第96話 届かないところ
その異変は、
「事件」と呼ぶには静かすぎた。
被害は、ない。
叫び声も、ない。
ただ――
戻らなかった。
「……この集落、ですね」
エレノアは、地図と目の前の景色を見比べる。
人はいる。
家もある。
でも、
呼応が、ない。
(……拒んでいる)
ネファル=ディアの声が、低く沈む。
「……はい」
⸻
近づいても、
誰も出てこない。
扉は閉じていない。
窓も、割れていない。
それなのに、
視線だけが、感じられる。
「……すみません」
エレノアは、声を張らずに呼びかける。
「通りすがりの召喚士です」
返事は、ない。
⸻
しばらくして、
一人の老人が、ゆっくり姿を現した。
警戒はしている。
でも、敵意ではない。
「……何をしに来た」
低く、疲れた声。
「……様子を、見に」
正直な答えだった。
⸻
老人は、しばらくエレノアを見てから言う。
「……止めた人だな」
胸が、わずかに軋む。
「……噂で」
「……はい」
エレノアは、否定しない。
⸻
「……あんたのせいでな」
老人の声は、責めていない。
ただ、
事実を置いている。
「……来なくなった」
「……何が、ですか」
「召喚士が」
⸻
エレノアは、言葉を失った。
「……ここは」
「以前、召喚を頼んでいた」
「小さな守りだ」
「獣除け程度の」
「でもな」
老人は、視線を落とす。
「……今は、誰も引き受けない」
⸻
「……理由は?」
「“止められるかもしれない”からだ」
その言葉が、
静かに、深く刺さる。
⸻
「……あんたが悪いとは、思ってない」
老人は、続ける。
「だがな」
「怖いんだ」
「来て」
「止められて」
「帰られたら」
「……次は、どうすればいい?」
⸻
エレノアは、
すぐに答えられなかった。
守った。
止めた。
返した。
でも――
**残された側の“その後”**を、考えていなかった。
⸻
「……私は」
声が、少し掠れる。
「……止めることは、出来ます」
「でも」
「代わりになるものを」
「……用意していませんでした」
老人は、頷いた。
「……それだ」
⸻
沈黙。
風が、草を揺らす。
(……見えたな)
ネファル=ディアの声。
(お前の戦い方の)
(届かぬ場所だ)
「……はい」
⸻
「……あなたが、正しいのは分かる」
老人は、最後にそう言った。
「でもな」
「正しいだけじゃ、足りない」
「守られた後に」
「どう生きるかを」
「誰かが、示さなきゃならん」
⸻
エレノアは、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「……考えます」
逃げなかった。
でも、解決もしていない。
⸻
集落を離れたあと、
エレノアは、足を止める。
「……私は」
「……“止める人”になってしまいました」
(ああ)
ネファル=ディアが、静かに応じる。
(だが)
(それは、始まりだ)
⸻
「……次は」
エレノアは、拳を握る。
「……“代わり”を、用意しないと」
「止めるだけじゃなく」
「……支える方法を」
それは、
召喚士の枠を、越える問いだった。
⸻
遠い現実の世界で。
しおりは、
誰かを助けたあと、ふと立ち尽くしていた。
「……助けた、よね」
「……でも」
「このあと、どうなるんだろう」
同じ疑問。
同じ、足りなさ。
⸻
エレノアは、歩き出す。
今度は、
止めるためではない。
繋ぐために。
守ったあとに、
人が立てる場所を作るために。
それが、
彼女の次の戦いになる。




