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第6章 夏月と楓

 6月になった。

 俺たちには関係にないが、部活に打ち込む高校生にとっては、全国への予選大会として県大会があちこちで開催される。

 この大会ですでに引退を見込んじゃってる仲のいい何人かの女子たちに、ケイジとか他の男子生徒も一緒に、夏休みには海に行こうよって誘ったけど、みんなそう暇じゃない。バイトだの塾だの家族で旅行だのとそういう子が多かった。

 今日は楓にとっても高校最後の大会の一つだ。

 楓くらいになると、これに勝って8月のインターハイを視野に入れているはずだ。すでに神戸や福岡の大学からスカウトされていたからな。有名大学推薦もほぼ間違いなだろうな。楓は「明日は絶対勝つ」って、いつもより気合いが入ってたし、練習後もフォームの確認を念入りにやってた。

 その楓がいる県総合運動公園の陸上競技場へ行くため、今朝もあの高架橋の上でケイジと待ち合わせ。

「まだ6月になったところなのにあっついなあ…午前中にこの気温はやばすぎるって」

 まるで真夏のような暑さだ。沸騰したヤカンから吹き出る湯気のように視界がゆらゆら揺れる。上で少し風が吹いてりゃいいのにな。

 6月にしてはおかしいぞ、なんなんだこの暑さ。昨日までこんなんじゃなかった。まるで梅雨明けしたような感じだ。空を見上げると雲一つない快晴で、太陽がギラギラと照りつけてる。蝉の鳴き声も聞こえる。ん?6月に蝉?

 汗が止まらない。Tシャツが背中に張り付いて気持ち悪い。こんな暑さじゃ、楓の大会も大変だろうな。選手たちの体調管理が心配だ。

 高架橋の坂を登りきると見慣れた街が…いや違うな、なんだか違う。

 お城って補修したのかな?あんな感じだっけ?瓦の色が妙に新しく見える。それに、城の周りの木々も、なんだか緑が濃い。6月だから新緑の季節とはいえ、もう少し淡い緑だったような気がするんだけど。

 街並みも微妙に違う。コンビニの看板の色が違ったり、建物の配色っていうか、細かいところだけど、なんとなく違和感がある。

「え?楓!?」

 いつの間にか楓が目の前にいた。

 不意に現れてなんか照れる。赤面しそうでやばい。でも、何で楓がここにいるんだ?今頃はスタジアムで準備してるはずじゃないか。ユニフォームに着替えて、アップを始めてる時間だろう。

「お、おはよう」

「え?あ、おはよう…」

 なぜか怪訝な表情を浮かべる楓。

 おかしいな、俺はこれから楓が出場する大会へ応援に行くのに、出場する本人が目の前にいる。しかも私服だ。楓が着てるのは、いつものカジュアルな服装。大会の日にそんな格好でいるなんてありえない。

 それに、楓の髪が長い。昨日まで競技用に短くカットしてたはずなのに、今は肩まで届くほど伸びてる。一晩で髪が伸びるわけない。

「なんでここにいんの?大会は?」

「は?あの誰?」

「え? 誰って何?」

 何の冗談なのか、ふざけているようにも見えない。楓の表情は本気で困惑してる。まるで初対面の人を見るような目だ。

「あの…変な冗談はやめてくれよ」

「いや初めましてでしょ。わたしたち」

「初めまして?」

 俺と楓は幼い時からの友達だ。砂場でのことがあってから、俺とケイジと楓、特別な三人組じゃないか。それなのに初めましてって何だよ。

「何それ?いやウケないし、ケイジもこの後来るし、もう…」

「ケイジ?」

 楓がケイジの名前を出した。俺を知らないと言うのに、ケイジは知っているって言うのか。いったいどうなってるんだ?

