閻魔様は有給消化を満喫中!
地獄の裁きを一手に引き受ける閻魔大王。
赤い服と帽子に身を包み、帽子には「王」という文字が刻まれている。
顔は黒いヴェールで隠されており、口元しか見えない。
今代の閻魔大王は、喋らない。
右手に持ったシャクを、わずかに動かすだけで、鬼たちは命令を理解し、震えながら従った。
給料の良さに惹かれて働いている閻魔大王が、喋らない理由は単純だった。
若い女の声を出せば、舐められる。長い年月で得た結論だった。
――そんな閻魔様が、今日は、地獄にいない。
現在、地獄では「業務のホワイト化」を掲げ、有休消化の取得が推進されている。
彼女は部下に休暇を取らせるため、自ら有給休暇を消化することにした。
率先垂範というやつである。
行き先は人間界。
初めて訪れるその世界で、彼女はヴェールを外した。
年の頃は十七ほど。
白い肌に整った顔立ち。深紅の瞳が印象的だ。
腰まで伸びた濡れ羽色の髪は、日の光を艶やかに反射する。
服装を人間界に合わせたものに変え、どこにいくという目的もなく、賑やかな街を歩き始める。
ふと、目に入った看板を見上げた。
そこに描かれていたのは、様々な動物たちの姿。
「動物園か…。可愛い動物に癒される休日って、いいんじゃない…?」
鼻歌を歌いながら、向かった動物園。
しかし、園内に足を踏み入れた瞬間から、様子がおかしかった。
檻の中の動物たちは一斉に距離を取り、羽を逆立て、低く唸り声を上げる。
サルは甲高く警戒音を鳴らし、シカは怯えた目でこちらを見て、奥へと逃げていった。
周囲の客は気づいていない。
だが、本能で「死」の気配を察知する動物たちは、明確に彼女を拒絶し、遠ざかっていった。
歩けば歩くほど、動物はパニックを起こし、彼女から少しでも距離を取ろうと遠ざかる。
やがて彼女は、園内のベンチに腰を下ろした。
親子連れの賑やかさとは対称的に、彼女の周りは静かだ。
売店で買ったソフトクリームが、ゆっくりと溶けていく。
白いそれを黙々と食べながら、彼女は空を見上げた。
「私は、死者に囲まれているのがお似合いね……」
ぼんやりと園内を見ながら、ソフトクリームをちびちびと食べる。
視界の端に、「リクガメと触れあおう!」という特設コーナーを見つけた。
特設コーナーの少し手前で、巨大なリクガメが動かなくなっている。
飼育員が二人がかりで押しても、引いても、岩のように微動だにしない。
彼女はソフトクリームのコーンを口に放り込むと立ち上がり、近づいた。
リクガメはぼんやりと空を眺めていて、動く気配はない。
彼女は甲羅にそっと手を置く。
ざらりとした硬い感触。
しゃがみ込んで、飼育員に聞こえないほどの声で言った。
「動け」
リクガメは、しばらく沈黙したあと、ゆっくりと首を伸ばした。
その瞳が、彼女を見上げる。
百年生きる種類もいるという、長寿の生き物。
一万年以上生きている彼女に、何かを感じ取ったのだろうか。
リクガメは一度だけ、彼女の足元に頭を擦り寄せるような仕草を見せた。
それから、どっしりとした足を持ち上げ、踏み出した。
飼育員達が歓声を上げる。
「動いた!」
「このままふれあいコーナーまで、歩いてくれよ…!」
立ち去ろうとするリクガメの背に、指先で再び触れる。
「……長生きしなよ」
その声は、甲羅に吸い込まれて消えた。
翌日。
閻魔殿には、いつも通りの光景が戻っていた。
黒いヴェールをかぶり、高い椅子に座る閻魔様。
シャクが一振りされるたび、鬼たちは背筋を伸ばす。
「今日の閻魔様、一段と威厳があるな……」
そんな囁きが、殿内を巡った。
小休止の時間。
彼女は帳簿とカレンダーを並べて眺めていた。
「次の有給まで、あと百二十日か……」
懐から、小さなキーホルダーを取り出す。
動物園の売店で買った、素朴なカメの形をしたものだった。
ヴェールの下で、ほんのわずかに、彼女の口元が緩んだ。
原案:桜宮 桃江 / 著:蒼樹 ろーさ




