第八話 木が、場所を覚える
木工師ギルドは、フィオラの南側にあった。
大きな音がするわけでもなく、
派手な看板があるわけでもない。
ただ、通りに沿って、木の匂いが流れている。
「……ここ、落ち着きますね」
エレノアがそう言うと、
ミラはちょっと意外そうな顔をした。
「分かる?
私、最初は木くずだらけで苦手だったんだけどさ」
扉を押すと、
中は思ったより静かだった。
木槌の乾いた音。
鋸が木を引く、一定のリズム。
誰も急いでいない。
「……いらっしゃい」
奥の作業台から、低い声がした。
年上の男性だった。
派手さはないが、姿勢がいい。
手元の動きが、無駄なく静か。
「……何を作りたい?」
挨拶より先に、そう聞かれる。
エレノアは、少しだけ考えてから答えた。
「……畑に、置くものを」
「畑?」
木工師は、初めて顔を上げた。
「柵か?」
「……いえ。
囲う、というより……
“留める”ものです」
言葉を選んだつもりだったが、
自分でも曖昧だと思った。
木工師は、しばらく黙ってエレノアを見ていた。
視線は厳しいが、嫌な感じはしない。
「……それは、
使われるための木じゃないな」
「……はい」
「壊れないため?」
「……はい」
短いやり取り。
でも、通じている感覚があった。
木工師は、作業台の端に積まれた木材を指した。
「これは、
川沿いで倒れた木だ。
水を知ってる」
次に、別の材。
「これは、
風の強い丘の木。
揺れるのに慣れてる」
最後に、小さめの角材を一つ。
「……これがいい」
「理由は……?」
エレノアが聞くと、
木工師は少しだけ口角を上げた。
「主張しない。
でも、折れない」
その言葉が、胸にすっと入った。
作業は早かった。
削りすぎない。
形を整えすぎない。
ただ、地に立つための形。
「……杭、ですね」
エレノアが言うと、
木工師は頷いた。
「名も無い杭だ。
だが、
場所は覚える」
完成した杭は、
派手でも、美しくもない。
でも――
触れると、安心する。
「……ありがとうございます」
エレノアがそう言うと、
木工師は手を止めずに言った。
「礼はいらん。
結果を見せろ」
ギルドを出ると、
昼の光が少し強くなっていた。
「渋い人だったねー」
ミラが笑う。
「……でも、
すごく、分かってる感じがしました」
「うん。
あの人、
“使われなかった木”の方が好きだから」
畑へ向かう道。
エレノアは、杭を両手で抱えて歩いた。
昨日より、
畑の空気は少しだけ軽い。
エレノアは、
土の状態を見ながら、
杭を立てる場所を選んだ。
中央ではない。
端でもない。
「……ここ」
ゆっくりと、
杭を地面に差し込む。
叩かない。
押し込まない。
ただ、
置く。
その瞬間だった。
――とん。
音ではない。
感覚だ。
何かが、
そこに“収まった”。
ミラが、思わず息を止める。
「……今、
なんか……」
「……はい」
エレノアも、感じていた。
影の気配が、
畑の中で、はっきりと形を取る。
昨日より、
確かに。
「……まだ、呼ばない」
エレノアは、小さく呟いた。
名は、まだ。
でも――
「……ここに、いていい」
そう伝えると、
影は、ゆっくりと杭の周囲に留まった。
消えない。
暴れない。
ただ、
在る。
「……すごいね」
ミラが、素直に言った。
「……まだ、途中です」
エレノアは、杭を見る。
でも、
途中だからこそ、分かる。
――これは、
――“始まりの形”。
影が、
初めて、はっきりとエレノアを見た。
言葉はない。
でも、そこにある意思は、確かだった。
名は、まだ無い。
けれど、
呼ばれる準備は、始まっている。
(つづく)




