第197話 名を持つ研究者
地下施設の空気は静まり返っていた。
戦闘の痕跡。
砕けた結晶。
倒れた人工召喚獣。
その中央で、黒い外套の男が静かに立っている。
レナが槍を構えたまま言う。
「まだ帰らないのか」
男は少しだけ笑った。
「帰る?」
「ここは私の施設だ」
グレンが斧を肩に乗せる。
「じゃあ今から壊す」
男はそれを聞いても慌てない。
むしろ、興味深そうにエレノアを見ていた。
「君」
エレノアは黙っている。
男はゆっくり言う。
「召喚士だな」
カイルが小さく息を飲む。
この世界で“召喚士”は珍しい。
ましてや、複数の召喚存在と契約している者など、ほとんどいない。
男は続ける。
「契約している召喚存在」
「炎」
「影」
「そして風」
ヴェルナシアの気配が、静かに揺れる。
男の目が少しだけ細くなる。
「……面白い」
レナが苛立つ。
「何が言いたい」
男は肩をすくめる。
「驚いているだけだ」
「古い召喚術が、まだ残っていたとは」
エレノアが言う。
「あなたは」
男はその言葉を待っていたようだった。
少しだけ笑う。
「名を聞くのか」
ヴァルクは黙って男を見ている。
男はゆっくり言った。
「研究者だ」
レナが言う。
「それは聞いた」
男は続ける。
「召喚存在の力を研究している」
カイルが言う。
「研究……?」
男は地下の装置を見る。
「そう」
「召喚獣は、世界で最も効率の良い魔力源だ」
その言葉に、エレノアの胸がわずかに痛む。
男は続ける。
「だが人は、それを使わない」
「契約だの、意思だの」
「無駄な手順が多い」
ラグナが低く言う。
(殴るか)
ネファルが言う。
(まだだ)
ヴェルナシアが囁く。
(嵐は、焦らない)
男はエレノアを見る。
「君は違う」
エレノアは静かに言う。
「違いません」
男は少し首を傾げる。
「だが君は、彼らの力を借りている」
エレノアは答える。
「借りていません」
「共にいます」
男はその言葉を聞いて、ほんの少しだけ笑った。
「……理想だ」
そして一歩下がる。
「だが」
「君の存在は、興味深い」
ヴァルクが言う。
「名を」
男は少し考えた。
そして言う。
「……アルベルト」
地下施設に、その名が落ちた。
レナが呟く。
「研究者アルベルト」
グレンが言う。
「聞いたことないな」
アルベルトは肩をすくめる。
「表に出る名前ではない」
そして地下通路の奥を見る。
「だが」
「もうすぐ出る」
カイルが眉をひそめる。
「何が」
アルベルトは答えない。
代わりにエレノアを見る。
「召喚士」
「また会おう」
その瞬間。
床の結晶装置が光った。
魔力の閃光。
視界が白く染まる。
レナが叫ぶ。
「転移だ!」
光が消えた時。
アルベルトの姿は消えていた。
地下施設には、再び静寂が戻る。
レナが槍を床に突く。
「逃げられた」
ヴァルクは装置を見る。
「……いや」
「最初から逃げるつもりだった」
カイルが言う。
「でも名前は分かりました」
グレンが言う。
「アルベルト、か」
エレノアは装置を見ていた。
ネファルが低く言う。
(始まった)
ラグナが笑う。
(面白くなってきた)
ヴェルナシアが囁く。
(嵐の種)
地下の奥。
地脈の流れ。
そして。
まだ見ぬ装置。
遠征は終わっていない。
むしろ。
ここからが本当の始まりだった。




