第101話 切り取られた言葉
違和感は、
先に耳に届いた。
「……迷ったら、立ち止まれ」
聞き覚えのある言葉だった。
市場の片隅。
人だかりの中心で、若い男が声を張っている。
「召喚に頼るな」
「安易に呼ぶな」
「止めた召喚士も、そう言っている!」
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エレノアは、足を止めた。
(……来たな)
ネファル=ディアの声が、低く沈む。
「……はい」
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男の手には、紙があった。
エレノアが書いたものと、
ほとんど同じ。
でも――
行が、削られている。
これは万能な守りではありません
迷ったら
立ち止まってください
それだけ。
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「……それで」
「どうなるんですか?」
エレノアは、人混みの外から声をかけた。
男が振り向く。
「……何だ、あんた」
「……続きを」
「読んでいませんね」
男は、眉をひそめる。
「続きを?」
「これが全部だ」
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「……違います」
エレノアは、一歩前に出る。
「“使える時と、使えない時がある”」
「“判断は、現場で違う”」
「それも」
「書いてあります」
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周囲が、ざわつく。
「……削ったのか?」
「……都合よく?」
男は、少しだけ言葉に詰まる。
「……分かりにくかったからだ」
「皆に伝えるには」
「簡単な方がいい」
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「……簡単にすると」
エレノアは、静かに言う。
「考えなくて、よくなります」
男は、反論しようとして、止まる。
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「……あなたは」
「悪くありません」
エレノアは、はっきり言った。
「でも」
「あなたのやり方は」
「私の言葉を、別の意味にしています」
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「……じゃあ、どうしろって言うんだ!」
男の声が、少し荒くなる。
「召喚は危ない」
「それを言いたいだけだ!」
「……危ない時も、あります」
「でも」
「必要な時も、あります」
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沈黙。
人々の視線が、
二人の間を行き来する。
「……私は」
エレノアは、息を吸う。
「“呼ぶな”とは、言っていません」
「“考えずに使うな”と」
「言いたかっただけです」
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誰かが、小さく呟く。
「……それ、難しいな」
「……でも」
「逃げられない話だ」
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男は、しばらく黙っていた。
やがて、紙を握り直す。
「……全部、読ませると」
「誰も、聞かなくなる」
エレノアは、首を振った。
「……それでも、です」
「聞かれなくても」
「誤解されるより、ましです」
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しばらくして。
男は、紙を折りたたんだ。
「……分かった」
「削るのは、やめる」
それは、完全な理解ではない。
でも――
線は、戻った。
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人だかりが、ゆっくり散っていく。
エレノアは、その場に立ち尽くす。
「……疲れました」
(ああ)
ネファル=ディアが応じる。
(戦うより、な)
「……はい」
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遠い現実の世界で。
しおりは、
自分の言葉が誤解された場面を思い出していた。
優しさが、
逃げだと思われた日。
説明しても、
伝わらなかった夜。
「……それでも」
「……言い直すしか、ない」
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エレノアは、空を見上げる。
言葉は、
残せば残すほど、削られる。
でも。
削られるたびに、戻しに行くしかない。
それが、
戦わない彼女の、いちばん消耗する戦いだった。
そして――
それでも彼女は、言葉を引っ込めなかった。




