパワーが出たじゃろう?」

「ああ。そこの魔女が、狼になったって……」

「ミスティーよ。五十年しか生きてないペーペー小娘魔女でぇす」

 そう言って舌を出し、ほっぺたに人差し指を当てる。

 おそらくルルに言われたのだろう。仲が良いのか悪いのか、魔女という生き物は本当によく分からない。ルルはルルでミスティーを完全に無視して話を進める。

「……前にも言ったが、魔女は代々、繁殖期に様々な雄と交尾する。その血が子に受け継がれ、眷属に渡される。(あるじ)を守るためにその血が目覚めることがある。それが覚醒じゃ」

「俺は……狼の血に目覚めたのか」

「ああ。眷属によって違うがな。犬、猫、熊、いろいろじゃ」

「そうか……」

 正直嬉しい。これで少しはルルの助けになれると内心喜ぶ俺の心を見透かし、ルルが言い含める。

「あまり多用するな。そもそもコントロールできんじゃろうが、長くは戦えんし、力尽きれば隙だらけになる。ほとんど自殺行為だぞ」

「分かったよ」

「ほんとにほんとーに困った時、大ピンチのいざという時だけだぞ!」

「分かったって」

 心配してくれているのだろうが、その言い方に思わず苦笑してしまう。

「……お熱いのね」

「俺達は」「儂らは」

 そんなんじゃないと綺麗に重なってしまい、ミスティーが呆れる。

「ああ、そ。まあどうでもいいけど。人形になるなんて知ってたら、私だってやらなかったわよ」

「アンタ、ドレイクって言ったか? やっぱりそいつのこと──」

「ええ、愛してる……こんな状態にしちゃって、きっと私を恨んでるんでしょうね……」

 そう言って悲し気に、隣に座る男の鎧を撫でる。おそらく、その頑丈な鎧は繁殖期に男を誤って殺さないためのものだろう。

「……俺はそうは思わない。さっきも言ったが、ドレイクも、アンタを大事に思ってるはずだ」

「ふ。眷属同士通じ合うってやつ? ありがとう。アナタ、優しいのね」

 そう言ってドレイクの肩に頭を預ける。

「でもやっぱり声が聞きたいわ……泣いたり笑ったり、けんかもしたい」

 ドレイクの命はあと一つだと言っていた。俺は痛む体を起こし、ドレイクに話しかける。

「おい、大事な女が悲しんでるぞ。抱きしめてやるくらい出来ないのか? 男を見せろ! ドレイクッ!」

「無駄よ。魔女の呪縛は強いのよ。必要最低限の命令しか聞かない……もう意志さえないわ」

「いいや、ある! さっきも見ただろ? 嫉妬で俺の腕を折ったのを──ドレイク、これを見ろ。俺がこんなに近くにいてもいいのか?」

 そう言ってミスティーの腰を抱き寄せて見せる。

「きゃ。大胆~♡」

 俺は結構真面目にやっているのだが、棒読みで恥ずかしがるミスティーを見てダメな予感しかしない。だが──

 う、ぅ……!

「!? 今、反応しなかったか?」

「した……気がする……」

 わずかだが、ドレイクの体が震えている。

 う、うぐぐっ……

「! 頑張れドレイクッ!」

「ドレイクッ! 私はここよ! 抱きしめてっ!」

「なんじゃこの茶番は」

 心底冷めた目でルルがため息をつく。

「ルル! お前も見てないで手伝えよっ!」

「はあー……色欲の魔女と言われるほどの女──さんざん嫉妬させてもうまくいかなかったんじゃろう?」

 やれやれと立ち上がるなり、ミスティーの背中を押してドレイクの胸にくっつける。

「きゃっ」

「そもそもちゃんと気持ちを伝えておるのか? 目を見て言ったのか?」

「え──」

 ミスティーの顔が見る見る赤くなる。

「ったく……色欲の魔女が聞いて呆れる。さっさと言ってみろ」

「だ、だって恥ずかしいじゃないっ! ドレイクにはもう意志がないのよっ! 私一人本気で言ったってバカみたいじゃないっ」

「ミスティー、ハチ(こやつ)に起きた奇跡を見たじゃろう? 魔女の呪いに勝つのは他でもないお主の気持ちかもしれんぞ?」

 茶番に付き合わされる儂の身にもなれとルルが(すご)むと、ミスティーは覚悟が決まったのか、真っ直ぐにドレイクを見つめる。

「そ、そうよね。もう残り一つの命だもん……ド、ドレイク……その、ここまでいろいろあったわね。その度に私を守ってくれて……眷属の(さが)って分かってるけど」

「さっさと言え」

「うるっさいわね! ロマンスとかないの!? このリアリストっ! 冷血魔女ッ!」

 その言葉にルルが腕組みをしたまま無言で中指を立てる。

「ムキーッ! ほんとムカつくっ!」

「おいおい、落ち着けよ二人とも」

 女同士というのはこういうものなのだろうか。俺にはよく分からない。なんとか俺が間に入って(なだ)めると、ようやく気を取り直したミスティーがドレイクの両肩に手を乗せる。