 楓は何かを考えをまとめようと、腕組みをして斜め上を見上げている。眉間にしわを寄せて、必死に何かを思い出そうとしてるみたいだ。

「あ~っ!」

 突然楓が叫んだ。もうほんと意味がわからない。

「君、土岐カヅキくんだったりして!」

「え?何なのそのリアクション」

 俺の名前を当てにきたような反応はなんだ? でも、その反応を見ると、何か心当たりを探って当ててきたような感じだった。

 昨日から変なことが起こる。

 ここは自分の家だと騒ぐ女は現れるし、ケイジはそいつが気になってしょうがないみたいだし、そして今まさに楓が変だ!

 突然髪が伸び、あれだけ懸けてる大会の日なのに私服で目の前にいる。もう、誰か説明してくれ!

「聞いたのよ華月に」

「カヅ…へ?」

「自分の家に帰ったら、同じ名前の男の子と言い合いになって、ケイジに会って、それから泣いて家に入ったら、なんかいつもの自分の家になってたって」

 楓の話は、昨日俺が出会った女の子のことだ。今目の前にいる楓は、あの女の子のことを知ってるってのか?

「ますますわかんねーよ。お前ほんとうに楓か!?なんで突然髪が伸びてんだよ!」

「驚いた…華月の言うこと、ほんとだったんだ」

 もう一人誰か来た。

「あ、カヅキ!」

「お前、昨日の!」

 家ん中で消えてしまったあのもう一人のカヅキが現れた。昨日俺の部屋に現れた女の子だ。これはいったい…!

 目の前いにる楓とは顔見知りで、かなり付き合いが長そうに見えた。二人の関係は、俺と楓に似た間柄に見えた。

 そして、女のカヅキは俺の方を見て言った。

「今度はあんたがこっちに来たっての?」

「待てよ!そんなバカな!」

「これ見てくれる…?…楓も」

 女のカヅキがスマホを見せた。

 楓とそしてその女のカヅキが写ってる写真があった。笑顔で、仲良さそうに写ってる。楓の髪は短くてよく知る楓だ。季節は夏っぽい。周りにはたくさんの人も映り込んでいる。この風景に見覚えがある。ロックフェスの写真じゃないか?

「これフェスん時じゃ?」

「そうだよ、3年前の思い出ってアプリが表示したのを見て見つけたの。ここ!ここに映ってるの昨日の君の友達だよね」

 楓と女のカヅキが写っている後ろの方で微笑んでいる男子。それはケイジだった。3年前、俺も楓とケイジとこのフェスへ行ったんだ。

「ケイジ…」

「ねえ、君のケータイ、今どうなってる?」

「今度は何なんだ!?ん?」

 俺のスマホは圏外、昨日この場所でケイジと電話したはずじゃないか!昨日は普通に電波が入ってたのに。アンテナマークは一本も立ってない。

「楓、わたしこの子を知ってるんじゃないの?」

 今度は何やら女のカヅキが楓の方に詰め寄っている。楓は少し困ったような表情になった。まるで何かを隠してるような感じに見えた。

 そんなことより、俺のことだ!

 俺は何か確かめたい一心で、Uターンして元来た道を家へダッシュしてた。

 この異常な暑さの中を走るのはきつかった。汗が目に入ってくる。でも、家に帰って確かめないと気がすまない。この世界で俺の家がどうなってるのか、俺もあの女の子と同じことになっているのか!?

 道順や、知ってる店の場所は記憶通りだ。でも、見慣れた風景なのに微妙に違うことに気づく。店の看板だとかロゴだとか、見慣れた車や建物の壁の色、細かい違いだけど、確実に俺の知ってるのとは違う。

 家に着くと、母さんが外にいた。父さんを見送った後、庭先を掃除するのは日課だ。でも出かける時に見た母さんの服装とは違う。

「か、母さん!」

 俺に気付いた母さんは

「あら…? カヅキのお友達?」

「いや…俺、夏月だよ」

「カヅキはお友達と待ち合わせでもう出かけたのよ」

「母さんまでなんだよ!」

 母さんの目は、明らかに他人を見る目だった。俺のことを知らない。

 母さんは親切にも「何かご用?」と聞いてくれたけど、俺はそこにいることが耐えられなくなった。自分の母親に、他人扱いされるのがこんなに辛いなんて。

 何が何だかわからないまま走り続けた。

 この道もあの道も知ってる。なのにやっぱり違和感がある。見たことがある建物という建物の雰囲気が違って見える。基本的な地形は同じなのに、とにかく細部が違う感覚に陥る。

 あいつもそんな思いで俺の部屋に転がり込んできたのか?

