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戦わない召喚士エレノアの異世界記録 ――名を受け取り、世界に触れる  作者: ぷにゅん


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第37話 呼ばれない扉

夜の工房は、昼とは別の場所のように静かだった。


火を落としたあとの空気には、木と金属の匂いが残る。

作業台に置いた瓶の影が、灯りの揺れに合わせてわずかに伸び縮みしている。


エレノアは、戸締まりを終えてからも、すぐには奥へ戻らなかった。

扉の前に立ち、耳を澄ませる。


外は静かだ。

人の声はない。

風も強くない。


――なのに。


「……聞こえますか、ルミナ」


自分でも驚くほど小さな声だった。


返事はない。

けれど、ルミナの気配は確かに近い。

いつもなら「そこにいる」とだけ感じるのに、今夜は――「こちらを見ている」感じが強い。


「……」


エレノアは、胸の奥を確かめる。


不安がある。

でも、それは理由のない恐怖ではない。


「……遺跡、ですね」


口にした瞬間、空気が一段重くなった気がした。


それでも、エレノアは杖を取らなかった。

剣も持たない。

代わりに、腰の袋に道具を詰める。


炭と紙片。

細い糸。

小さな杭。

簡易の瓶。

そして、今日作った“流れを整える”薬液を一つ。


「戦いに行くわけじゃありません」


独り言のように言い訳をして、エレノアは扉を開けた。


夜気が頬に触れる。

冷たい。

けれど、嫌ではない。


小道を進むと、街の灯りはすぐに遠ざかった。

暗闇が濃くなる。

それでも足は迷わない。


遺跡へ向かう道は、昼よりも“音”が少ない。

その代わりに、気配が多い。


草が揺れる。

小石が転がる。

木の葉が擦れる。


それらが全部、必要以上に“はっきり”している。


「……夜は、嘘がつけませんね」


自分の足音すら、誰かに聞かれている気がした。


遺跡の入り口が見えたとき、エレノアは立ち止まった。


石の裂け目。

その奥に、黒い空洞。


昼に見たものと同じはずなのに、今は別物に見える。

入口の周囲に、うっすらと白い霧が溜まっていた。


霧は流れていない。

そこに“溜まっている”。


「……ここだけ、温度が違います」


吐いた息が、白くならない。


エレノアは一歩だけ進み、すぐに止まった。


床の模様――召喚陣の周縁。

そこに、薄い粉が撒かれている。


「……誰かが、来た?」


昼の調査で見た痕跡とは違う。

足跡ではない。

意図がある。


エレノアはしゃがみ込み、粉を指先に取った。


「……塩、ではない」


香りはない。

粒は細かい。

光を当てると、わずかに青く反射する。


「……遺跡素材を、削った粉?」


それがなぜ、入口に撒かれている。


嫌な想像が過る。


――結界。

――封印。

――あるいは、誘導。


エレノアは自分の考えを否定しなかった。

否定して安心するのは、もっと危険だ。


「……ルミナ。離れないでください」


気配が、少しだけ強くなる。

近づいた、というより“寄り添った”。


エレノアは、入口の縁に杭を一本打ち、糸を張った。

簡易の“境界”だ。


「もし何かあっても、戻る方向は分かるように」


遺跡の奥へ進む。


足を踏み入れた瞬間、音が変わった。


外の虫の声が消える。

風の音も消える。


代わりに、遠くで――水が滴る音だけがする。


ぽた。

ぽた。

ぽた。


一定の間隔。

規則正しい。


「……自然の音じゃない」


水滴は、自然なら気まぐれに落ちる。

でもこれは、まるで“時間を刻む”みたいに一定だ。


エレノアは、背筋が少しだけ冷えるのを感じた。


進むほどに、床の紋様がはっきりしていく。

昼間に写し取ったものと同じ……はずなのに、線が濃い。


濃い、というより――新しい。


「……使われてる」


誰が?

何のために?


