第210話 応えるもの
夜。
砂漠は静かだった。
風は弱い。
火も小さい。
音が少ない。
だからこそ。
“分かる”
エレノアは目を開けた。
何も起きていない。
周囲も変わらない。
だが。
確かにある。
ネファルが言う。
(強い)
ヴェルナシアが囁く。
(呼んでいる)
ラグナが言う。
(昨日よりはっきりしてるな)
エレノアは起き上がる。
静かに。
音を立てずに。
外套を羽織る。
立ち上がる前に、一瞬だけ迷う。
だが。
止まらない。
レナは目を開けなかった。
だが。
「戻れ」
小さな声だけが届く。
エレノアは頷く。
それで十分だった。
砂の上を歩く。
夜の空気は冷たい。
だが。
足元は“重い”
近づくほどに。
空気が変わる。
あの場所。
昼に確認した場所。
そして。
昨日、声を聞いた場所。
足が止まる。
「……ここ」
ネファルが言う。
(開いている)
ラグナが言う。
(広がってるな)
ヴェルナシアが囁く。
(待っている)
エレノアは一歩踏み出す。
砂が沈む。
その瞬間。
“繋がる”
――来たか
昨日より深い。
重い。
だが。
確かに“意志”がある。
エレノアは答える。
(はい)
短く。
それだけで十分だった。
沈黙。
だが、途切れない。
“近い”
昨日より。
明らかに。
“距離が縮まっている”
ネファルが言う。
(意識が上がっている)
ラグナが言う。
(起きてきてるな)
“声”が続く。
――なぜ戻った
問い。
試すような響き。
エレノアは迷わない。
(あなたが呼んだからです)
沈黙。
だが。
ほんのわずか。
“空気が変わる”
ヴェルナシアが低く言う。
(通った)
ネファルが言う。
(否定されていない)
“声”が言う。
――人は呼ばれても来ない
エレノアは答える。
(私は来ます)
ラグナが笑う。
(いいなそれ)
“声”が揺れる。
ほんの少し。
――軽いな
また同じ言葉。
だが。
昨日よりも、柔らかい。
エレノアは静かに言う。
(まだ、背負っていません)
(だから、これから知ります)
ネファルがわずかに沈黙する。
ヴェルナシアが静かに言う。
(……変わっている)
“声”は少しだけ間を置く。
そして。
――ならば
地面が揺れる。
昨日より、はっきりと。
砂が流れる。
下が“開く”
だが。
完全ではない。
入口のような。
深くはない。
覗き込める程度。
――ここまでだ
エレノアは止まる。
それ以上は進まない。
ネファルが言う。
(試されている)
ラグナが言う。
(無理に行くなよ)
ヴェルナシアが囁く。
(ここは境界)
エレノアはゆっくり頷く。
“声”に向けて。
(はい)
一歩だけ前に出る。
砂の縁。
そこに立つ。
下は暗い。
深い。
底が見えない。
だが。
“いる”
確実に。
――感じるか
エレノアは答える。
(はい)
――ならば
その瞬間。
足元から“何か”が伝わる。
力ではない。
圧でもない。
“記憶のようなもの”
重い。
長い。
そして。
失われてきたもの。
森。
水。
崩れていく地。
削られる流れ。
奪われる力。
エレノアの呼吸がわずかに乱れる。
ネファルが言う。
(見せられている)
ヴェルナシアが言う。
(過去)
ラグナが言う。
(……怒ってるな)
エレノアは目を閉じる。
拒まない。
逃げない。
ただ、受け取る。
やがて。
“それ”は止まる。
沈黙。
そして。
――どうする
問いだった。
初めての。
明確な。
エレノアは目を開ける。
少しだけ時間を置く。
そして言った。
(……まだ、分かりません)
正直に。
偽らず。
そのまま。
沈黙。
だが。
“閉じなかった”
ネファルが言う。
(拒絶されていない)
ヴェルナシアが言う。
(選ばれた)
ラグナが言う。
(気に入られたな)
“声”が言う。
――来い
昨日と同じ言葉。
だが。
意味が違う。
“拒まれていない招き”
エレノアは一歩下がる。
(……もう少し準備します)
沈黙。
そして。
ほんのわずか。
――そうか
それは。
初めての“承認”だった。
砂が戻る。
開いていた場所が閉じる。
静かに。
何もなかったかのように。
だが。
繋がりは残っている。
エレノアは振り返る。
ゆっくり歩く。
戻る。
キャンプへ。
レナが起きていた。
何も聞かない。
ただ一言。
「深くなったな」
エレノアは頷く。
「はい」
それだけで伝わった。
夜の空は静かだった。
だが。
足元の世界は。
確実に、動き始めていた。




