第35話 名が、先に歩き出す
工房の外が、
いつもより少しだけ騒がしかった。
木箱を運ぶ音。
人の声。
通りを行き交う足取り。
エレノアは、
作業台の前で手を止め、
小さく首を傾げた。
「……朝から、
賑やかですね」
昨日までとは、
明らかに違う。
偶然にしては、
重なりすぎている。
エレノアは、
鍋を火から下ろし、
布で包んだ。
今日仕上げる予定だったのは、
ごく少量。
急ぐ理由も、
特別な予定もない。
それなのに――
胸の奥が、
少しだけざわつく。
「……ルミナ?」
名を呼ぶと、
すぐ近くで、
気配が応えた。
――見ている。
それだけ。
エレノアは、
工房の扉を開けた。
外には、
見覚えのある顔が二つ、
それと――
見覚えのない人影が一つ。
「……おはようございます」
声をかけると、
行商人が振り返った。
「ああ、
ちょうどいいところだ」
その隣に立つ人物は、
落ち着いた雰囲気の女性だった。
装備は軽装。
だが、
使い込まれている。
「こちらが、
例の工房の方だ」
行商人の紹介に、
女性は一歩前に出て、
丁寧に頭を下げた。
「初めまして。
私はリネアと申します」
名前を聞いた瞬間、
エレノアは、
なぜか覚えやすいと思った。
「……エレノアです」
それだけを名乗る。
肩書きは、
必要ない。
「昨日、
この保存食を使わせて
いただきました」
リネアは、
包みを一つ差し出した。
中身は、
空になった容器。
「……体調は?」
「驚くほど、
問題ありませんでした」
その言葉は、
大げさではない。
事実を、
そのまま置いていく声音。
「私は、
調査を生業にしています」
調査。
討伐でも、
護衛でもない。
「遺跡や、
古い土地を歩くことが
多いのですが……
正直に言って、
助かりました」
エレノアは、
一瞬だけ、
視線を落とした。
「……無理は、
していませんか?」
「していません。
それが、一番不思議でした」
まただ。
同じ言葉。
偶然ではない。
「……それで」
リネアは、
少し言いづらそうに、
言葉を選ぶ。
「この道具や料理を、
作った方の“考え方”を、
知りたいと思いまして」
考え方。
評価でも、
依頼でもない。
「……考え方、
ですか?」
「はい。
強くするための物ではない。
でも、
弱らせないための物でもない」
リネアは、
少しだけ笑った。
「“続けられる”ように
作られている」
その言葉に、
エレノアは、
何も言えなくなった。
図星だった。
「……私は、
必要だと思ったことを、
しただけです」
「ええ。
でも、それができる人は、
多くありません」
リネアは、
一歩下がった。
「今日すぐに、
何かをお願いするつもりは
ありません」
そう言って、
一枚の紙を差し出す。
簡単な地図。
遺跡の位置。
「ただ、
この場所を“壊さずに
調べたい”と思っています」
その言葉に、
ルミナの気配が、
わずかに揺れた。
エレノアは、
地図を見る。
見覚えがある。
「……ここは」
「ええ。
召喚研究跡だと
言われています」
はっきりと、
その名を出した。
エレノアは、
ゆっくりと息を吸う。
「……私は、
戦いには、
向いていません」
「承知しています」
即答だった。
「だからこそ、
お話をしに来ました」
エレノアは、
地図を折りたたみ、
返さなかった。
「……すぐには、
答えられません」
「それで結構です」
リネアは、
少しだけ安堵したように、
微笑んだ。
「考えてもらえるだけで、
十分です」
二人が去った後、
工房の前は、
また静かになった。
エレノアは、
しばらくその場に立ち尽くし、
それから、
ぽつりと呟く。
「……私、
何かしてましたか?」
答えはない。
けれど、
胸の奥で、
確かな実感があった。
作ったものが、
人を動かした。
人が動き、
言葉が生まれた。
そして今――
自分が動く前に、
名前が歩き始めている。
エレノアは、
工房に戻り、
作業台に手を置いた。
「……少しだけ、
忙しくなりそうですね」
その言葉は、
不安よりも、
静かな覚悟に近かった。
ルミナの気配が、
そっと寄り添う。
――一緒に。
それだけで、
十分だった。
(つづく)




