第二十四話 そこに、いる
名前がついてからも、
畑は何も変わらなかった。
土は土のまま。
水は水のまま。
でも、
エレノアの歩幅だけが、少し変わった。
「……今日も、
静かですね」
リーナが言う。
「……はい」
エレノアは、水路を覗き込む。
流れは穏やか。
昨日と同じ。
問題は、ない。
「……ルミナ?」
呼びかけは、小さかった。
返事は、ない。
でも、
いない感じもしない。
ミラが、その様子を見て言う。
「ねえ」
「……はい」
「名前つけたらさ、
もっと、
分かりやすくなるのかと思ってた」
エレノアは、少し考える。
「……私も、
そう思ってました」
「でも」
ミラは、肩をすくめる。
「前と、
あんまり変わらないね」
「……はい」
でも、
変わっていないわけじゃない。
エレノアは、畑の端で立ち止まる。
土の一部が、
わずかに湿りすぎている。
「……ここ」
「どうしたの?」
「……水、
少し、
多いです」
リーナが覗き込む。
「ほんとだ……
さっきまで、
気づかなかった」
「……今なら、
まだ」
言葉が、途中で止まる。
エレノアは、深く息を吸った。
「……ルミナ」
声は、はっきりしていた。
お願いじゃない。
命令でもない。
確認に近い。
水面が、わずかに揺れる。
ほんの少しだけ、
流れが外に逃げる。
「……あ」
リーナが、目を丸くする。
「今の……」
「……はい」
エレノアは、頷いた。
「……手、
出してません」
ミラが、静かに笑う。
「でも、
ちゃんと、
助けてる」
「……一緒に、
見てるだけ、
です」
エレノアは、そう言った。
土は崩れない。
水は暴れない。
でも、
“危なくならない”。
それだけで、
十分だった。
リーナが、少し不思議そうに言う。
「……ルミナって、
何でも、
してくれるわけじゃ、
ないんですね」
「……はい」
エレノアは、即答した。
「……必要なときだけ、
動きます」
「じゃあ」
ミラが聞く。
「今、
必要?」
エレノアは、首を振る。
「……今は、
大丈夫です」
その瞬間、
水面の揺れが止まった。
――分かった。
言葉はない。
でも、意思は伝わった。
リーナが、小さく息を吐く。
「……不思議」
「……はい」
「でも」
リーナは、エレノアを見る。
「……安心、
します」
エレノアの胸が、静かに温かくなる。
「……私も、
です」
作業を終え、
三人で並んで帰る。
畑を振り返っても、
特別な光も、影もない。
でも、
確かに、そこにいる。
エレノアは、心の中で呼びかけた。
――ありがとう。
返事はない。
でも、
足元の土が、
少しだけ、やさしかった。
(つづく)




