第89話 正しさの外側
その報せは、
翌日の朝には届いていた。
正式な通達でも、
警告でもない。
ただの――
共有事項。
「……“現場介入の報告”」
エレノアは、書面を読みながら小さく息を吐いた。
名前は、伏せられている。
だが、内容ははっきりしていた。
無許可で召喚工程に介入した者がいる
結果として、召喚は中断された
被害は確認されていない
事実だけが、並んでいる。
評価も、非難もない。
それが、
一番重かった。
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(来たな)
ネファル=ディアの声が、低く響く。
「……はい」
(想定していたか)
「……していました」
エレノアは、視線を落とさずに答えた。
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昼過ぎ。
呼び出しは、突然だった。
場所は、詰所の一室。
立会人は、三人。
全員、敵ではない。
だが――
味方でもない。
「……事実確認だけだ」
年配の調査官が、そう切り出す。
「君が、召喚陣に干渉したのは本当か」
「……はい」
即答だった。
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「その行為が」
「規定外であることは?」
「……承知しています」
「危険性は?」
「……理解しています」
一つ一つ、
逃げ道を塞ぐ質問。
エレノアは、
言い訳をしなかった。
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「では、なぜ止めた」
空気が、少し張り詰める。
エレノアは、
一拍置いた。
「……“切る前”だったからです」
その言葉に、
調査官の一人が眉をひそめる。
「……意味が分からないな」
⸻
「切る、という判断は」
「最終手段です」
エレノアは、
言葉を選びながら続ける。
「でも」
「“使い捨てる”やり方は」
「切るより先に」
「壊します」
沈黙。
⸻
「……君の判断だな」
「はい」
「規定では、どう扱う?」
エレノアは、
はっきり答えた。
「……違反です」
その言葉に、
誰かが小さく息を吸う。
⸻
「……それでも?」
問いは、静かだった。
「……それでも」
「止めます」
エレノアは、
目を逸らさなかった。
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調査官は、
しばらく黙っていた。
やがて、
ゆっくりと書類を閉じる。
「……処分は、保留とする」
エレノアは、
その言葉に安堵しなかった。
(軽くは、終わらん)
ネファル=ディアの声。
「……はい」
⸻
「ただし」
調査官は、続ける。
「次からは」
「君の判断は、前例になる」
「……理解しています」
「君が止めたことで」
「他の者が、同じ行動を取る可能性がある」
「……はい」
⸻
「その責任を」
「背負えるか?」
それが、
本当の問いだった。
エレノアは、
一瞬だけ、目を閉じる。
怖い。
正直、怖い。
でも――
昨日のあの影を、思い出す。
「……背負います」
その声は、
震えていなかった。
⸻
詰所を出たあと、
エレノアは、壁に手をついた。
「……重いですね」
(ああ)
ネファル=ディアが、静かに応じる。
(だが)
(お前は)
(正しさの“中”ではなく)
(外側に立った)
「……はい」
「……戻れませんね」
(戻る必要も、ない)
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その夜。
しおりは、
少しだけ後悔していた。
昼間、
誰かにきつい言い方をしてしまった。
「……でも」
布団の中で、呟く。
「……黙らなかったのは、私だ」
心臓が、少しだけ早い。
それでも、
眠れた。
⸻
エレノアは、夜空を見上げる。
正しさは、守ってくれない。
むしろ――
孤立させる。
それでも。
越えてはいけない線を越えさせなかった。
それだけで、
今日の選択は、間違っていなかった。
世界は、
少しだけ、厄介な方向へ動き始めた。
それは――
エレノアが「無視できない存在」になった証でもある。




