第93話 線を引く者
扉は、音もなく閉じた。
部屋は広くない。
だが、余計なものが一切ない。
机と、椅子が二つ。
窓はあるが、外は見えない。
ヴァルクは、すでに座っていた。
立ち上がらない。
歓迎もしない。
ただ、
そこに在る。
「……来たか」
低く、落ち着いた声。
「……はい」
エレノアは一礼し、椅子に座る。
背筋は伸ばした。
でも、力は入れすぎない。
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沈黙。
長いわけではない。
だが、
意図的な間だった。
ヴァルクは、
エレノアをじっと見る。
視線は、評価ではない。
威圧でもない。
測定だ。
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「まず、確認する」
ヴァルクが口を開く。
「君は」
「規定を理解した上で、召喚を止めたな」
「……はい」
即答。
「善意か」
「……はい」
「結果を、想定していたか」
「……ある程度は」
ヴァルクは、頷いた。
⸻
「では、聞こう」
声の調子が、わずかに変わる。
「君は」
「自分が何を壊しかけたか」
「理解しているか?」
部屋の空気が、締まる。
エレノアは、すぐに答えなかった。
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「……秩序です」
慎重に、言葉を置く。
「召喚士が」
「勝手な判断で」
「工程に介入していいという前例」
「……はい」
ヴァルクは、否定しない。
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「なら、なぜ止めた」
問いは、短い。
責めていない。
だが、
逃がさない。
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エレノアは、
一度、息を吸った。
「……あれは」
「召喚では、ありませんでした」
「……ほう」
「消耗品の使用です」
言い切った。
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ヴァルクの眉が、ほんの僅かに動く。
「強い言葉だな」
「……はい」
「だが、規定上は」
「召喚に含まれる」
「……承知しています」
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再び、沈黙。
ヴァルクは、
椅子に深く座り直した。
「君は」
「“切る”より先に止めた」
「……はい」
「それは」
「君の思想だな」
「……はい」
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「思想は、罪ではない」
ヴァルクは、淡々と言う。
「だが」
「広がる思想は、武器になる」
「……はい」
「それを」
「君は、止められない」
エレノアは、目を逸らさなかった。
「……はい」
⸻
「では」
ヴァルクは、少し身を乗り出す。
「誰が責任を取る」
「君か」
「世界か」
その問いは、
鋭く、深い。
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エレノアは、
胸の奥が締め付けられるのを感じた。
でも、
ここで揺らぐわけにはいかない。
「……私です」
声は、震えなかった。
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「ほう」
「……私が止めました」
「だから」
「私が、線を引きます」
「どうやって?」
「……説明します」
エレノアは、はっきり言う。
「止めた理由を」
「止めていい条件を」
「止めてはいけない線を」
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ヴァルクは、
じっと彼女を見る。
長い。
だが、
目を逸らさない。
⸻
「……君は」
低い声。
「自分が」
「裁定者の位置に立ちかけている」
「自覚しているか」
「……はい」
それは、
一番重い言葉だった。
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再び、沈黙。
やがて、
ヴァルクは、ゆっくりと立ち上がる。
「……いいだろう」
エレノアの胸が、わずかに揺れる。
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「処分はしない」
「だが」
「監視はする」
「……はい」
「君の判断が」
「誰かの免罪符になる前に」
「……はい」
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ヴァルクは、扉に手をかける。
「一つだけ言っておく」
振り返らずに、言う。
「君は」
「正しいかどうかで、見られない」
「危険かどうかで、見られる」
⸻
扉が開く。
「……理解しています」
エレノアは、そう答えた。
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一人残された部屋で、
エレノアは、静かに息を吐く。
「……重たいですね」
(ああ)
ネファル=ディアの声。
(だが)
(認められた)
「……はい」
それが、
救いかどうかは分からない。
⸻
遠い現実の世界で。
しおりは、
説明を求められる場に立っていた。
「……どうして、そう思ったの?」
その問いに、
一瞬、言葉が詰まる。
でも。
「……ちゃんと、理由はあります」
そう言って、
顔を上げた。
⸻
エレノアは、部屋を出る。
世界は、まだ壊れていない。
だが――
彼女は、もう“ただの召喚士”ではない。
線を引く者。
そして、
その線の責任を負う者。
静かな圧は、
確かに、彼女の中に残っていた。