エレノアは壁の溝をなぞった。

道具の痕。

削った跡。


「……ここも」


遺跡は“古い”のに、手入れされている。


そして、奥へ進むにつれ――“臭い”が混じった。


土と金属の匂いに、ほんの少しだけ甘い匂い。


甘いのに、食欲が湧かない。

喉が乾くような甘さ。


エレノアは足を止めた。


「……この匂い、嫌ですね」


言い方が幼いと自分でも思う。

けれど、正直にそう感じた。


ルミナの気配が揺れる。

警戒。


エレノアは、腰の袋から小瓶を出し、蓋を少しだけ開けた。


あの“流れを整える”液体。

香りはほとんどない。

でも、蓋を開けた瞬間、胸が少しだけ楽になる。


「……よし」


それを指先につけ、床の模様の一部にほんの少し落とす。


すると――


遺跡の空気が、ほんの一瞬だけ“戻った”。


重さが引く。

甘さが薄れる。


「……効く」


エレノアは、自分の声が震えていないことに気づいた。

怖いのに、崩れていない。


その事実が、なぜか少しだけ嬉しい。


奥に、扉があった。


昼間は見えなかった場所だ。

いや――昼間は、そこに“壁”しかなかった。


今は、扉の形が浮き出ている。


石の扉。

取っ手はない。

鍵穴もない。


ただ、中央に小さな凹みがあり、そこに紋様が刻まれている。


「……召喚陣と同じ線」


エレノアは近づこうとして、足を止めた。


扉の前の床だけ、さらに新しい粉が撒かれている。

青く反射する、あの粉。


そして、その粉の上に――


人の足跡がある。


つま先立ちで、慎重に近づいた跡。

それが、扉の直前で途切れている。


「……入った?」


扉は閉まっている。

でも、足跡は“中に続いている”ように見える。


矛盾。


「……扉、開いたのに、閉じた?」


エレノアは、扉の凹みに手を伸ばしかけた。


その瞬間。


背後で、ぽた、という水音が止んだ。


音が止むだけならいい。

でも、止んだあとの静寂が――遺跡そのものの“呼吸”みたいに感じられた。


エレノアは、ゆっくりと振り返る。


暗闇。

何もない通路。


それでも、視線が合った気がした。


「……ネファル=ディア」


呼んでいない。

ただ、名が口から落ちた。


返事はない。

気配もない。


なのに。


扉の紋様が、かすかに光った。


それは、灯りの反射ではない。

内側から滲むような薄い光。


エレノアは息を吸い、吐く。


「……呼んでないです」


自分に言い聞かせるように言った。


「私は、ただ……調べに来ただけです」


扉の前に戻り、凹みに指先を当てる。


冷たい。

でも、拒まない。


――押せば開く。


そんな確信が、ありありと湧いた。


それが一番怖い。


「……ルミナ。もし私が変だったら」


言いかけて、言葉を切った。


変なのは、今かもしれない。

怖いのに、進みたい。


エレノアは、指先に残った薬液を、凹みにほんの少し塗った。


次の瞬間。


扉が、音もなく“ほどけた”。


開いた、ではない。

石の合わせ目がほどけて、そこに通れる隙間が生まれた。


隙間の向こうは、暗い。


暗いのに、そこだけ“空気が軽い”。


「……」


エレノアの胸の奥が、すうっと冷える。


これは、罠だ。

そう思う。


でも、同時に――


“誰かがここで、何かを作っていた”

その匂いがする。


作るということ。

整えるということ。

世界の流れを変えるということ。


それは、エレノアが今やっていることに、あまりにも近い。


「……行きます」


そう呟いて、一歩。


隙間の向こうに足を入れた瞬間、背中に風が当たった。


違う。

風ではない。


――見られている。


それでも、エレノアは止まらなかった。


そして、扉の隙間が、背後でゆっくり閉じる。


音はしない。

でも、確実に閉じたと分かった。


エレノアは、暗闇の中で目を細める。


「……戻る道、作っておいて良かったですね」


軽口のつもりだった。

でも声が少しだけ上ずっている。


そのとき、暗闇の奥で、誰かが笑った気がした。


声ではない。

耳で聞く笑いではない。


“世界の揺れ”が、笑いの形をしていた。


エレノアは、喉の奥が乾くのを感じながら、口を開いた。


「……誰ですか」


返事はない。


代わりに、足元の床紋が淡く光り、

エレノアの影が、あり得ない方向へ伸びた。


暗闇は、目に慣れても広がらなかった。


エレノアの視界にあるのは、

“奥行きのない空間”だった。


広くはない。

狭すぎもしない。


ただ、距離感が掴めない。


床の紋様は続いている。

しかし、線は途中で途切れ、

その先は描かれていない“余白”のようだった。


「……未完成」


思わず、口から漏れた。


工房で、

途中まで組まれた道具を見るときと、

同じ感覚。


作る途中で、

止まっている。


「……誰かが、

 完成させようとしていた」


背後を振り返る。


扉はもう見えない。

閉じたのではなく、

“存在しなくなった”ように感じる。


戻る道は、

作った境界だけだ。


エレノアは、

腰の袋から紙片を一枚取り出し、

床に置いた。


指先で、

小さく円を描く。


「……簡易記録、起動」


声に出す必要はない。

けれど、声にすると落ち着く。


紙片に、

淡い光が宿る。


空間の“流れ”が、

わずかに可視化された。


そして――

エレノアは息を呑む。


「……これは」


流れが、

作られている。


自然に湧いたものではない。

誰かが意図して、

ここに“通路”を敷いた跡。


召喚の流れ。

でも、召喚先がない。


「……呼び出すためじゃない」


じゃあ、何のために?


