第十一話 助けられる、ということ
畑に変化が現れたのは、昼前だった。
風が止み、
雲が少し厚くなり、
空気が、わずかに重くなる。
「……あれ?」
エレノアは、杭のそばで立ち止まった。
昨日まで、確かに落ち着いていた土が、
今日は少しだけ――ざわついている。
悪い変化ではない。
でも、落ち着かない。
「……何か、
違う……」
しゃがみ込み、土に触れようとした瞬間。
――触らなくていい。
そんな感覚が、胸に流れ込んだ。
「……え?」
声に出すより先に、
エレノアは手を止めていた。
影が、杭の影の中で揺れる。
昨日よりも、少しだけ輪郭がはっきりしている。
名は、まだ無い。
でも、意志がある。
――今は、待って。
「……」
エレノアの胸が、きゅっと縮む。
助言だ。
それも、正しい。
でも――
「……私、
何もしない方が……いい?」
問いかけは、独り言に近い。
影は、否定しない。
肯定もしない。
ただ、
“代わりに動こうとする”気配を見せた。
その瞬間、
畑の奥で、土がわずかに沈んだ。
水路の端。
昨日まで、水が溜まりやすかった場所。
土が、自分から流れを変えた。
「……っ」
エレノアは、思わず立ち上がる。
――私がやるはずだった。
――気づいて、整えるのは……。
胸の奥に、
小さな焦りが生まれる。
影は、ゆっくりと畑を“見る”。
人の目線じゃない。
もっと広い、上からの感覚。
――ここは、休ませる。
――ここは、流す。
「……待って」
エレノアは、思わず声を出していた。
影の動きが、止まる。
「……それ、
私の役目……です」
声が震える。
怒っているわけじゃない。
責めたいわけでもない。
ただ――
置いていかれる気がした。
仕事で、何度も感じた感覚。
自分が関わる前に、
誰かが“良かれと思って”代わってしまうときの、
あの、微妙な距離。
影は、しばらく沈黙した。
――違う。
短い感覚が、返ってくる。
――奪っていない。
――補っている。
エレノアは、ぎゅっと唇を噛んだ。
「……それが、
怖いんです」
影は、揺れた。
「……助けてもらうの、
嫌いじゃないです」
本当だ。
一人で抱えるより、ずっと楽だ。
「でも……
全部、やってもらうと……」
言葉が、うまく続かない。
――私は、ここに居なくてよくなる。
その思考に、
自分でも、はっとする。
影が、ゆっくりと近づく。
近いけれど、触れない距離。
――役目は、分けられる。
胸の奥に、
少しだけ、温かい感覚が広がった。
――お前は、見る。
――整える。
――私は、支える。
エレノアは、目を閉じた。
「……勝手に、
やらないでください」
お願いだった。
「……相談、
してください」
影は、少しだけ揺れてから、
動きを止めた。
――了解。
その一言が、
胸の奥に、すとんと落ちる。
エレノアは、深く息を吐いた。
「……ありがとう」
助けられることは、
負けじゃない。
でも、
関係を続けるなら、
境界線は必要だ。
影は、再び畑の一部に留まる。
出しゃばらない。
引きすぎもしない。
“待つ”という選択。
エレノアは、土に触れた。
今度は、
ちゃんと分かる。
「……ここは、
私がやります」
影は、何も言わない。
ただ、
背後に居る。
それだけで、
心が少し、軽かった。
ミラの声が、遠くから聞こえる。
「エレノアー?
大丈夫?」
「……はい」
振り返って、答える。
「……少し、
話し合ってました」
ミラは一瞬きょとんとして、
すぐに笑った。
「そっか。
なら、いいね」
エレノアは、もう一度、杭を見る。
名は、まだ無い。
でも――
役割は、少しずつ決まり始めている。
それは、
命令でも、契約でもない。
一緒に、続けるための形。
エレノアは思った。
――助けられる、ということは。
――一緒に、責任を持つ、ということだ。
(つづく)




