第1話 ギャルゲーマスターの俺が異世界転生?
「――変質者ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
中世風の街並みが広がる広場に、少女の悲鳴が突き刺さった。
人々の視線が一斉に俺へ向かい、眉がひそめられ、距離が開く。石畳の上で、俺はつるりと足をもつれさせ、それでも胸を張って言い返す。
「ま、待ってくれ! 俺は君を助けに来ただけだ! 今の台詞は、ギャルゲーなら好感度+5のやつだから!」
少女は肩を震わせ、涙目で首を横に振った。
「近寄らないで! ほんとに無理! 変質者!」
周囲の囁きが耳に刺さる。
「何だあのデブ」「うわ……」「豚が女の子に絡んでるぞ」
――おかしい。これは絶対におかしい。
俺は異世界転生で、たぶん、いや間違いなくイケメンになった。そうでなければ困る。ギャルゲーマスターの俺が導き出した定石は、必ず正しい。なのに、なぜ結果がこれなんだ。
俺は深呼吸し、つぶやく。
(……よし。混乱している場合じゃない。ここまでの経緯を整理しよう。なぜ俺が、美少女から“変質者”と叫ばれる羽目になったのか――)
記憶は、湿った匂いとともに遡っていく。
俺の名前は茂手泰造。三十八歳、独身、職歴なし。肩書きは自称“ギャルゲーマスター”。
小学生のころから、俺は太っていた。給食の時間、俺の皿を覗き込みながら誰かが笑う。
「おい豚、ブヒブヒ鳴けよ!」
「豚小屋に帰れっての!」
休み時間のドッジボールでは、ボール役を任されることもあった。笑い声は次第に校舎全体に染み込み、逃げ場はなくなっていった。
クラスメイトから浴びせられる嘲笑。好きな女からは「すごい名前だね」と半笑いで言われる始末。
俺は心に誓った。――二度と人間なんか信用するものか、と。
好きだったあの子にまで笑われた時、俺は悟った。
子どもの悪意は、それだけで人生を重くする。
人間関係? 削除だ。
俺の世界に残ったのは――画面の向こうのヒロインたちだけだった。
俺は毎晩、二次元の街角に立つ。季節イベントをこなし、選択肢を吟味し、セーブ&ロードを繰り返す。
やがてクリア本数は三桁を超え、全ルートコンプリートの栄光は俺の常識となる。
「俺に落とせぬヒロインはいない……俺は神だ。ギャルゲーの神だ」
だが現実は容赦なく俺を追い詰める。
一番の敵は、母親だった。
「いい加減、ハロワに行きなさい!」
「また求人チラシ捨てたでしょ!」
俺の聖域を荒らす母親に、俺はつい悪態をつくこともあった。
そしてある日、母はついに堪忍袋の緒を切った。
――俺のノートPCを、風呂に沈めたのだ。
「ぎゃああああああああっ!! やめろぉぉぉぉぉ!! 俺の嫁たちがあああああ!!」
ずぶ濡れになったPCを抱きしめ、俺は涙を流した。
数千時間の軌跡、愛と汗と涙の結晶。命より重いそれを母は奪ったのだ。
湯の中に沈む聖域。俺は迷わず腕を突っ込み、ずぶ濡れの機械を抱き寄せた。
そして、稲妻の針が体中を駆け巡る。
ビリビリビリッ――!
「ぴぎゃあああああああああっ!!」
俺の最後の言葉は、悲鳴とも鳴き声ともつかないものだった。
“命より重い”と本気で思っていたそれが、実際に命を奪いに来るとはな。
視界が暗く、遠く、静かになっていく。
草原の風が、頬を撫でた。
目の前には、光をまとった女神が立っている。白磁の肌、長い金髪、澄んだ瞳――完璧な立ち絵。背景は柔らかな逆光。
「……ふむ。お主、ずいぶんと強い執着心を持っておるな」
「うわ、本物の美人。序盤から最高レアのヒロインきた。初回限定のイベントCG、了解」
「私は女神だ。ヒロインではない。……いや、いい。話を続けよう。お主にチャンスを与える」
「チャンス? ってことは、異世界転生! 俺、こういう展開、身体に染みてます!」
「お前たちの世界で言うと異世界に当たるな。現世で果たせなかったことを、そこで果たすがよい」
「やった……! これで俺は、絶世の美少年に! ハーレム、作り放題!」
その瞬間、タイゾウのタイゾウがぴくりと反応した。世界を埋め尽くす光より先に、別の血が巡る。
「……お主、今、反応したな」
「これは違う! 違います! 純粋な感動が、たまたま別の血管も活性化しただけで!」
「最低だな」
「帰さないで! 真面目にやる、ちゃんと生き直すから! 勃ち上がりだけは早いけど心は清らかなんだ!」
「心が清らかな者はそんな言い方をしない。……まぁいい。モノを大切にする心は、嘘ではなかった。行け。新しい世界で、己の選択肢を選び直せ」
