第十六話 手を出さない勇気
昼前、畑に差し込む光が少し強くなった。
雲の切れ間から射す日差しが、
湿った土をゆっくり乾かしていく。
エレノアは、畑の端に腰を下ろしていた。
作業はしない。
今日は、見る日だ。
少し離れた場所で、リーナが一人、動いている。
昨日より、手つきは落ち着いていた。
踏まない場所を意識し、
水路の縁も避けている。
――大丈夫そう。
そう思った、次の瞬間だった。
「……あ」
短い声。
鍬の先が、
避けるはずだった場所に、
少しだけ触れた。
大きな失敗じゃない。
土が崩れたわけでもない。
でも、
空気が、きゅっと縮んだ。
エレノアの体が、反応する。
――今なら、戻せる。
――一言、言えば。
立ち上がりかけて、
止まった。
胸の奥で、
あの感覚が疼く。
仕事で、何度もあった場面。
相手のために、先に動いてしまう衝動。
でも。
「……」
エレノアは、動かなかった。
影の気配が、背後で揺れる。
――行くか。
「……待って」
心の中で、そう答えた。
リーナは、鍬を止め、
足元をじっと見つめている。
数秒。
いや、十秒。
「……今の、
触っちゃダメなとこ……ですよね」
自分で、気づいた。
エレノアの胸が、
静かに跳ねた。
「……はい」
短く答える。
リーナは、唇を噛んでから、
ゆっくりと鍬を置いた。
「……すみません」
「……大丈夫です」
すぐに言った。
「……戻せます」
リーナは、驚いたように顔を上げる。
「本当ですか」
「……はい。
今なら」
エレノアは、近づき、
指先で土の状態を示す。
触れない。
説明だけ。
「……ここ、
押さえずに、
少し待てば……」
リーナは、頷きながら聞いている。
自分の失敗を、
ちゃんと見ている。
影の気配が、
少しだけ遠のいた。
――正解だ。
エレノアは、息を吐いた。
――助ける、って。
――やることじゃない。
――“待つ”ことも、含まれる。
リーナが、ぽつりと言う。
「……言われなくても、
気づけたの、
初めてです」
エレノアは、少し驚いてから、
微笑んだ。
「……それ、
すごいことです」
「でも、
見ててくれたからですよね」
「……はい」
否定しなかった。
「……一人だったら、
多分、
気づいても、
誤魔化してました」
エレノアは、黙って頷く。
それも、
よく知っている感覚だった。
作業を再開するリーナの背中は、
さっきより、少しだけ落ち着いている。
影が、
杭のそばで、静かに揺れた。
――名がなくても、
――役割は、伝わる。
「……はい」
エレノアは、
もう一度、腰を下ろした。
今日は、手を出さなかった。
でも――
関係は、前に進んだ。
それが、分かる。
風が、畑を抜ける。
杭の影が、
少しだけ長く伸びていた。
(つづく)




