第207話 呼び声
夜。
砂漠は、昼とは別の世界だった。
冷たい風が地面を撫でる。
火は小さい。
音も少ない。
隊は静かに休んでいた。
エレノアも目を閉じていた。
眠りは浅い。
砂の上は落ち着かない。
だが。
――呼ばれる
目を開ける。
何もない。
暗い空。
星が遠い。
隣ではレナが眠っている。
周囲も静かだった。
だが。
“ある”
ネファルが低く言う。
(感じるか)
エレノアは小さく頷く。
(はい)
ヴェルナシアが囁く。
(風が寄っている)
ラグナが言う。
(あの場所だな)
エレノアはゆっくり立ち上がる。
足音を立てないように。
外套を軽く羽織る。
レナがわずかに目を開けた。
「……どこ行く」
小さな声。
エレノアは振り返る。
「少しだけ」
レナは数秒だけエレノアを見る。
そして言う。
「戻れ」
「無理はするな」
エレノアは頷いた。
それだけで十分だった。
砂の上を歩く。
夜の砂は冷たい。
昼とは別の質感。
あの場所へ向かう。
距離はそれほどない。
だが。
近づくほどに、空気が変わる。
重い。
音が吸われるような感覚。
そして。
足が止まる。
「……ここ」
昼と同じ場所。
だが。
違う。
ネファルが言う。
(開いている)
ヴェルナシアが囁く。
(風が入っていく)
ラグナが低く言う。
(起きてるな)
エレノアはゆっくり砂に触れる。
その瞬間。
“声”
頭の奥に直接届く。
言葉ではない。
音でもない。
だが、確かに“意味”を持っている。
――遅い
エレノアの呼吸が止まる。
ネファルが言う。
(応答するな)
だが。
声は続く。
――ようやく来た
ラグナが低く唸る。
(誰だ)
ヴェルナシアが静かに言う。
(……古い)
エレノアは動かない。
ただ聞く。
拒絶しない。
だが、踏み込まない。
その距離を保つ。
“声”が近づく。
地の奥から。
重く。
ゆっくりと。
――軽いな
その言葉に。
わずかな違和感。
エレノアは静かに答えた。
声には出さない。
(……何がですか)
ネファルがわずかに沈黙する。
ラグナが言う。
(返したか)
“声”は揺れた。
一瞬。
わずかに。
――……人間か
ヴェルナシアが低く言う。
(違う)
エレノアは何も言わない。
ただ立っている。
逃げない。
構えない。
“声”が変わる。
――壊しに来たのではないのか
エレノアはゆっくり息を吸う。
(……違います)
沈黙。
長い。
だが。
完全には閉じない。
“繋がっている”
ネファルが言う。
(切れていない)
ラグナが言う。
(面白ぇな)
ヴェルナシアが囁く。
(試されている)
エレノアは静かに言った。
(あなたは、ここにいるのですか)
“声”は答えない。
だが。
地面がわずかに震えた。
砂が流れる。
ほんの少しだけ。
――来い
その一言。
エレノアの足が止まる。
それ以上、進めない。
ネファルが言う。
(ここまでだ)
ラグナが言う。
(まだ早い)
ヴェルナシアが言う。
(今は入る場所ではない)
エレノアは頷く。
“声”に向けて。
(……また来ます)
返事はない。
だが。
繋がりは消えなかった。
エレノアはゆっくり後ろへ下がる。
一歩。
また一歩。
距離を取る。
やがて。
“声”は遠くなる。
消える。
完全には。
消えないまま。
キャンプへ戻る。
レナが起きていた。
「……どうだった」
エレノアは短く答える。
「います」
レナはそれ以上聞かない。
ただ一言。
「分かった」
それで十分だった。
エレノアは座る。
空を見上げる。
星は変わらずそこにある。
だが。
足の下の世界は。
確実に動き始めていた。




