第4章 ケイジ
カヅキと出会ったのって、いつなのか正直ちゃんとは覚えていないんだよな。
小さい頃の記憶なんて、せいぜい保育園の砂場で遊んでたくらいしかないよ。
俺もカヅキもおとなしい方だったから、自然と一緒に遊ぶことが多かったんだ。他にも子どもはいっぱいいたけど、女の子が多かった気がする。
保育園には桜の木が3本あった。春になると花吹雪がひらひらと舞い散って、砂場に積もった花びらを集めて山を作ったり、お店屋さんごっこの材料にしたりした。女の子たちは砂のお団子やケーキを作るのが上手で、俺とカヅキもよく混ざってた。
カヅキも器用で、砂の山を高く作るのがとても上手だったな。
他の子が作ると雪崩のように崩れてしまうのに、上手に積み上げていくんだ。周りの女の子たちからいつも「すごーい!」って褒められてた。そんな褒め言葉に照れてはにかんでるカヅキを見てるのが俺は好きだったし、真剣な横顔とか、完成した時の満足げな顔とか、全部。
でもさ、そんな平和な日々は小学校に入ると一変したんだ。
小学校に入学してからよくいじめられるようになった。あの時はカヅキとは違うクラスだったんじゃなかったかな?保育園でよく女の子と遊んでたのが理由なんだと思う。
クラス替えの日のことは今でも覚えてる。教室にカヅキが俺のクラスにいないことがわかった時、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感じがした。初めて味わう不安感だった。
新しいクラスには保育園で一緒だった男の子たちが何人かいた。でも、保育園の時とは雰囲気が違った。みんな急に「男らしく」なろうとしてるみたいで、女の子と遊ぶことを恥ずかしがるようになってた。俺だけが変わらずに女の子たちと話したり、一緒に遊んだりしてるから、だんだん浮いた存在になっていった。最初は小さなからかいだった。「ケイちゃんは女の子だから」とか「女の子の仲間」とか。でも、日が経つにつれて、それは確実にエスカレートしていった。あの頃、あいつらのボスは楓っていう女ボスだったんだけどな。
今ならつっこめるよね。
「なんで女子がボスの男子に、女子と遊ぶことを文句言われないといけないんだよ!」
ってね。
楓も同じ保育園だったからよく知ってた。運動神経が抜群で、男の子たちと同じように、いや、それ以上に元気いっぱいで、みんなを引っ張っていくリーダー的存在だった。でも俺にとっては、ちょっと眩しすぎる存在でもあった。堂々としてて、自信に満ちてて、俺とは全く正反対だった。ていうか小学校入るまで男子だと思ってた。
俺の名前は父さんが歴史上の武将が好きでつけたらしいけど、名前のとおりいきゃ苦労はしないよね。確か前田慶次だったかな。父さんはよく戦国武将の話をしてくれた。上杉謙信や武田信玄、織田信長。強くて勇敢で、部下に慕われる武将たち。「ケイジもそんな武将のように男らしくなるんだぞ」って言われるたびに、申し訳ない気持ちになった。俺は戦う前から逃げ出したくなるような弱虫だったから。
でも、運命を変える日がやってきた。
今でもよく覚えている。あれは、朝日ヶ丘公園の砂場だった。カヅキと女の子たちと砂山を作って遊んでいたんだ。
その日は暖かい日だった。この公園にも桜はあった。桜の花びらはもう散っていたと思う。砂場の周りにも薄っすらと花びらは残っていたかな。俺たちは女の子たちと一緒に、砂で大きな山を作ってた。カヅキがいつものように高く砂を積み上げていってくれた。俺たちがその周りに道を作り、小さな石を集めその形に応じて、お家だ、車だと、何かに見立てて並べていく。保育園の時より上手に、みんなで協力して何かを作り上げる楽しさに夢中になってた。
「もうちょっと高くしよう」
「ここに橋を作らない?」
女の子たちの提案に、俺たちは嬉しそうに頷いて作業を続けた。そんな平和な時間が、突然終わりを告げた。
ボールが飛んできて、それを追いかけてきた男子たちが砂場を踏みつけた。せっかく時間をかけて作ったものが、一瞬で壊されてしまった。
砂が飛び散って、何人かの女の子たちの悲鳴が聞こえた。俺の心臓がドクドクと激しく鼓動した。
「何するんだよ!」
女の子の一人、確かユミちゃんだったと思うけど、涙目になりながら抗議した。
「うるせー!砂場なんかで遊んでるお前らが悪いんだよ」
男子の一人に逆ギレされて、雰囲気最悪…。
口論はどんどんヒートアップしていった。男子たちは謝るどころか、開き直って女の子たちに当たり散らした。俺は怖くて何も言えずに固まってた。そんな俺に、男子たちの矛先が向けられた。
「ケイちゃん関係なんじゃん!」
女の子たちが庇ってくれる。俺も必死に反論しようとは思ったよ。でも声が震えてうまく言葉が出てこなかった。
「お前何で女子と遊んでんだよ!」
…いやだからお前らのボスは女子じゃんかよ……