「あ、その──愛してるわ。ドレイク」

 だがドレイクは動かない。ミスティーもルルも最初から期待していなかったようで、元々白けていた空気がさらに少し白けただけだった。

「ま、まあ言えてスッキリしたかな」

 悲しそうに笑ってドレイクから離れたその時だった。


「──ッ!?」


 ドレイクが動いたのだ。力強い腕でミスティーを後ろから抱き締めている。

「ド、ドレイク?」

「…………」

 言葉はない。だがその腕はミスティーを捉えて離さない。

「嘘……信じられない……」

 ドレイクの腕にそっとミスティーが触れ、そこに大粒の涙が落ちていく。

「嬉しいっ……ねえ、今どんな顔して──」

 ミスティーがドレイクの腕の中で振り返った瞬間だった。


 ドスッ


「ッツ!」

 見覚えのある槍が二人を串刺しにした。サファイヤとルビーの華美な装飾──エクソシストの槍だ!

「え? 何? これ──?」

 ミスティーが状況を理解するより早く、俺達はほとんど同時に槍に飛び掛かる。

「くそっ! 折れねえ!」

「こっちもダメじゃ! 絵の具が弾かれるっ! 今までの槍と違うっ!」


 ガフッ!


 続けてドレイクが兜から大量に血を吐く。心臓は外れているようだが、残り一つの命が尽きるのは時間の問題だ。

「え……嘘、嘘でしょ? 最後の命なのよっ!? どうして? なんで……たった今、ようやく気持ちが通じたのにっ……」

 取り乱したミスティーが槍を抜こうと必死になる。俺も両手で掴み、全力で折ろうとする。

「どんだけ頑丈なんだよっ! ……うっ……」

 ふいに力が抜けていく。

「!? ハチッ! それ以上触るな! 魔力を吸われておる」

「な──」

 慌てて手を離してゾッとする。ゆっくりと、だが確実にミスティーとドレイクの体が枯れていっているのだ。

「何? 何なのこの槍! どうなってるのよっ!」

 おそらくミスティーは何か魔術を使っているのだろうが、槍は折れることなく二人の体を貫いたままだ。

「ミスティー! ぅ、くそっ!」

 再び槍を折ろうとするもビクともしない。それでも助けられるなら助けたい──

「くそっ! 折れろっ! 折れろよッ!」

 だが、残り(わず)かしかない魔力を槍に吸い取られ、地面に倒れ込んでしまった。

「触るなと言っておるじゃろうっ!」

「けどっ! やれるだけやらせてくれよっ!」

「ッツ……」

 俺がそう叫ぶとルルが拳を握る。

「……やむを得ん。ミスティーの胴体を裂いて槍から切り離す!」

 聞くがいなや俺がドレイクの斧を拾い上げると、ミスティーが焦る。

「待って! ドレイクは? 彼はどうなるの!? どうにか出来るのよね? ルル、アナタなら──」

「残念じゃが……そやつの命は残り一つ──同じように切り離して再生させるのは無理じゃ。命が足りん」

「そんな……」

 そう言っている間にも、ミスティーの体はどんどん細くなっていく。

「これ以上魔力を吸い取られれば、お主とて再生が間に合わん──ハチ、任せたぞ! 儂は急いで回復薬を作る!」

 俺は斧を振り上げ、ミスティーの胴体を狙う。だが──。

「〝ハチ、私を見て(ルック・アット・ミー)〟〝止まりなさい(&ストップ)〟」

「!? いかんっ! ハチ! ミスティーの目を見るなっ!」

 遅かった。俺の体は硬直し、まるで銅像のように動けなくなってしまった。

「ハチッ」

「ぅ……くっ」

「ふふ……〝アナタは私の虜(プリティー・ドール)〟は他の魔女の眷属だって操れる私の秘儀。すごいでしょ」

 そう言ってウィンクするが、ミスティーの体はすでに枯れ木に近く、痛々しくて見ていられない。

「ミスティーなぜじゃっ! その魔術は魔力消費が激しい! 再生できるかどうか、五分五分だぞっ!」

 ルルが回復薬を作るのを乱暴に止め、ミスティーに詰め寄る。