その瞬間、

背後で空気が“鳴った”。


音ではない。

振動でもない。


世界の“意味”が、

一拍ずれた感覚。


エレノアは、

振り返らなかった。


「……あなたですね」


言葉は、

静かだった。


「さっきから、

 見ているのは」


返事はない。


代わりに、

空間の中央――

何もなかった場所に、

影が落ちた。


影は、

人の形をしていない。


けれど、

“意思”だけは、

はっきりとそこにある。


「……ネファル=ディア」


名を呼んだ瞬間、

影が、ほんのわずかに揺れた。


肯定でも、否定でもない。

反応。


「……ここは、

 あなたが作った場所ですか?」


問いかける。


影は、

答えない。


だが、

床の紋様が、

一部だけ淡く光った。


“はい”とも、

“いいえ”とも取れる。


エレノアは、

視線を落とす。


「……未完成ですね」


影が、

今度ははっきり揺れた。


驚き。

あるいは、

興味。


「途中で止まっています。

 流れはあるのに、

 出口がない」


エレノアは、

影を見ないまま、

続けた。


「……誰かに

 引き継がせるつもりだった」


沈黙。


それが、

答えだった。


「……でも、

 上手くいかなかった」


影が、

さらに揺れる。


否定ではない。


「だから、

 “使える人”を

 探していた」


エレノアは、

そこで初めて、

影を見る。


「……呼んだのは、

 私じゃないですね」


影が、

ゆっくりと形を変える。


人のようで、

人ではない。


顔の位置に、

“空白”がある。


「……観測者」


その言葉は、

自然に出た。


「作りたいけど、

 直接は触れない。

 完成させたいけど、

 手は出せない」


影が、

静かに肯定する。


――それは、

悪意ではなかった。


でも、

善意でもない。


「……それで、

 私を“中に入れた”」


影は、

答えない。


答えない、

という答え。


エレノアは、

小さく息を吐いた。


「……私、

 完成させませんよ」


影が、

一瞬だけ強く揺れた。


拒絶。


「あなたの設計は、

 美しいです」


褒め言葉を、

淡々と置く。


「でも……

 ここは“誰かが使う場所”です。

 使う人の意思が、

 入っていない」


影が、

静かになる。


「……それは、

 危ない」


エレノアは、

床に視線を落とし、

自分の影を見る。


「作った人が、

 最後まで責任を持たない場所は……

 いつか、

 誰かを壊します」


影が、

初めて後ずさった。


「……私は、

 直しません」


言葉に、

迷いはなかった。


「でも……

 閉じます」


エレノアは、

腰の袋から、

あの小瓶を取り出す。


「この流れは、

 整えられます。

 止めることも、

 できます」


影が、

一瞬だけ強く揺れた。


――それは、

失望ではない。


理解。


「……また、

 どこかで」


影が、

空間に溶けていく。


「呼ばないでください」


エレノアは、

そう言った。


「私は、

 選ばれたいわけじゃない」


影は、

もう応えない。


床の光が、

ゆっくりと消えていく。


エレノアは、

紙片を回収し、

境界に張った糸を辿る。


一歩、

また一歩。


重さが、

薄れていく。


背後で、

“何かが閉じる”感覚。


それは、

扉ではない。


可能性。


外に出ると、

夜の空気が戻ってきた。


虫の声。

風。

遠くの街の灯り。


「……戻れました」


膝が、

少しだけ震える。


それでも、

崩れなかった。


エレノアは、

遺跡を振り返らず、

小道を歩き出す。


胸の奥に、

確かな実感があった。


――怖かった。

――でも、逃げなかった。

――戦わなかった。

――選んだ。


「……これで、

 いいですね」


ルミナの気配が、

静かに応えた。


――一緒に。


工房の灯りが、

見えてくる。


いつもと同じ場所。

いつもと同じ扉。


でも、

戻ってきたエレノアは、

ほんの少しだけ違っていた。


呼ばれない扉は、

確かに閉じられた。


だが――

呼ばれない選択を、

 自分で選んだことだけは、

確かに残った。


(第37話・了)



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