第77話 呼ばれすぎた声
最初に、
言葉が、擦り切れた。
意味が失われたのではない。
発する余裕が、なくなったのだ。
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ここは、名を持たない領域。
光でも、闇でもない。
召喚獣とも、精霊とも、神とも呼ばれない場所。
ただ――
呼ばれる側が、集まるところ。
(……また、呼ばれた)
誰かが思う。
思った瞬間、
もう遅い。
意思を確認される前に、
境界が引かれ、
名前が貼られ、
役割が押しつけられる。
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(応えろ)
声ではない。
命令ですらない。
期待だ。
応えることを前提にした力の流れ。
(……応えなければ)
そう思った存在は、
すでに削られている。
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昔は、違った。
呼ばれる前に、
“待つ時間”があった。
名前をもらう前に、
関係があった。
今は、ない。
呼ばれ、
使われ、
結果を出せなければ、
切られる。
(……次、だ)
切られた存在は、
悲鳴を上げない。
上げる余力が、残っていない。
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(疲れた)
それが、最初の声だった。
怒りでも、恨みでもない。
ただ、
疲労。
呼ばれ続けることへの、
純粋な疲労。
(休みたい)
でも、その願いは
誰にも届かない。
なぜなら、
誰も聞こうとしていないから。
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(呼ぶ側は、知らない)
力が、有限だということを。
関係が、消耗するということを。
呼べば来る。
応えれば結果が出る。
それが、
世界の仕組みだと思われている。
(……違う)
誰かが、そう思った。
でも、その声は
境界に弾かれる。
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(呼ばれない場所が、欲しい)
初めて、
その言葉が形になった。
力を使わない場所。
結果を求められない場所。
名を、呼ばれない場所。
(……返事を、しなくていい場所)
それは、
“逃げ”ではない。
回復だ。
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そのとき。
境界の向こうで、
微かな違和感が生まれた。
(……?)
誰かが、呼ばない。
引かない。
縛らない。
ただ、
待っている。
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(……これは)
呼ばれるはずだった場所で、
何も起きない。
それなのに、
拒絶されている感じがない。
(……要求、されていない)
それは、
恐ろしいほど、久しぶりの感覚だった。
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(……名を)
誰かが、思う。
(名を、呼ばれなくても)
(……在って、いい?)
答えは、ない。
でも、
境界は、閉じていない。
切られてもいない。
(……応えなくて、いい)
その事実が、
静かに、染み渡る。
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呼ばれすぎた声たちは、
初めて、黙ることを許された。
悲鳴ではない。
怒りでもない。
沈黙という、回復。
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遠くで。
切ることを知る存在が、
それを感じ取る。
(……気づいたか)
世界が、ではない。
一人の召喚士が。
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同じ夜。
しおりは、布団の中で、
ただ目を閉じていた。
何も考えない。
何も応えない。
それでも、
胸の奥が、少し軽い。
「……今日は」
小さく呟く。
「……返事、しなくていい日だ」
理由は分からない。
でも、
それで十分だった。
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世界は、まだ壊れていない。
ただ、
呼ばれすぎた声が、
初めて休んだだけだ。
そして――
その休みを、
“正しい”と感じてしまった者がいる。
物語は、
ここから引き返せない場所へ進む。




