第2章 夏月
「あ!こら、てめえまた人ん家に!」
正体不明の女の子が突然現れて、俺ん家を「自分の家!」って言い張って、しかも名前まで一緒?いやいや、ありえねーだろ。頭がおかしいのか、それとも俺の方がどうかしてるのか。現実感が、どんどん薄れていく。親友のケイジが現れた途端、あの子は突然泣き出して、また家の中に引っ込みやがった。あの涙は何だったんだ?
「……何がどうなってんだ?」
半ば呆れながらも、心の底では不安が渦巻いてる。玄関を開ける。鍵は、かかってない。さっき慌てて逃げ込んだから、かける余裕もなかったんだろう。
「あれ?……いない」
靴もないし、家の中を隅から隅まで探したけど、あの女の子はどこにもいなかった。まるで、最初からいなかったみたいに。ミステリーかよ。でも、俺の頬にはまだ、カバンをぶつけられた痛みが残ってる。あの感触は、間違いなくリアルだった。
「なあ、あの子お前に似てたよな?いとこかなんか?」
ケイジが、そんなことを言う。振り返ると、ケイジは真剣な顔で聞いてる。冗談じゃなさそうだ。
は?似てた?名前まで一緒で顔まで似てるとか、もう勘弁してくれよ。そんな偶然、あるわけないだろ。でも、確かに言われてみれば、似てなくもない……か?
「あ、そうださっき電話で話してたこれ」
そうそう、電話で結局ゲームの話で盛り上がって、貸してもらうことになってたんだよな。ケイジが持ってきてくれた、新作のRPG。普段なら飛び上がって喜ぶところだけど、今はそんな気分になれない。ケイジはゲームの話に戻ろうとするけど、俺の頭の中は、まだ混乱してる。あの子の泣き顔が、頭から離れないんだ。
「でもさ、あいつ、何だってお前を見て泣き出したんだろ?お前こそ心当たりないのかよ?」
「う~ん、わかんないなあ……お前に雰囲気似てたから、親近感はあったよ。でも……不思議だよな。消えちまうなんて」
ケイジも困惑してる。いつもは何でも軽く受け流すやつなのに、今日は様子が違う。
「そうだ、女の子と言や、楓のことだけどさ?」
話題を変えようとするケイジ。楓の話なら、いつもの俺なら目を輝かせて聞くところだ。楓は幼馴染であり、クラスメートの女の子。小さい頃からずっと一緒に過ごしてきた、特別な存在だ。陸上部に所属していて、明日から高校最後の大会で、応援に行くんだ。楓は人一倍負けん気が強くて、女子100m走で県大会2連覇中。主将としても、部員たちをバシバシ引っ張っていく、どっちかというと女子にモテる女の子だ。クールで凛々しくて、でも時々見せる女の子らしい一面に、ドキッとする。この夏決めろよ、とケイジの提案で、楓が優勝したら、そこで俺は楓に告白するんだ。
そんな話を一通り終えてから、ケイジが言う。
「なあ夏月……さっきの子、また会えるかな?」
「は?どうしちゃったの?また現れるとでも思ってんのかよ?」
「いや、妙に気になっちゃってさ」
ケイジのやつ、あの子の泣き顔見て、感情流されやがったな。確かに印象的だった。あんなに純粋な涙、久しく見たことがない。そりゃあ可愛い子だったよ。……って、自分に似た女の子が可愛いって、俺も変なこと言ってる。自分で自分を可愛いって言ってるようなもんじゃないか。
明日、高架橋で待ち合わせする時間の確認をした後、ケイジは帰り、俺は自分の部屋に戻った。ドアを開けるとひんやりした空気で体がブルった。
「涼しっ!クーラー効いてるじゃん。あいつか?」
その上、俺のTシャツとトランクスが床に落ちてた。確かに、あの子がここにいた証拠だ。女が男の部屋にこういう目的で入るか??とりあえず忘れよう。考えても、答えが出るわけじゃない。そうだ、弁当箱出しとかないと、母さんがうるさいからな。キッチンに弁当箱を持っていくと、洗って間もない、少し濡れた弁当箱があった。そばにあるナフキンの柄とか、弁当箱のサイズがいかにも女の子のもので、明らかに俺のものじゃない。きっと、あいつのだ。間違いない。でも、他人の家に忍び込んで、いちいちエアコンを効かせたり、弁当箱を洗ったりするか?普通の泥棒なら、そんなことしないだろう。ますます、わからない。
自分の部屋に戻って、スマホを取り出す。とりあえず、あいつが出してたTシャツに着替えて、ベッドに横になりながら検索を始める。
「もう一人の自分 正体」……検索。
スクロールすると、「ドッペルゲンガー」っていうワードを発見。なんか聞いたことある言葉だ。
「ドッペルゲンガーを2回見ると見た人も死ぬ」……やめてくれよ、縁起でもない。
なになに、他には?