「ルル……アナタも分かってるでしょ。お願いだからこのままいかせて……」

 目に涙をたくさん浮かべ、ミスティーが幸せそうに微笑む。

「ッツ……傷は……いつか癒える──もっといい男にも出会える! ミスティー、頼むから生きてくれっ!」

 だがミスティーはゆっくりと首を横に振る。

「五十年……長かった。嫌になるくらい長かったの……」

 そうしてドレイクの首に両腕をまわす。

「ルル……二人きりにして。お願い──」

「ッツ……」

 ミスティーの想いは変わらない。ルルは回復薬を混ぜていたすり鉢を握りこみ、地面に叩きつける。

 それから行き場のない感情に震えながらパレットに手を伸ばした。


 ガサッ……


「……誰か来るわ。お別れね〝|逃げて。良い旅を《ランアウェイ&ボン・ヴォヤージュ》〟」

 瞬間、金縛りが解け、俺は地面に倒れ込んでしまう。だがすかさずルルが抱え、脱兎(だっと)のごとくその場を離れる。

「ルルっ──」

 俺は縋るようにルルを見る。

「ッ、分かっておる……これ以上、あの二人の邪魔はさせん……〝二人だけの世界(ラブ・ラブ・ラブ)〟」

 ピンク色の瘴気(しょうき)が二人を包み、俺達は大木の上へ身を潜めた。






 現れたのは二人。案の定、銀色に光る甲冑に身を包んだエクソシストだ。そして一人は兜で顔が見えなくても分かる。冷徹な空気とこれ見よがしに胸に付けているバッチの数々──。

(エリック──!)

「妙だな。ここに槍が落ちたはずだが」

 エリックがキョロキョロと辺りを見渡すが、すぐ近くにいる二人と槍には気づけないようだ。だがエクソシストの勘なのか、二人がいるところに近づいていく。

(まずいっ──!)

 触れられればさすがにバレてしまうだろう。

「……?」

 だがエリックの手のひらは二人の体をすり抜け、(ちゅう)を掴むだけで終わった。

(触れない?)

(〝二人だけの世界(ラブ・ラブ・ラブ)〟は想い合っている二人にしか使えん特殊結界じゃ。見ることも触ることも声を聞くことすらできん)

 結界を張った儂本人と儂の眷属であるお主以外はな、そうルルが小声で教えてくれる。そうか──二人の邪魔はもう誰にも出来ないのだ。

「エリック総隊長殿、別の場所を探しますか?」

「いや。手応えはあった。いったん戻るぞ」

「分かりました」

 エクソシストが去っていき、ミスティーの腕が弱々しくドレイクの肩を撫でる。

「冷血魔女のくせに、粋なことしてくれるじゃない……アナタもそう思うでしょ?」

 ドレイクは返事の代わりにミスティーを強く抱きしめる。黒い鎧が血に染まり、ミスティーの白い肌を伝っていく。

「ふふ……ねえドレイク……顔見せて……」

「ッ……」

 残り少ない命を燃やし、震える手でドレイクが兜を脱ぐ。男の顔は愛しい眼差しに溢れていた。

「ミス、ティー……」

 ドレイクが名前を呼び、ミスティーの瞳が大きく見開かれる。

「ああドレイク……ずっとアナタの声が聞きたかった……」

 ミスティーがうっとりと目を細めると大粒の涙が頬を撫でた。その様子にルルも切なげに眉を寄せる。

「……皮肉じゃな。死の間際、血と一緒に魔力が流れ出ることで魔女の呪縛が薄れるとは……」

「…………」

 俺は何も言えなかった。ただ二人の最期を見守った。

「ミスティー……ずっと、抱きしめ、たかった……他の男ともう、しないでくれ……」

 ドレイクがミスティーの頬に触れ、その涙を優しく拭う。ミスティーもその手に甘えるように頬ずりをし、自分の手を重ねた。

「あなたの気を引きたかったのよ、ドレイク……でも傷つけていたのね……気づかなくて、ごめんなさい──」

「ミスティー……愛してる」

「私もよ。ドレイク……」

 最期の力を振り絞り二つの唇が重なる。そしてゆっくりと砂になって散った。


 バキンッ!


