第45話 呼ぶという行為
境界の向こう側で、
ネファル=ディアは静かに観測を続けていた。
ここには、
名も、姿も、形もない。
あるのは、
呼ばれる可能性だけ。
「……相変わらずだな」
彼の意識が向いた先で、
複数の“波”が重なっていた。
召喚。
それは世界のあちこちで、
日常的に行われている。
強い魔力。
明確な命令。
代価と引き換えの拘束。
「呼ぶ、というより……
使っている、か」
ある召喚存在は、
縛られていた。
契約という名の命令に。
別の存在は、
力を誇示するための
道具にされている。
「……短命だ」
ネファル=ディアは、
感情を挟まずに判断する。
呼ばれること自体が、
不幸ではない。
だが――
選ばれない召喚は、歪む。
怒りに変わり、
反転し、
やがて“災厄”になる。
それを、
彼は何度も見てきた。
「力を急ぐ者ほど、
関係を壊す」
だからこそ、
彼は呼ばれないことを選んだ。
名を与えられない限り、
出ない。
縛られない限り、
応えない。
それが、
自分の在り方だった。
「……だが」
観測の焦点が、
一つに定まる。
エレノア。
「彼女は、
呼ばない」
力を欲していないわけではない。
恐れているわけでもない。
「考えている」
それが、
最も厄介で、
最も尊い行為だった。
⸻
一方、
エレノアは工房にいた。
今日は、
作業をする気はない。
だが――
考えることは、
出来た。
作業台の前に座り、
ノートを広げる。
素材の記録でも、
配合の計算でもない。
ただ、
言葉を書く。
「……召喚って」
ペン先が、
一度止まる。
今まで、
あまり考えたことがなかった。
呼べば、
応える。
力を借りる。
それが、
当たり前だと思っていた。
「……でも」
遺跡の扉。
名を呼ばなかった存在。
ルミナの距離感。
「呼ばない、
という選択も……
召喚なんでしょうか」
ペンが、
静かに動く。
呼ぶとは、
相手に“来てほしい”と伝えること。
でも――
来なくてもいい、と
許すことでもある。
エレノアは、
自分の書いた文字を見つめた。
「……来なくてもいい」
それは、
拒絶ではない。
尊重だ。
「……そうか」
胸の奥で、
何かがはまる。
「召喚って……
お願い、なんですね」
命令じゃない。
強制でもない。
「来てほしい、
でも……
選ぶのは、相手」
その瞬間、
ルミナの気配が
ふっと近づいた。
――理解。
言葉ではなく、
感覚で。
「……ルミナも」
応えてくれている。
でも、
縛られてはいない。
「……ありがとう」
それは、
契約の言葉ではなかった。
感謝だった。
⸻
その頃、
街の外れで――
事件は起きていた。
若い召喚士が、
焦っていた。
力が欲しい。
成果が欲しい。
認められたい。
「出ろ……!
契約に応じろ!」
魔法陣が、
強引に展開される。
呼ばれた存在は、
抵抗する。
だが、
逃げ場がない。
「……!」
空気が歪む。
魔力が、
制御を失う。
周囲の冒険者たちが
ざわつく。
「無茶だ……」
「まだ不安定だぞ!」
遅かった。
召喚は、
成立してしまった。
だが――
関係は成立していない。
現れた存在は、
怒りを帯びていた。
命令に従うが、
心は拒絶している。
「……危ない」
誰かが叫ぶ。
暴走は、
時間の問題だった。
その“歪み”は、
境界の向こうにも
届いていた。
ネファル=ディアは、
それを観測する。
「……また一つ」
ため息にも似た
沈黙。
「選ばれなかったな」
彼は、
別の焦点を見る。
エレノア。
ノートを閉じ、
深く息を吐いている。
「召喚は……
関係だ」
まだ、
力はない。
まだ、
名も呼べない。
だが――
壊さない召喚士が、
そこにいた。
「……やはり」
ネファル=ディアは、
静かに結論づける。
「私は、
呼ばれるまで待とう」
それが、
初めて“待つ”と
決めた瞬間だった。
扉は、
まだ閉じている。
だが――
呼ぶという行為の意味は、
すでに変わり始めていた。
(つづく)




