第67話 一人で考えないという選択
朝の工房は、いつもより静かだった。
炉に火を入れ、
薬瓶を並べ、
素材を確認する。
指は動いているのに、
思考が、同じ場所を回っている。
(……余白)
港。
山。
街道。
どれも別の土地で、
別の問題のはずなのに、
感触だけが似ていた。
「……世界が、下手になってる」
独り言のように呟いて、
エレノアは自分で眉をひそめた。
表現として、
正確じゃない。
でも、
一番近い。
⸻
昼前、
工房の扉が叩かれた。
「開いてる?」
リネアの声だった。
「はい」
入ってきたリネアは、
手に数枚の紙束を持っている。
「報告、まとめた」
「……正直、嫌な感じ」
エレノアは、頷いた。
「私も、同じ感想です」
机に広げられた報告は、
どれも“致命的ではない”。
でも――
積み重なると困る類のものばかりだった。
「ねえ」
リネアが言う。
「あんた、これ」
「全部、自分のせいだと思ってない?」
エレノアは、即答できなかった。
思っていない。
でも、
無関係だとも言えない。
「……選択の、結果ではあります」
慎重に選んだ言葉だった。
リネアは、ため息をつく。
「そう言うと思った」
⸻
「でもね」
リネアは、机に腰を預ける。
「これは“あんた一人で背負う話”じゃない」
エレノアは、顔を上げる。
「……切ったのは、私です」
「切った“判断”はね」
リネアは続ける。
「でも、世界がそれにどう反応するかは」
「一人じゃ測れない」
その言葉が、
胸に残った。
(……測れない)
今までの自分は、
“測れる範囲”で動いていた。
だから、
一人で完結させようとしていた。
でも今は――
範囲が、明らかに広がっている。
⸻
「……相談、するべきですね」
エレノアは、静かに言った。
リネアは、少しだけ目を見開く。
「へえ」
「言うようになったじゃない」
「……一人で考えると」
「答えが、同じところに戻ります」
それは、
認めるのに勇気がいる言葉だった。
でも、
言ってしまうと、少し楽だった。
「それでいい」
リネアは、頷く。
「人を集めなさい」
「専門が違う人間を」
「召喚士だけじゃなく」
「調査屋、職人、採集者」
「……ミラにも、声をかけます」
その名前が出て、
リネアは少し笑った。
「園芸師見習い、だったわね」
「今は……」
「もう少し、進んでいると思います」
エレノアは、
彼女の顔を思い浮かべた。
遠くにいても、
消えてはいない人。
⸻
境界の向こうで、
ネファル=ディアが低く言う。
(選択だな)
「……はい」
(切るか)
(繋ぐか)
エレノアは、少し考えた。
「……繋ぎます」
切ることで守った。
今度は、
繋ぐことで、持たせる。
同じ方法は使えない。
でも、
同じ目的なら、選び直せる。
(それは)
(弱さではない)
「……分かっています」
エレノアは、
深く息を吸った。
⸻
その夜。
しおりは、机に向かっていた。
やるべきことの記録。
引き継ぐためのメモ。
次の予定の整理。
いつも通りの作業。
でも、
今日は、途中でペンが止まった。
「……一人でやらなくても、いいのかも」
誰に言うでもなく、
そう呟く。
理由は分からない。
でも、
不思議と、怖くなかった。
⸻
遠い世界で。
同じ夜に、
同じ結論に辿り着いた二人がいる。
会ったこともない。
言葉を交わしたこともない。
それでも、
一人で抱えないという選択だけが、
静かに重なっていた。