眩い光が俺を包み、何やら体の変化を感じる。
「なるほど……この光イケメンのショタに生まれ変わらせるんだな!何度もラノベで見た展開だぜ!」
そして光が弾け、足元の草が後ろへ流れる。新しい人生のロード画面が終わり、俺は次のマップへ降り立った。
最初に見えたのは、石畳を照らす斜陽だった。焼き立てのパンの香り、革と鉄の擦れる音、露店の喧噪。
息を吸い込むだけで、胸の奥が熱くなる。
「……これが、異世界」
市場には多彩な顔が行き交っている。逞しい腕、尖った耳、鮮やかな衣。どれも見慣れないのに、懐かしい。たぶん何千回も画面で見たからだ。
俺は足を大股に開き、腹を引っ込め、さりげなく胸を張った。視線がいくつか刺さる。うむ、やはりイケメンの存在感は隠せない。
「やめてください!」
耳の奥で鈴が鳴るような声が弾けた。
路地の入口で、金髪の美少女が二人組の男に袖を掴まれている。白い肌に浅い傷、揺れる青の瞳。王道中の王道だ。
(来た。初回のヒロイン救出イベント。ここは“即応+安心させる台詞+距離は半歩”。完璧にいける)
俺は走り出した。腹が揺れるたび、石畳がきしむ。だが気にしない。今はスピードよりタイミングだ。
「おい、お前ら! その子から手を離せ!」
振り返った男の片方が、俺を上から下まで眺めて鼻を鳴らす。
「なんだ、ブタが迷い込んだのか」
「どけよデブ。邪魔だ」
「デブ?何を言っている!イケメンショタだろ。わかったら手を――」
「イケメン?」
「ブタの間違いだろ」
ふむ、耳が悪いのかもしれない。俺はいつも通りの決め台詞を選ぶ。
「お嬢さん、辛かったな。でも俺が来たからには、もう安心しな」
美少女の瞳孔がきゅっと縮むのが見えた。彼女は一歩後退し、胸の前で腕を交差させる。
「……ひっ」
「安心してくれ。俺は君を――」
「変質者ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
広場の空気がはじけ飛ぶ。視線、ため息、石を蹴る音。俺の足元で小さな犬が吠え、遠ざかる気配。
悪漢の片方が腹を抱えて笑い、もう片方が肩をすくめた。
「見たかよ。話しかけただけで拒絶されてるぞ。」
「違う! ギャルゲーではこれは――」
「ブタ語、わかんねえわ」
美少女は踵を返して走り去った。金の髪が夕日にほどけ、路地の先で角を曲がって消える。
俺は伸ばしかけた手を空中に残し、しばらくそのまま立ち尽くした。
(……あれ? おかしいな。ここは“救出→感謝→抱きつき”が鉄板のはずだ。選択肢もタイミングも完璧だった。なのにどうして“変質者”に分岐した? まさか新仕様? 難易度ハード? いや、そんなはずは――)
「おい、ブタ」
「ブタじゃない。タイゾウだ」
「どっちでもいい。久しぶりにおもしれーもん見れたぜ!」
「君らに褒められてもな」
「図太いな。嫌いじゃねえ」
悪漢二人は威圧を解いて笑った。片方は大きく伸びをし、もう片方は肩を叩いてくる。
「今日は見逃してやる。……次に女の子に近づく前に、まず自分を見直せよ。ブタ」
「だからブタはやめろ。俺は――」
タイゾウがいい終わる前に男たちはひらひらと手を振り、逆の路地へ消えていった。
広場に取り残された俺は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
美少女も、悪漢どもも去り、残ったのは冷たい視線と、やけに広く感じる石畳だけ。
(……おかしい。なんでだ? イケメン転生したはずだろ。ブタって言われたのも聞き間違いだ。うん、そうに決まってる)
自分に言い聞かせながら歩き出すと、ふと露店の窓ガラスに光が反射し、そこに映る自分の姿が目に入った。
「…………は?」
ぷよんと揺れる腹肉。二重あご。丸太のような腕。
どう見ても、だれが見ても――デブだった。
「ちょ、ちょっと待て……これは……異世界補正で太って見えるだけ……だよな? いや……いやいや、そんなはずは……」
別の角度から覗き込んでも、映っているのは変わらぬ現実。
裸の、丸々とした豚野郎。
「嘘だろ……イケメン転生じゃなかったのかよ……!」
力が抜け、俺はその場に膝をついた。
嗚咽がこみ上げる。
涙と鼻水を垂らしながら、俺は空を仰いで叫んだ。
「俺の……俺の第二の人生……デブスタートかよぉぉぉぉぉ!!」
その声は広場に空しく反響し、冷たい夜風にさらわれていった。