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戦わない召喚士エレノアの異世界記録 ――名を受け取り、世界に触れる  作者: ぷにゅん


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第58話 まだ、知らない場所で

――夜だった。


海に面した町で、

潮の音が、止まっていた。


波はある。

風もある。


それなのに、

海だけが、動いていない。


漁師の男は、船の上で立ち尽くしていた。


「……おい」


声をかけても、

仲間は返事をしない。


船縁に身を乗り出し、

水面を覗き込んでいる。


「何を――」


男は、言葉を失った。


海面の下で、

何かが“張りついて”いた。


水そのものが、

引き伸ばされた膜のように固まり、

潮の流れを拒んでいる。


「……呼んだのか」


震える声。


若い召喚士が、甲板に膝をついていた。


「ただ……潮を静めてほしかっただけだ」

「嵐の前で……一度だけ……」


一度だけ。


その言葉に、

海が、微かに軋んだ。


水面の奥で、

青白い光が揺れる。


精霊だ。

水精霊。


だが、

それは“姿を保っていなかった”。


流れになれず、

留まることも出来ず、

ただ――

役割だけを残して縛られている。


「戻れ……戻ってくれ」


召喚士が叫ぶ。


だが、応答はない。


水精霊は、

“鎮める”ことをやめられない。


潮を止め、

海を止め、

やがて――

町そのものを、窒息させ始めていた。


「切れ!」


誰かが叫んだ。


剣が振るわれ、

魔法が叩き込まれる。


光が散り、

水が弾ける。


だが、

切るたびに、海は重くなった。


悲鳴は、上がらない。


怒りも、ない。


ただ、

長く呼ばれ続けた結果の疲弊が、

水の奥で膨れ上がっていく。


――同じ夜。


山岳地帯では、

岩壁が、音もなく崩れ始めていた。


地霊は、暴れていない。


怒ってもいない。


ただ、

支えることを、やめただけだった。


「……もう、無理だ」


地面に刻まれた召喚陣の前で、

年老いた召喚士が呟く。


「何百年も……」

「呼ばれて、呼ばれて……」


その言葉を最後に、

地霊の気配は、薄れていく。


山は崩れ、

道は断たれ、

村は孤立する。


誰も、

“敵”を見ていない。


それでも、

世界は壊れていく。


――さらに別の場所。


戦場跡。


呼ばれたまま帰れなかった存在たちが、

名もなく、形もなく、

夜の空気に滲んでいた。


斬れば消える。

だが、

消した分だけ、

別の場所で何かが歪む。


世界は、

限界を迎えつつあった。



朝。


エレノアは、工房で瓶を並べていた。


昨日、村で得た土のデータ。

匂い。

手触り。

根の張り方。


「……やっぱり、似てますね」


まだ、

“世界規模”だとは知らない。


でも、

違和感が点ではなく、

線になり始めていることだけは、分かる。


そこへ、

扉がノックされた。


「エレノア」


リネアだった。


今日は珍しく、

表情が硬い。


「……ちょっと、時間いい?」


「はい」


リネアは工房に入り、

扉を閉める。


「各地で、同じ報告が上がってる」


エレノアの手が、止まる。


「召喚が暴走?」

「それとも……」


「どっちでもない」


リネアは、低く言った。


「召喚が、疲れてる」


その言葉に、

エレノアは静かに息を吸った。


「……やっぱり」


「海が止まった」

「山が崩れた」

「戦場跡で、呼ばれ続けた気配が溜まってる」


「高ランクの冒険者が動いてる」

「でも――倒せない」


エレノアは、目を伏せる。


(始まってしまった)


リネアは、少し間を置いて続けた。


「ちなみに」

「ミラは今、北の採集地に出てる」


エレノアは、顔を上げる。


「……そうなんですね」


「連絡は取れてる」

「向こうでも、植物の異変を調べてるらしい」


それで、腑に落ちた。


それぞれの場所で、同じ異変を見ている。


リネアは、エレノアを見る。


「……あなた、どうする?」


エレノアは、少し考えてから答えた。


「全部は、見られません」

「でも……」


指先を、胸に当てる。


「聞こえてしまった場所は」

「放っておけません」


リネアは、苦笑した。


「だと思った」


「無理はしないで、とは言わない」

「その代わり――」


地図を広げる。


「一人で抱えないで」


エレノアは、静かに頷いた。


境界の向こうで、

ネファル=ディアが、わずかに気配を強める。


世界は、

もう個別対応の段階を越えている。


それでも。


エレノアは、立ち上がった。


「……行きましょう」


まだ、

すべては知らない。


けれど――

世界が悲鳴を上げていることだけは、確かだった。


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