第169話 鉄の音
鍛冶場は通りの奥にあった。
開け放たれた扉から、一定の音が流れてくる。
――カン。
――カン。
――カン。
迷いのない打撃。
エレノアは入口で立ち止まった。
熱気が頬を撫でる。
しばらく音を聞いてから、控えめに声をかける。
「……作業中に失礼します」
鎚の音が止まった。
金床の前に立つ男が振り向く。
昨日、酒場で会った鍛冶師だ。
「箱の娘か」
エレノアは小さく頷く。
「少し、見せていただいてもいいでしょうか」
男は顎で中を示す。
「好きに見ろ。ただし熱いぞ」
炉は炭火だけだ。
魔法炉は使っていない。
赤くなった鉄が金床に置かれる。
――カン。
火花が散る。
「農具ですか」
エレノアが問う。
「鎌だ」
男は答え、もう一打ち。
――カン。
「地脈炉は使わないのですか?」
男は鎚を止めない。
「使えば早い。だが軽くなる」
「軽く……ですか」
「強く引けば、鉄が痩せる」
鎚が止まる。
男は刃先を見せる。
「折れやすい」
エレノアは刃の線を追う。
荒いが、芯が通っている。
ラグナが低く言う。
(地脈を引けば、もっと楽だ)
ネファルが静かに返す。
(楽と強さは同義ではない)
エレノアは小さく息を吸う。
「急がないのですね」
男は一瞬だけこちらを見る。
「急げば戻らねぇ」
鎚を握り直す。
「土も鉄もな」
その言葉に、ミラの畝が浮かぶ。
根の浅い苗。
乾いた土。
⸻
隅では若い見習いが釘を打っている。
小さな鉄片を慎重に叩く。
「魔法でまとめて作ることは?」
エレノアが尋ねる。
見習いが首を振る。
「早いですけど、弱いです」
鍛冶師が続ける。
「手で打つと癖が残る」
「癖、ですか」
「使う奴の癖だ」
エレノアは頷く。
箱も同じだ。
風の通り方。
湿布の重なり。
作る者の感覚が残る。
⸻
鍛冶師は鎌を水桶に沈めた。
じゅ、と蒸気が立つ。
水面が揺れる。
「箱、もう一つ頼めるか」
男が言う。
「刃を保ちたい」
エレノアは微笑む。
「布を替えれば、湿気は抑えられます」
男は短く笑う。
「火も氷も使わずにか」
「風と水です」
「面倒だな」
「少しだけ、です」
見習いが口を挟む。
「地脈使えば楽なのに」
鍛冶師は鎚を置いた。
「楽は続かねぇ」
その声は強くない。
だが、重い。
⸻
外で子どもが鉄くずを拾っている。
見習いが声をかける。
「指を切るなよ」
子どもは笑い、走り去る。
鍛冶場にまた音が戻る。
――カン。
――カン。
派手な魔法はない。
召喚もない。
ただ、火と鉄。
エレノアは静かに言う。
「長く使えるものは、静かですね」
鍛冶師は答えない。
ただ、打つ。
その背中が、肯定だった。
ラグナが呟く。
(面倒な街だな)
ネファルが応じる。
(壊れにくい街だ)
エレノアは振り返らず、工房を出た。
背後で、鉄を打つ音が続く。
一定のリズム。
この街は、まだ急いでいない。




