第55話 おかしさの正体
村は、地図に載らないほど小さかった。
街道から外れ、
一本の獣道を進んだ先にある集落。
屋根の低い家々。
畑と倉庫。
人の気配はあるが、活気はない。
エレノアは村の入口で足を止めた。
「……静かすぎますね」
昼間だ。
畑に人がいてもおかしくない時間。
それなのに、
風の音しか聞こえない。
境界の向こうで、
ネファル=ディアの気配がわずかに揺れた。
(生きている)
(だが、巡っていない)
短い感触。
エレノアは頷き、村へ入った。
⸻
最初に声をかけてきたのは、
年配の女性だった。
「……旅の方?」
「はい。通りがかりです」
嘘ではない。
エレノアは、あえて依頼や目的を口にしなかった。
女性は少し迷ったあと、
ぽつりと漏らす。
「畑を……見ていきますか」
その言い方に、
“断れない理由”がにじんでいた。
案内された畑は、
一見すると立派だった。
作物は青々としている。
葉も大きい。
病気の兆候もない。
――それでも。
エレノアは、土に触れた瞬間、眉をひそめた。
「……これ」
「育ちすぎ、でしょう」
女性は苦笑した。
「最初は喜んだんです」
「豊作だって」
「でも……」
エレノアは続きを促さない。
女性は、自分から言った。
「収穫できないんです」
「……え?」
「根が、抜けない」
「刃を入れると、絡みついてくる」
エレノアは一株に手を伸ばす。
慎重に、根元を掴む。
引く。
――動かない。
それどころか、
土の奥で“引き返す力”が働いている。
「……抵抗、してますね」
「ええ」
女性は頷く。
「まるで……」
「引き抜かれるのを、嫌がっているみたいに」
エレノアは、そっと手を離した。
(生きようとしすぎている)
畑が、
作物が、
“役割”に縛られている。
収穫されるために、
育ち続ける。
その果てに、
抜けなくなった。
⸻
倉庫も、同じだった。
保存していた穀物は、
芽を出し始めている。
「止めても、止まらないんです」
村長だという男性が言う。
「魔法を使っても」
「燃やそうとしても」
「……余計に増える」
「戦える人は?」
「呼びました」
「冒険者も、召喚士も」
エレノアは静かに聞く。
「でも……」
村長は、声を落とした。
「皆、首を振って帰りました」
「倒す敵がいない、って」
エレノアは、胸の奥が少しだけ重くなる。
(……そうですよね)
これは、
剣で切れる相手じゃない。
魔法で消せる異常でもない。
「土を、壊せばいい」
「作物ごと、焼けばいい」
そう言う人も、いただろう。
でも――
それは“解決”ではない。
「……少し、時間をください」
エレノアは言った。
「すぐには直せません」
「でも、原因は……見えそうです」
村人たちは、顔を見合わせる。
期待と、不安。
両方があった。
⸻
夜。
村の端で、
エレノアは一人、地面に座った。
火は使わない。
魔法も使わない。
ただ、土に触れる。
「……ねえ」
声には出さない。
意識だけで、呼びかける。
(あなた、どう思いますか)
ネファル=ディアは、少しだけ間を置いた。
(これは)
(切れば終わる)
予想通りの答え。
(でも)
エレノアは続ける。
(切ったら、
この畑は、もう畑じゃなくなります)
沈黙。
風が、畑を渡る。
作物の葉が、ざわめいた。
その音は――
歓喜ではない。
悲鳴でもない。
焦りだった。
(……役割しか、与えられていない)
エレノアは、胸の奥で言葉を選ぶ。
(育つことを、
止められないまま、
期待され続けた)
(だから、
抜かれるのが怖い)
境界の向こうで、
ネファルの気配が、少し揺らぐ。
(……召喚獣と、同じだ)
エレノアは、静かに頷いた。
(名前を呼ばれないまま)
(役割だけを求められる)
それは、
“世界の悲鳴”の、ほんの一部。
「……まずは」
エレノアは立ち上がる。
「育つのを、止めます」
戦わない。
壊さない。
“止める”という選択。
村人たちは、驚いた顔で彼女を見る。
「止める……?」
「はい」
「ちゃんと、休ませます」
それが何を意味するのか、
まだ誰も分からない。
けれど、
エレノアの声は、不思議と落ち着いていた。
境界の向こうで、
ネファル=ディアは一歩、前に出る。
――まだ、手は出さない。
だが、
見守る位置から、
関わる位置へ。
この異常は、
もう“遠い話”ではなかった。