今ならそう思うけれど、あの時の俺の口からは何も出てこなかった。情けなかった。男子たちに囲まれて、逃げ場がなくなっていく。女の子たちは周りで何やら言っているようだけど、男子たちは引くことがない。俺は固まったまんまだ…。
いろいろ言われるうち、こらえられなくなって泣く寸前。
「なんか言ってみろよ!」
「おい!こいつ泣いてないか?」
「女の子だもんねぇ、ケイちゃんはぁ」
「弱虫!弱虫!」
心ない言葉が俺の内側をえぐる。涙が目の奥でじんわりと滲んできて、もう堪えられない。その時、いつもはおとなしいカヅキが大声を出した。
「やめろ! 寄ってたかって弱いものいじめするなんて、お前らのほうが弱虫だ!」
そんなカヅキの声は、今まで聞いたことがない。普段のおとなしいカヅキからは想像もできないような、堂々とした声だった。俺は驚いて泣くことを忘れた。
カヅキは目に涙をためながらも、男子たちを真っ直ぐ睨んでいる。カヅキの手は確かに震えてた。足も震えてた。でも、その瞳だけは真っ直ぐに男子たちを見据えてた。俺を守ろうとするその姿…カヅキがこんなに勇敢だったなんて知らなかった。
気がつくと、いつのまにか女ボスの楓がいて、じっとこっちを見てた。楓がいつからそこにいたのかはわからない。でも、楓は鋭い眼差しでこっちを睨んでいるように見えた。
「あ、楓だ!やばいカヅキやられちゃうよ!誰か助けて…!」
俺の心の中はまたまた怖さでいっぱいになった。楓は男子たちのボスだ。きっと男子たちに加勢するに違いない。その上カヅキまでターゲットにされて、いじめられるんじゃないか。俺のせいで、俺を庇ったせいでカヅキが巻き込まれてしまう。そんなのは嫌だ!
もう一貫の終わりと思った瞬間、女ボスから意外な言葉が!
「そうだ!お前らが悪い!謝れ!」
楓の声は、カヅキの声に負けないくらい力強かった。いや、それ以上だった。
そのお陰で空気が変わった。
男子たちは楓の言葉に完全に面食らってた。味方に罵られるなんて、予想もしてなかったんだろう。でも、楓の迫力の前では、反論する気力も失せたみたいだった。
カヅキの勇気が女ボスの心をつかんだのか……
我ながら子供らしいエピソードでほっこりするよ。でもあの時は本当にいろいろびっくりだった。自分の感情が追いつかないことの連続だった。弱い俺を守ろうとしてくれたカヅキの勇気。そして楓の公正さ。この二人の行動がなかったら、きっと俺の小学校生活はもっと辛いものになってたかもしれない。
男子たちは楓に促されて渋々謝ってくれた。そしてドッヂボールに誘ってくれた。
「ごめんね...あの、一緒に遊ぼうよ!」
最初に謝ったのは、一番俺をからかってた男子だった。女の子と遊ぶ俺にさんざん悪態をついたのに、女の子の楓に一喝されたもんだから、格好もつかないよな。でもきっと、本当は仲良くしたかったんだと思う。ただ、どうやって仲直りしていいかわからなかっただけでね。
この一件から男女混じって遊ぶことが増えたんだよな。
ドッヂボールでは、俺は正直あまり活躍できなかった。でも、みんなが俺にも優しくボールを回してくれたり、当てられそうになった時にはかばってくれたりした。特にカヅキは、いつも俺の近くにいて、さりげなくフォローしてくれた。
そして、カヅキも俺も楓も同じクラスになった。俺たちは一緒にいることが増えて、楽しい小学校時代を送れたんだ。休み時間には男女関係なくみんなで遊んで、給食の時間には楽しくおしゃべりして。俺も少しずつ積極的に輪に入るようになった。カヅキや楓がいつも背中を押してくれたからだ。
楓はずっとみんなのヒーローだった。ヒロインというのが本当だろうけど、脚が早いから何かと体育の時間とかでもいつも注目されてたし、正義感も強いから、みんなに慕われていた。運動会の時の楓は本当にかっこよかった。特にリレーのアンカーで走る姿は圧巻だった。コーナーを回ってからの直線に入った時の加速、そして男子たちを次々と抜いていく姿。観客席からは大きな歓声が上がって、俺も手が痛くなるまで拍手した。俺にとってはカヅキもヒーローだった。あの日、震えながらも俺を守ってくれた背中。俺が、積極的にみんなの輪に入れるまで、ずっとそばにいてフォローしてくれてた。楓も何かとカヅキには一目置いていた様子だった。
小学校を卒業し、俺たち三人は他のみんなとは違い、中高一貫校へ入学した。その頃になると、楓も女の子らしくなったけど、脚は健在だった。楓が受験することを聞いて、俺たちも受験を決めたんだよな。俺もカヅキもまさか受かるとは思ってなかったけどね。小学校で一緒に遊んでいた男子たちは、それぞれ進学した中学校で、身長も伸び、力もつけて、野球やサッカー、いろいろな競技で活躍していた。高校生になった今じゃ楓の子分でもなんでもない。みんな親切で力持ち、頼れる体育会系の男子になったようだ。今では、道で会うと気さくに声をかけてくれる。「ようケイジ、元気?」って。あの時の些細ないざこざのことなんて、もうお互い遠い昔の話みたいに感じてる。
