第65話 話してしまったこと
夕方の空は、少しだけ赤かった。
詰所の窓から差し込む光が、
机の上の地図を照らしている。
エレノアは、地図を畳まずに置いたまま、
その前に立っていた。
印は、減っていない。
むしろ、
増えたように見える。
異変が、ではない。
選択の重さが。
「……入るわよ」
ノックもなく、
リネアの声。
エレノアは振り返る。
「お帰りなさい」
「……顔、硬いわね」
リネアは外套を脱ぎ、
椅子に腰掛けた。
「どこ行ってた?」
エレノアは、少しだけ間を置いた。
言うか、言わないか。
迷いが、胸をよぎる。
――でも。
「……旧採掘跡です」
「……一人で?」
「はい」
リネアの眉が、わずかに動く。
責める気配はない。
ただ、聞いている。
それが、
エレノアには分かった。
⸻
「異変は……止まりました」
「“は”?」
「はい」
「でも……」
エレノアは、指先を握る。
「観測が、出来なくなりました」
その一言で、
リネアは理解した。
「……刻印、消えたのね」
「はい」
声が、少し低くなる。
「選びました」
「止めることを、優先して」
「慎重じゃなかったです」
言い切ったあと、
胸が少し苦しくなる。
リネアは、ため息をついた。
「……止めたなら、被害は?」
「今のところ、ありません」
「なら――」
「でも」
エレノアは、言葉を重ねる。
「次に何か起きても」
「気づけないかもしれません」
「追えない」
「戻れない」
その“戻れない”が、
自分でも思った以上に重かった。
⸻
リネアは、しばらく黙っていた。
やがて、
机に肘をつき、言う。
「……あんた、珍しいわね」
「え?」
「自分の判断を」
「“失敗かもしれない”って言うの」
エレノアは、少し困ったように笑った。
「……そうですか」
「そうよ」
リネアは、はっきり言う。
「大抵の人はね」
「成功か失敗か、どっちかに決めたがる」
「でもあんたは」
「“両方ある”って顔してる」
エレノアは、目を伏せる。
「……正解だった、とは思ってません」
「でも」
「やらなかった後悔も、出来なかったと思います」
リネアは、ふっと息を吐く。
「それでいい」
「……え?」
「それが、選んだ人の責任よ」
責める声じゃない。
諭す声でもない。
ただ、
現実を受け取る声。
⸻
「一つ、聞くわ」
リネアは続ける。
「次も、同じ状況だったら」
エレノアは、すぐに答えられなかった。
沈黙。
やがて、
ゆっくりと言う。
「……立ち止まります」
「今日は、立ち止まれませんでした」
「でも、次は」
「一呼吸、置きます」
リネアは、満足そうに頷いた。
「なら、上出来」
「え……?」
「失敗しない人はいない」
「でもね」
リネアは、エレノアを見る。
「話せる人は、折れにくい」
その言葉が、
胸に、静かに落ちた。
⸻
詰所を出ると、
夜の気配が近づいていた。
エレノアは、歩きながら思う。
(……話してしまった)
今までなら、
胸の内にしまっていた。
正解かどうか分からない判断。
代償を伴う選択。
それを、
言葉にして渡した。
境界の向こうで、
ネファル=ディアが、静かに言う。
(軽くなったな)
「……はい」
(その分)
(背負う覚悟も、増えた)
「……それも、分かります」
エレノアは、夜空を見上げる。
星は、まだ少ない。
でも、
見えなくなったわけじゃない。
「……一人じゃないですね」
小さく、そう言った。
ネファル=ディアは、答えない。
でも、
否定もしなかった。




