第44話 観測者は名を呼ばれない
暗闇は、存在していなかった。
そこにあったのは、
光の欠如ではなく――
意味の沈殿だった。
時間も、
距離も、
方向もない。
それでも、
“ここ”はあった。
「……また、選ばなかったか」
声は、
音にならない。
けれど、
確かに意思を持って響いた。
ネファル=ディアは、
境界の向こう側で
“観て”いた。
呼ばれていない。
契約もない。
名も与えられていない。
それでも――
観測は出来る。
それが、
彼の役割だった。
「扉の前で立ち止まる」
「触れず、開かず、名を呼ばず」
“選ばない”という行為。
それは、
多くの召喚士が
最も苦手とする選択だった。
力を求め、
答えを急ぎ、
名を呼ぶ。
それが、
世界の常だった。
「……理解していないな」
ネファル=ディアは、
静かに思考する。
彼女――
エレノアは、
召喚士として未熟だ。
力も、
契約数も、
知識も足りない。
それでも。
「拒絶ではない」
「恐怖でもない」
「逃避でもない」
ただ――
“今ではない”と判断した。
それは、
契約者の資質とは
まったく別の場所にある。
「……やはり、
人の形をしているな」
皮肉ではない。
感嘆でもない。
ただの、
観測結果。
召喚とは、
本来――
呼ぶ側と、呼ばれる側の
対等な選択だ。
力で縛るものではない。
必要であると、
互いが認める行為。
「名を呼ばれなかった」
その事実に、
ネファル=ディアは
微かな“揺れ”を感じた。
怒りではない。
失望でもない。
……興味だ。
「選ばれなかった時間を、
余白として扱うか」
多くの存在は、
呼ばれないことを
“否定”と受け取る。
だが彼女は違った。
「選ばれないことを、
保持した」
それは、
召喚存在にとって
極めて異質な対応だった。
「……危ういな」
もし、
このまま進めば。
彼女は――
“力を振るう召喚士”ではなく
**“関係を築く召喚士”**になる。
それは、
世界にとって
都合が悪い。
だが。
「……面白い」
ネファル=ディアは、
初めてそう結論づけた。
彼は、
まだ名を名乗らない。
姿も見せない。
声も届かせない。
ただ――
観測を続ける。
「呼ばれない限り、
私は出ない」
それが、
彼の誓約。
そして、
彼女の選択を
尊重するという
唯一の敬意だった。
境界の向こうで、
意味が、
ゆっくりと沈む。
扉は、
まだ閉じている。
だが――
鍵は、すでに作られ始めていた。
それが、
エレノア自身の中で。
ネファル=ディアは、
再び沈黙に戻る。
名を呼ばれるその時まで。
(つづく)