中高一貫校は中学生にあたる3年間が前期、高校生にあたる3年間が後期と6年間通うことになる。高校入試がないということになるけど、4年になる時に別の高校を受験して退学して別の道を歩む子もいる。楓は陸上部に入ったけれど、俺とカヅキは特に部活には入らなかった。健全たる帰宅部を貫いていた。暇を持て余していたので図書委員会で本の整理を手伝ったり、文化部で人手が必要な場合は何かと助っ人に行ってた。正直、体育会系の厳しい練習についていく自信は俺たちにはなかっただけだし、文化系女子との出会いも期待していたのかもしれない。まあ何もなかったけど…。
楓は違ったね。陸上部では最初からエースとして活躍して、県大会にも出場するようになった。そして楓は女子陸上ですぐに注目される選手になった。後期生、つまり高校生になってからは、楓の大会応援が俺たちの定番行事になった。県大会はもちろん、時には県外の大きな大会まで応援に行った。電車で会場まで行く道中も楽しかった。楓の緊張をほぐそうと、あの手この手と作戦を練った。楓はそのたびに、大笑いをしてリラックスしてくれていた。
楓が走る姿を見てるうちに、小学校の時の彼女とは全然違うことに気がついた。小学校の時は負けず嫌いが顔を出していたけれど、今はそれはもう楽しそうに走る。ゴールした後の楓の笑顔はいつも輝いていたけれど、次の日にはもっとやれるって反省してまた練習に明け暮れている。
そんな高みを目指しているアスリートの楓も、普段は普通の女の子なんだけれど、他の女友達によりも、俺とカヅキにはなんでも話してくれてた。練習でうまくいかないこと、コーチに怒られた時のこと、記録が伸び悩んでる時の不安、何やらチーム内が揉めて疲れ果てていたこと。俺たちにだけは、弱い部分も時々見せてくれたりした。
逆に、俺たちも楓には何でも話した。進路のこと、友達関係のこと、将来の不安、ちょっと気になる女の子のこと。三人でいる時の楓は、陸上のエースでもなく、みんなに慕われるヒーローでもなく、ただの親しい友達だった。他のみんなが知らない楓を俺たちだけは知っていた。
そして去年の秋の新人戦で敗れる時が来る。
楓は練習で足を痛めて、思うような走りができなかった。結果は4位だった。楓にとっては屈辱的な順位だったろう。
会場の外でカヅキが楓とばったり会ったって話を後から聞いた。会場では楓はずっと、毅然とした様子だった。チームメイトに声をかけたり、他校の選手に声をかけられても笑顔を見せいていた。そんな楓も会場の外でカヅキの前では泣いていたらしい。いつも強気な楓が、人前で泣くなんて想像もできなかった。
あ、そういえば楓が失恋した時、泣き笑いで牛丼やけ食いしたことがあったな。楓の初恋の話も、今思い出すと微笑ましい。合同合宿で出会ったハードルの選手に一目惚れしたんだっけ。楓が恋バナをするなんて、当時は新鮮だった。でも、相手には既に彼女がいることがわかって、楓の恋は始まる前に終わってしまった。失恋の日の牛丼屋で、楓は大盛りを三杯も食べた。泣きながら笑いながら、俺たちに愚痴をこぼした。「もう恋なんてしない」って言いながら、でもどこか吹っ切れたような表情をしてたっけ。
その時とは違う涙にカヅキも戸惑ったろうな。でも俺は思うんだよな。楓はカヅキの前だから素直に泣いたんだって。楓にとってカヅキが心の拠り所だったんだよ。そう、俺だって、カヅキの小さな勇気に心動かされたんだから。あの日、砂場で俺を守ってくれたカヅキの勇気は、あの時の楓の心にも深く刻まれてるんだ。カヅキに楓の涙の話を聞いたときから、俺はそう確信している。
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…なんだろう、なんだって昔のことを思い出しているんだろう?まるで誰かと会話していたように……
夏月の家から戻って、自分の部屋で随分とボ〜ッとしていたようだ。今日は不思議なことがあったからな…。その影響だろうか。俺はスマホを取り出した。
「パラレルワールドから来た子だったりしてなw」
と、夏月にからかうようにメッセージをしてみた。
夏月の家で起こった不思議な出会い。消えたあの子が、妙に気になってしょうがない。本当にあの子はどこから来たんだろう。そして、どこに消えてしまったんだろう。夏月もすごく困惑してるみたいだった。
不思議な感覚だ。あの子のことが頭から離れない。大切な何かを伝えなければいけないような気もするし、逆にあの子が何かを伝えに来たんじゃないかとも思える。もしかして、昔をやたらと思い出すことと関係があるのかな?
明日6月1日、いよいよ楓の最後の大会が始まるんだな。夏の終わりまでに、夏月と楓、なんとかしてやりたいよな。