第74話 それでも切らなかった
現地に着いた瞬間、
エレノアは悟った。
(……遅い)
空気が、張りつめている。
人の声が、少ない。
そして――
迷いが、残っていない。
「……もう、終わらせた後ですね」
同行していた調査屋が、苦い顔で頷く。
「高位召喚士が来た」
「……切った」
エレノアの足が、止まる。
⸻
現場は、小さな集落だった。
被害は、最小限。
倒壊も、犠牲もない。
その代わり――
何も、残っていない。
召喚痕。
精霊反応。
支えの名残。
すべて、綺麗に消えていた。
「……迅速ですね」
声が、わずかに掠れる。
調査屋は、目を伏せた。
「助かった、と言う人もいる」
「正直……否定は出来ない」
その言葉が、
胸に、静かに刺さる。
⸻
エレノアは、
集落の中央に立つ。
境界は、閉じている。
応えは、返らない。
(……ここには)
(もう、居ない)
ネファル=ディアの声が、
低く響く。
「……はい」
(完全に、切ったな)
「……はい」
沈黙。
誰も責めない。
誰も間違っていない。
それが、
一番、苦しかった。
⸻
「……何か、残せませんか」
エレノアは、
それでも言った。
「記録でも」
「補助でも」
調査屋は、首を横に振る。
「意味がない」
「切った以上、再接続は出来ない」
「……そう、ですか」
言葉が、少ない。
でも、
心は、荒れていない。
荒れる余地すら、
与えられていない。
⸻
その時。
集落の端で、
一人の老人が、こちらを見ていた。
エレノアは、歩み寄る。
「……何か、気になることはありますか」
老人は、しばらく黙っていた。
やがて、
ぽつりと呟く。
「……静かすぎる」
エレノアは、息を止めた。
「助かった」
「怖いものはいなくなった」
「でも……」
「“応えてくれる感じ”も、消えた」
それは、
誰も記録に残さない感覚。
でも、
確かに、そこにあったもの。
⸻
エレノアは、深く息を吸う。
「……切る、という選択は」
「正しかったのだと思います」
老人は、驚いた顔をした。
「……でも」
エレノアは、続ける。
「それでも」
「全部が、解決したわけではありません」
「静かになっただけです」
その言葉に、
老人は、ゆっくり頷いた。
「……分かるよ」
⸻
境界の向こうで、
ネファル=ディアが、低く言う。
(ここでは)
(お前の在り方は、通じぬ)
「……はい」
(それでも)
一拍。
(それでも、か)
エレノアは、
視線を上げた。
「……それでも」
「私は、切らない側でいたいです」
(結果が出ずとも)
「はい」
(救えぬ者が、出ても)
「……はい」
(それでも、か)
「それでも、です」
⸻
その答えは、
強がりではなかった。
諦めでもない。
選び続ける、という事実だった。
⸻
帰り道。
夕暮れの空を見上げながら、
エレノアは思う。
(……切る人が、必要な時もある)
(でも)
(切らない人が、いなくなると)
(……世界は、少しずつ)
(誰も振り返らなくなる)
それが、
今日、はっきり分かった。
⸻
遠い場所で。
しおりは、仕事帰り、
ふと立ち止まって空を見た。
理由はない。
ただ、
胸の奥が、少しだけ締めつけられる。
「……誰かが」
「選べなかった気がする」
それが誰かは、分からない。
でも、
しおりは、足を止めなかった。
歩き続ける。
それが、
今の自分に出来る、
唯一の“切らない”選択だった。