 俺はあいつの世界にいるってのか?

 どうやって帰る?

 あいつみたいに玄関に走り込む?

 いや、今は母さんがいる。他人を見るような母さんの態度が辛すぎる。もう一度あの目で見られるのは耐えられない。

 走るうち、疲れてとぼとぼと歩き出す。

 こんな時は自然と高台にある総合公園へと足が向く。何かあると決まって、そこから海を眺めるのだ。小さい頃から、嫌なことがあると必ずここに来た。楓やケイジと一緒に来たこともある。

 公園への道のりで見るもの、街路樹やベンチも、はっきり覚えていないはずだが、なぜか違和感を感じずにはいられない。公園の入り口に着いてみると、基本的な作りは同じだった。

 公園に着いて公衆電話を見つけた。

 サイフにあった小銭で電話をかけようとするが、俺の小銭を受けつけない。

 どうなってんだ?

 硬貨すら微妙に違うって言うのか? スマホも圏外だし、この世界では俺の持ち物は通用しないということか。

 もし、この世界で紙幣でも出して買い物すれば、捕まっちまうんじゃないか?俺は公園の管理人さんを見つけて頼み込んだ。

「すみません、急用で電話を貸していただけませんか?」

 管理人さんは少し困ったような顔をしたけど、俺の必死さを見て貸してくれた。

 そこからケイジに電話をかけた。

「もしもし」

「ケイジ!俺だよ」

「ケイジ?あの~間違えてません?」

「あ、すみません。間違えました」

 押し間違えたかな?管理人さんにもう一度お願いしてから慎重にかけ直したら同じ人が出た。全然知らない人の声だった。おじさんっぽい声で、ケイジとは全然違う。

「あれ?これってxxx-xxxx-xxxxですか?」

「そうですけど?」

「え?いつから?」

「いやいつからってずっとこの番号なんだけど…」

「あ、いや、その…石川さんでは?」

「いや違いますよ」

「ど、どうもすみませんでした…」

 管理人さんに礼を言い、わけがわからないまま歩く。そのうち、公園の展望広場に着き、そこから見える海を眺めた。

 水平線の向こうに見える景色は基本的に同じに見える。けれど近くの街並みはなぜか違和感を覚える。この場所には楓やケイジとよく一緒来たことがある。でも、俺の知っている楓とケイジはこの世界にはいないんだろうか?

 楓…この世界の楓は俺のことを知らない。でも、女のカヅキという子とは親友みたいだった。俺の代わりに女の子のカヅキがいる世界。ただ彼女はなぜかケイジのことをわかっていないようだった。

 俺は本当にケイジが言ったパラレルワールドというやつに迷い込んだのか?

 少し涼しげな風が吹いた。この風はお盆以降に吹く秋を知らせる風だ。でも、異常な暑さは続いてる。今日は6月1日、楓の大会の日のはずなのに、ここはまさに真夏の暑さ。この世界では季節も違うのか?俺が多少、未来に来てしまっているのか?

 ベンチに座って考える。昨日カヅキという女の子が俺の世界に迷い込んできて、今度は俺がその子の世界に来たらしい。でも、どうすれば元の世界に帰れるんだろう?

「自分の家に帰ったら、同じ名前の男の子と言い合いになって、ケイジに会って、それから泣いて家に入ったら、なんかいつもの自分の家になってたって」

 そう、楓が言ってたな。でも、俺はどうすればいいのか全然わからない。

 海を眺めながら、楓のことを思い出す。俺の世界の楓は今頃大会で頑張ってるはずだ。応援に行くって約束したのに、俺はここにいる。ケイジも俺を待ってるはず。

 早く帰らないと。でも、どうやって?

 いろいろ考えているうちに、初めて味わう孤独感に涙が頬を伝った。


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