第217話 線を引く者
夜。
風は少し強い。
昼の静けさが嘘のように、砂が流れている。
エレノアは火のそばにいた。
火は小さい。
必要最低限。
光も熱も、抑えられている。
誰も近づかない。
その時。
足音。
振り返らなくても分かる。
ヴァルクだった。
少し離れた場所で止まる。
すぐには来ない。
しばらく風の音だけが続く。
やがて。
「会ったな」
短い言葉。
エレノアは頷く。
「はい」
それだけ。
ヴァルクは火を見る。
揺れる炎。
そして言う。
「どうだった」
エレノアは少しだけ考える。
言葉を選ぶ。
「止めに来ています」
それは事実だった。
ヴァルクは目を細める。
「敵か」
エレノアは首を振る。
「まだ違います」
ラグナが言う。
(“まだ”か)
ネファルが言う。
(正確だ)
ヴェルナシアが囁く。
(変わる)
ヴァルクは一歩だけ近づく。
火の明かりが顔に当たる。
「その判断はどこからだ」
問い。
だが詰めてはいない。
エレノアは静かに答える。
「……壊すためには来ていません」
「守るためでもありませんが」
少しだけ間を置く。
「管理している側です」
ヴァルクは沈黙する。
その言葉を受け取る。
やがて。
「厄介だな」
小さく言った。
否定でも肯定でもない。
ただ、事実。
エレノアは続ける。
「止められる可能性があります」
「でも」
少しだけ視線を上げる。
「話せる余地もあります」
沈黙。
風が火を揺らす。
ヴァルクは言う。
「お前は話す側だな」
確認ではない。
断定。
エレノアは頷く。
「はい」
ヴァルクは火から視線を外す。
砂の向こうを見る。
そして。
「なら」
ほんのわずかな間を置く。
「線を引け」
エレノアは目を向ける。
ヴァルクは続ける。
「踏み越えるな」
短い言葉。
だが重い。
エレノアは問い返す。
「どこまでですか」
ヴァルクは即答しない。
少しだけ考える。
そして言う。
「戻れるところまでだ」
それだけだった。
説明はない。
だが、十分だった。
ネファルが言う。
(境界)
ラグナが言う。
(深く行きすぎるなってことだな)
ヴェルナシアが囁く。
(落ちるな)
エレノアは頷く。
「分かりました」
ヴァルクはそれ以上言わない。
一歩下がる。
そして。
「来る」
短く言う。
エレノアも感じている。
すでに。
遠くで。
動いている。
ヴァルクは背を向ける。
「ここは持たない」
それだけ残して去る。
火が揺れる。
風が強くなる。
エレノアは空を見上げる。
星は見えない。
砂が覆っている。
ネファルが言う。
(包囲が進んでいる)
ラグナが言う。
(時間ねぇな)
ヴェルナシアが囁く。
(選ぶ)
エレノアは静かに言った。
「……決めます」
⸻
同じ頃。
地下。
王は報告を受けていた。
短い言葉。
簡潔な内容。
だが。
十分だった。
「接触を確認」
「対象は単独」
「抵抗なし」
王は目を閉じる。
ほんの一瞬。
そして開く。
「排除は」
研究官が答える。
「可能です」
即答。
迷いはない。
王は沈黙する。
長い時間。
そして。
低く言った。
「……待て」
研究官が顔を上げる。
「観察を継続」
短い命令。
だが。
変化だった。
王は続ける。
「壊していない」
それだけ。
研究官は何も言えない。
王は視線を落とす。
そして。
小さく言った。
「……まだな」
地下は静かだった。
だが。
決断は先送りされた。




