第31話 遺跡を読む手
召喚研究跡に向かう道は、
冒険者が通る道とは、少しだけずれていた。
踏み固められた足跡。
剣で薙いだ痕。
火魔法で焦げた岩。
それらが見える場所を、
エレノアはあえて避ける。
「……踏まれていない場所の方が、
分かりやすいです」
誰に言うでもなく、そう呟く。
今回は、一人だった。
ルミナの気配だけを伴って。
依頼はない。
討伐目的でもない。
“調べに来ただけ”。
それが許される距離まで、
この遺跡とは、すでに近づいていた。
入口に立つと、
空気が変わる。
危険、ではない。
警戒、でもない。
「……古い」
それが最初の印象だった。
時間が積もっている場所特有の、
澱のような気配。
エレノアは、
剣にも杖にも手を伸ばさず、
腰の袋から小さな道具を取り出した。
金属製の小さな杭。
細い糸。
紙片と炭。
「……まずは、
壊れていないか、
見ましょう」
遺跡に“入る”前に、
遺跡を“触る”。
それが、
エレノアのやり方だった。
床にしゃがみ込み、
指先で石をなぞる。
ひび割れ。
摩耗。
人為的な削れ。
「……最近、
誰か来てますね」
冒険者ではない。
足運びが違う。
慎重すぎる。
魔物でもない。
痕が、整いすぎている。
「……研究者、
でしょうか」
その言葉に、
ルミナの気配が、
わずかに揺れた。
――覚えがある。
そう言われているような、
そんな感覚。
エレノアは、
床の紋様を炭で写し取る。
完全な形ではない。
でも、
線の“流れ”は分かる。
「……召喚陣、
ですけど……」
一般的なものと、
決定的に違う。
力を集める構造ではない。
呼び寄せる配置でもない。
「……繋げる、
ですね」
何と、かは、まだ分からない。
でも――
一方通行じゃない。
エレノアは、
その事実に、少しだけ息を止めた。
「……だから、
暴走しやすい」
召喚獣を“固定”しない。
人を“縛らない”。
代わりに、
双方が近づきすぎる。
それは、
扱いきれなければ、
歪みになる。
「……ネファル=ディア」
名を出すと、
空気が一瞬だけ、重くなった。
呼んでいない。
試しているだけ。
反応は、ない。
「……今日は、
あなたに用はありません」
それでも、
遺跡の奥が、
静かに“こちらを見る”感覚があった。
エレノアは、
奥へは進まなかった。
代わりに、
壁面へと視線を移す。
石に刻まれた、
浅い溝。
装飾ではない。
傷でもない。
「……作業痕」
刃物で刻んだもの。
細かく、均一。
「……工具、
使ってますね」
この遺跡は、
“使われていた”。
研究の場として。
生活の場として。
戦場ではない。
エレノアは、
小さな欠片を拾い上げる。
石ではない。
金属。
でも、
今の技術では見ない合金。
「……これは、
持ち帰って、
調べましょう」
戦利品ではない。
素材として、
自然と意識が向いた。
壊すためではなく、
知るための採取。
エレノアは、
遺跡の中心には踏み込まず、
周縁だけを歩いた。
光の入り方。
風の流れ。
湿度。
「……保存状態が、
良すぎます」
つまり――
何かが、守っている。
それが意志なのか、
構造なのか、
まだ分からない。
でも、
“偶然”ではない。
「……また、
来ます」
前回よりも、
はっきりした声で、そう言った。
今回は、
戦いに来たわけじゃない。
だからこそ、
遺跡も、
拒まなかった。
外に出ると、
空気が軽い。
エレノアは、
小さく息を吐いた。
「……調べる、
って……
楽しいですね」
ルミナの気配が、
すぐそばで、
穏やかに応えた。
――同意。
それだけで、
十分だった。
帰路につきながら、
エレノアは考える。
この遺跡は、
まだ“呼ぶ場所”じゃない。
でも――
育てる場所かもしれない。
畑と同じように。
ゆっくり。
無理をせず。
壊さず。
「……戦わない召喚士、
でよかったです」
その言葉は、
初めて、
確信を伴っていた。
(つづく)




