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戦わない召喚士エレノアの異世界記録 ――名を受け取り、世界に触れる  作者: ぷにゅん


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第51話 名を呼んだ翌朝

朝の光は、昨夜よりも柔らかかった。


工房の窓から差し込む陽射しが、床に細長い影を作っている。

エレノアは、いつもより少し早く目を覚ました。


眠れなかったわけではない。

むしろ、深く眠った。


それが逆に、違和感だった。


「……」


布団の中で、ゆっくりと呼吸を確かめる。

胸の奥が、静かだ。

ざわつきも、不安もない。


ただ――“誰かがいる”感覚だけが残っている。


「……ネファル」


声に出すか迷って、やめた。

昨夜は確かに呼んだ。

でも今は、まだ胸の中に置いておきたい。


身支度を整え、工房へ向かう。


火を入れる前に、いつもの癖で周囲を見回す。

棚。道具。素材。


――変わっていない。


それなのに、

空気だけが少し違う。


「……」


エレノアは、鍋に水を入れながら思う。


名を呼んだからといって、

世界が変わるわけじゃない。


何かが劇的に便利になるわけでも、

力が増えた実感があるわけでもない。


それでも――

戻れない線を、一つ越えた。


その感覚だけが、確かにある。


火を入れたところで、扉がノックされた。


「エレノアー?」


聞き慣れた声。

リネアだ。


「開いてます」


扉が開き、リネアが顔を出す。

いつもの軽やかな笑顔――だが、目が少しだけ探るように動いた。


「……なんか、静かだね」


「いつもですよ」


「そういう意味じゃなくて」


リネアは工房に入り、ぐるりと一周する。


「昨日の件、街でちょっと話題になってる」


エレノアの手が止まる。


「……もうですか」


「早いよ」

「“戦わずに召喚を止めた人がいる”って」


エレノアは苦笑した。


「大げさです」


「でもさ」


リネアは、少し声を落とす。


「……名前、呼んだ?」


一瞬、心臓が跳ねた。


「……どうして、それを」


「分かるよ」


リネアは即答した。


「昨日のあなた、決めてた顔してた」

「それに――」


一拍置いて、にやりとする。


「空気が違う」


エレノアは、視線を逸らした。


「……呼びました」


声が小さくなる。


「……名前」


「へぇ」


リネアは楽しそうだ。


「どんな?」


「……ネファル=ディア、です」


言った瞬間、少しだけ胸が温かくなる。


リネアは一瞬黙り、

それから、ゆっくり頷いた。


「いい名前だね」


「……そう、ですか」


「うん」

「“使う”名前じゃない」


その言葉に、エレノアは救われた気がした。


「……まだ、完全に応えてくれてるわけじゃないです」

「でも」


言葉を探す。


「……応答は、ありました」


リネアはそれ以上、踏み込まなかった。

それが彼女の優しさだと、エレノアは知っている。


「そっか」


短く、それだけ。


「じゃあ今日は、少し楽な仕事にしよ」

「昨日の後だし」


エレノアは笑った。


「……いつも通りで大丈夫です」


「それが一番危ないんだけどね」


そう言いながらも、リネアはそれ以上言わなかった。



昼前、工房に一人になったエレノアは、ふと手を止めた。


静かだ。


あまりにも。


(……いる、よね)


心の中で問いかける。


返事はない。

でも、拒絶もない。


境界の向こうで、ネファル=ディアは“在った”。


彼は、まだ前に出ない。

呼ばれたからといって、常に応じる存在ではない。


それは彼自身の選択であり、

エレノアが尊重した自由でもある。


「……」


彼は思う。


名を呼ばれたことで、

自分は縛られたのか。


――否。


名を呼ばれたことで、

選べる位置に立った。


それだけだ。


「召喚獣ではない」


彼は、静かに定義する。


「召喚存在だ」


命令に応じるものでも、

力を提供する道具でもない。


関係に応じる存在。


だから今日は、出ない。


昨日の“応答”は、必要だった。

今日は、不要だ。


「……彼女は、歩ける」


ネファル=ディアは、それを確信していた。


名を呼んだことは、

彼女の弱さではない。


選択だった。



その夜。


別の世界で、

朝霧しおりはベランダに出ていた。


仕事を終え、シャワーを浴び、

一日の疲れがようやく身体から抜けていく時間。


夜空を見上げる。


星が、いくつか見える。


「……」


理由もなく、胸が少し温かい。


今日は、特別なことは何もなかった。

小さなミスはあったけれど、致命的じゃない。

人に強く言われることもなかった。


それなのに――

どこか、支えられている感じがする。


「……なんだろ」


言葉に出来ない。


ただ、

背中合わせに誰かがいるような感覚。


しおりは、空を見上げたまま、目を細める。


「……大丈夫かも」


誰に向けた言葉でもない。

でも、確かにそう思えた。


異世界と現実。

同じ意識で、違う場所。


会うことはない。

触れることもない。


それでも――

同じ夜空を、どこかで見ている。


しおりは、静かに部屋へ戻った。


灯りを落とす前、もう一度だけ空を見る。


「……おやすみ」


その言葉は、

どちらの世界にも、そっと落ちた。


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