幕間 朝霧しおりの夜――境界が揺れる
夜の畑に、静けさが戻っていた。
風は弱く、
水路の流れも落ち着いている。
それでも――
エレノアの胸の奥だけが、
わずかにざわついていた。
「……」
理由は分からない。
ただ、
ここではないどこかで、
何かが“触れた”気がしていた。
「ルミナ」
名を呼ぶ。
返事はない。
けれど、気配はすぐそばにある。
――いる。
それだけで、十分だった。
エレノアは畑を見渡し、
ゆっくりと歩き出す。
土の感触。
足元の湿り。
どれも、
いつもと同じ――はずなのに。
「……境界、
少し薄い」
小さく呟く。
遺跡の方角だ。
ここからは見えない。
けれど、
“開いている”感じがする。
エレノアは立ち止まり、
夜空を見上げた。
月は、雲に隠れかけている。
「……行くべき、
なんでしょうか」
問いかけるように、
ルミナの気配に意識を向ける。
答えは、言葉にならない。
ただ、
足元の土が、
わずかに固くなる。
――今は、止めない。
そう受け取った。
「……分かりました」
エレノアは、
畑を後にする準備を始めた。
誰かに呼ばれたわけじゃない。
命令も、依頼もない。
それでも――
行かなければならない場所がある。
歩き出す前、
ふと胸に浮かんだのは、
さっきまで確かにあった感情。
言葉に出来なかった思い。
少しの後悔。
小さな疲れ。
「……大丈夫です」
誰に向けた言葉でもない。
でも、
その奥で、
確かに応えるものがあった。
夜の風が、
遺跡のある方角から吹いてくる。
エレノアは、
その流れに身を預けるように、
一歩、踏み出した。
――そして。
遠く、
人の気配が、
不自然に揺れた。
(つづく)




