第十七話 それ、前も言われました
畑の端で、リーナは鍬を持ったまま立っていた。
向こうでは、年配の男性が作業を続けている。
手際はいいけれど、少し急いでいる。
「……あ」
鍬が、踏まない方がいい場所に入った。
リーナの口が、反射的に開きかける。
「ちょっ――」
そこで、止めた。
(……待って)
エレノアの顔が、ふっと浮かぶ。
言わなかった。
すぐには、動かなかった。
リーナは、ぐっと息を吸って、
一歩だけ前に出た。
男性が、ようやく足元を見る。
「あれ……?」
鍬を止めて、眉をひそめる。
「……今の、
ちょっと、やっちゃったか?」
リーナは、少し間を置いてから言った。
「……今なら、
まだ、大丈夫だと思います」
男性が、顔を上げる。
「大丈夫?」
「はい。
深くは入ってないので」
言い切りじゃない。
でも、逃げない声。
男性は、少し考えてから言った。
「どうしたらいい?」
リーナは、足元を指さす。
「……押さえないで、
ちょっとだけ、待ってもらえます?」
「待つ?」
「はい。
今、触ると、
逆に、広がっちゃうので」
男性は、半信半疑のまま、
鍬を置いた。
「……こう?」
「……はい。
それで」
数秒、沈黙。
土の表面が、ゆっくり落ち着いていく。
「あ……」
男性が、少し驚いた声を出す。
「戻ってきてるな」
リーナは、ほっと息を吐いた。
「……よかった」
男性は、照れたように笑う。
「急いでたな。
助かったよ」
「……いえ」
リーナは、首を振った。
「私も、
この前、
同じこと、
やっちゃったので」
「そうか」
男性は、もう一度土を見てから、
作業を再開した。
その背中を見送って、
リーナは畑の端に戻る。
胸が、少し熱い。
「……今の、
私が言ったんだよね」
小さく、独り言。
そのとき。
「リーナ」
後ろから、声がした。
振り向くと、
エレノアが立っている。
「……見てた、んですか」
「……はい」
エレノアは、畑の方を見ながら言った。
「……上手でした」
リーナの目が、少し大きくなる。
「え?
いや、
私、勝手に……」
「……勝手じゃ、ないです」
エレノアは、首を振る。
「……ちゃんと、
見てから、
声、出してました」
リーナは、少し照れたように笑う。
「……前に、
エレノアさんに、
言われたのと、
同じこと、
言っちゃいました」
エレノアは、一瞬だけ黙ってから、
小さく笑った。
「……そう、ですか」
「なんか……
口から、
そのまま、
出てきました」
「……あります」
「え?」
「……考える前に、
出るとき」
リーナは、ふっと肩の力を抜いた。
「じゃあ、
ちゃんと、
覚えてたんですね」
「……たぶん」
二人の間に、
短い沈黙。
でも、気まずくはない。
リーナが、ぽつりと言う。
「……私、
前だったら、
すぐ、
止めてました」
「……はい」
「でも、
それだと、
相手、
自分で気づかないまま、
終わっちゃうんですよね」
エレノアは、静かに頷いた。
「……気づけると、
次、
違います」
「ですよね」
リーナは、畑を見渡す。
「……なんか、
エレノアさん、
不思議です」
「……よく、
言われます」
同じ返事。
でも、今日は少し笑っている。
影の気配が、
背後で、静かに揺れた。
「……広がってますね」
リーナが、冗談っぽく言う。
「……何が」
「やり方、
というか……
空気?」
エレノアは、少し考えてから答えた。
「……仲間が、
増えた、
だけです」
リーナは、にっと笑った。
「じゃあ、
私も、
その仲間ですね」
エレノアは、一瞬迷ってから、頷いた。
「……はい」
風が、畑を抜ける。
杭の影が、
いくつにも伸びていた。
名は、まだ無い。
でも――
言葉は、ちゃんと残っていた。
(つづく)




