第84話 違和感の重さ
リネアは、いつもの詰所で書類を閉じた。
量は、変わらない。
内容も、特別じゃない。
それでも――
今日の紙は、やけに重かった。
「……数字は、普通なんだけどね」
誰に向けた言葉でもなく、呟く。
依頼件数。
調査報告。
採集記録。
どれも、基準値の範囲内。
それなのに。
「……達成感が、ない」
⸻
外に出ると、街はいつも通りだった。
人が歩き、
商人が声を張り、
子どもが走り回る。
でも、
リネアの目には、少し違って見える。
「……待ってない」
ふと、そう思った。
誰も、次を期待していない。
悪い意味じゃない。
ただ――
“今で十分”と思っている空気。
⸻
市場の一角で、
顔見知りの職人が声をかけてくる。
「最近、依頼減ったな」
「困ってないけどさ」
「……何て言うか」
言葉を探す仕草。
「……焦らないんだよな」
リネアは、
その言葉を胸に留めた。
「……そうですね」
否定も、肯定もしない。
⸻
詰所に戻る途中、
リネアは立ち止まった。
石畳の隙間から、
雑草が伸びている。
誰も踏まない。
誰も抜かない。
「……前は、気になったのに」
今は、
ただ“在る”。
⸻
その夜。
リネアは、簡単な報告をまとめた。
大した事件はない。
危険も、緊急性もない。
でも、
最後に一文だけ付け足す。
最近、
人も街も、
「先」を見ていない気がします。
それだけ。
⸻
エレノアは、
その報告を読み、すぐに閉じた。
「……ありがとう」
ネファル=ディアが、低く言う。
(現場の感覚だな)
「……はい」
「数字じゃ、分からない違和感です」
⸻
エレノアは、窓の外を見る。
街は平和だ。
混乱も、恐怖もない。
それでも――
このままでいい、という空気が、
じわじわと広がっている。
「……休ませた、だけじゃ」
言葉を、途中で止める。
まだ、決めない。
まだ、呼ばない。
⸻
遠い現実の世界で。
しおりは、
仕事の帰り道、ふと足を止めた。
理由は、分からない。
ただ、
「このままでいいのかな」と
思ってしまった。
不安ではない。
不満でもない。
立ち止まりたくなる感覚。
「……でも」
しおりは、歩き出す。
「……今日は、これでいい」
そう言って、
前を見る。
⸻
世界は、壊れていない。
ただ、
“次へ行く力”を、少し休ませすぎている。
それが、
静かな天変地異の正体だった。
そして――
それに気づいた人間は、まだ少ない。