「槍が……」

「砕けた……」

 魔力を吸いつくしたからだろうか──禍々(まがまが)しい槍が砕け散ったかと思えば、先ほどまでの瘴気(しょうき)が消え、冷静さを取り戻した月が銀色に輝き、その光で蕾が一気に開花する。

「……咲いた……」

 花の柱頭(ちゅうとう)は蛍のように優しく光り、花弁を柔らかく浮かび上がらせる。真珠のように光り輝く花畑は美しく、そして静かに二人の死を(いた)んでいるように感じた。

「綺麗だ……悲しいくらい……」

「……月の涙の花言葉は純血、純粋──アナタだけを永遠に愛す──」

 ルルがふわりと花畑に降り立ち、くるりと一回転する。するとルルの頭上に両手一杯の花が舞い上がり、まるでもう一つの月のように輝く。

 その下で両手を広げ、ギュッと絞るような動作をすると、花が圧縮され、ぽたりぽたりと蜜を零す。ルルはすかさずそれを小瓶に詰め、栓をした。

「……五回分か……全部刈り取るつもりじゃったが……そんな気分になれんのう。ったく、はた迷惑な小娘じゃ……」

 言葉とは裏腹に、ルルの声には元気がない。

 しばらくキラキラと輝く月と花畑を眺め、そこにゆっくりと腰を下ろす。俺も痛む体を何とか誤魔化しながらルルのそばに座った。

「幸せ……だったと思う。少なくとも俺は──」

 最期に気持ちが通じたのだ。俺なら何の悔いもない。

「そうか……お主がそう言うなら、そうなんじゃろう……」

 自分に言い聞かせるようにルルが言う。ルルはきっと寂しいのだろう。

 ミスティーとルルは何だかんだ言っても気の合う魔女友達だったように思う。この花を全部刈り取らないのは、せめてもの(はなむけ)に違いないのだ。

「ルル。俺は死なない様に頑張るよ」

 九つもあると思っていたが、九つしかないのだ。一つも無駄にしたくない。

「ふ。無茶ばかりする癖によく言う。結局、正式に儂の眷属になってしまったしのう」

 ため息を吐き、少し困ったように笑う。人形にしようがしまいが、早死にしそうな俺に手を焼いているようだ。

 だがそれよりも俺の耳は〝正式な〟に過剰反応する。

「! 正式!? 今そう言ったのかっ!?」

「ああ──それも己の意志を持ったままな。確認したければ他の魔女と契りを結ぼうとしてみるといい。本能的に舌を噛んで命を投げ出す」

 浮気は出来んぞとルルがにやりと笑う。

「ア、アンタはそれでいいのかよ」

「何がじゃ?」

「……その、許可なく勝手に眷属になったみたいなもんだろ? 押しかけ女房的な──」

 言った瞬間、ルルはぽかんと口をあけ、それから腹を抱えて笑い転げる。

「く、かかかっ! お主、ほんと骨の髄まで奴隷気質じゃなっ!」

「執事だ。奴隷言うな」

 むくれる俺にルルがすまんすまんと謝る。

「心配いらん。儂はお主をかなり気に入っておる。千年生きておるが、お主ほど変な男は初めてじゃ!」

 そう言ってまた笑う。

「そうか……良かった」

 ほっと一息つく俺にルルも穏やかな表情になる。

「……むしろ儂の方こそ安心した。普通は魔女の血に抗えず、やりたい気持ちだけが先行するんじゃが、そこまで言うお主はホントに儂の眷属になりたかったんじゃな」

 そう言って目を細める。

「ルル……」

 ルルも、眷属になるなら心から望んで欲しいと思ってくれていたのだ。じんわりと胸に温かいものが広がる。

「……これからはもっと……その、遠慮なく頼れよ」

 そう言うとルルが苦笑する。

「迷惑をかけたくなかったんじゃが……お主が野犬を始末してくれた時、儂は嬉しかった」

「……あんなんでいいのかよ」

「ああ……心配されるのも悪くない」

 少し揶揄うように、ルルがニンマリと笑う。

「そうかよ」

 俺はぶっきら棒にそう言って横を向く。思いのほかルルに自分の気持ちが届いていると分かって嬉しい反面、少し気恥ずかしくなってしまった。


 お熱いのね──


 ミスティーがここにいたらきっとまた惚気(のろけ)ていると思われるだろう。だが俺はこれ以上何も望まない。大きな月を見ながら静かな心でそう思った。

「……俺さ、月って苦手だったんだ。空にでっかい穴が()いてるみたいでさ」

「ほう?」

「でも不思議だな。今日は()いていた穴を月が埋めてくれているように感じる」

 満ちる……俺の心の穴も──。

「ふ、お月見にも最高じゃな」

 そう言っていつの間に()いだのか、ワイングラスを俺に差し出す。

「月の涙から作った年代物の白ワインじゃ」

「あっま……!」

 蜂蜜より甘く、ごくりと飲むと体が焼けるように熱くなる。だが試しに干し肉と一緒に食べると、信じられないほどうまい。

「ぴったりじゃろう? あの二人に」

「ああ……飲み過ぎると胸やけしそうだ」

 銀色に輝く景色に、俺達はグラスを傾ける。

「「ミスティーとドレイクの愛に」」

 献杯(けんぱい)──。

 ほどなく、月の涙はハラハラと花弁を散らせ、風に舞って消えた──。

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