ドッペルゲンガーの特徴として、
・ドッペルゲンガーの人物は周囲の人間と会話をしない。
・本人に関係のある場所に出現する。
・ドアの開け閉めが出来る。
・忽然と消える。
・ドッペルゲンガーを2回見ると見た人も死ぬ
本人に関係のある場所に出現、ドアの開け閉め、忽然と消える……は一致だな。まさか、本当に……?周囲の人間と会話はしない……。
「いやいや、カバンぶつけられてますしー!わめき散らしてましたしー!そもそも女の子だから同一人物ってことにはならないだろ!」
声に出して否定してみるけど、心の奥底では不安が募る。あの子の存在感は、間違いなく現実のものだった。
階下で物音がする。玄関の扉が開く音。母さんが帰ってきたようだ。いつものように「ただいま」という声が響く。
「カヅー!この弁当箱誰の~?もしかして彼女にでもお弁当作ってもらったの~?やるじゃん!」
階下から母さんの声が聞こえる。やっぱり、あの弁当箱に気づいたか。
「……はいはい、そういうことにしておいてください」
いずれ楓を紹介するからさ……なんて、どっから出てくる自信なんだよ。まだ告白もしてないのに。
楓……
名前を思い浮かべただけで、胸が締め付けられる。あいつ、俺らの中じゃずっとヒーロー(ヒロインか?)だった。昔っから負けん気が強くて、脚だけは男子より速かった。小学校の頃から、運動会のリレーでは楓がアンカーだった。最後の直線でぶっちぎる姿は、今思い出してもかっこいい。4年、5年の時……俺やケイジ、楓は中高一貫校に進学してる。1~3年が前期生、つまり中学生。4~6年が後期生で、この間が高校生ってわけだ。で、4、5年の県予選で勝って、インターハイも出てた。地元のテレビ局にインタビュー受ける楓を見て、誇らしい気持ちになった。同時に、遠い存在に感じられて寂しくもあった。去年の秋の新人戦では、足首のケガで4位だった。練習中に痛めたみたいで、決勝のレース途中から足を引きずってた。スタンドから見ていて、胸が痛くなった。応援に行ってた俺は、どう声をかけていいかわかんなかったから、会わずに帰ろうとしたんだ。そう、なんて励ましていいのか、わからなかった。でも、ばったり会場の外で会っちゃって。
「あ、応援に来てくれたんだ。ごめんね~期待に応えられなかったよ」
いつもの明るい声だったけど、目が少し赤くなっていた。
「すごい練習してたもんな。気にすんなよな。でも足ケガして4位なんてすご……」
その瞬間、いきなり胸ぐら掴まれた。え?と思ったら、頭を胸に押し付けられた。楓は泣いていた。泣き顔を見せないように、俺の胸に顔を隠したんだろう。温かい涙が、俺のシャツを濡らした。
「ごめん」
すぐに笑顔になった楓は、こう続けた。
「夏はリベンジするからね!じゃあね!」
……俺、あれから楓が気になって仕方がなくて、いつもドキドキするようになったんだ。楓の笑顔を思い出すだけで、胸が熱くなる。楓もなんだか照れたような仕草をするようになってて、それに気づいたケイジが言ったんだ。
「お前らまんざらでもないぜ!この夏、決めちゃえよ!」
ケイジ……
幼い頃から一緒の親友だ。俺たちは特に部活もせず、ほとんど毎日のようにゲームしたり、くだらないこと笑いあったり、一緒にバイトしたり、くだらない理由で喧嘩したり、ずっと並んで生きてきた。気心の知れた、かけがえのない存在だ。いつも学校へ行く時は、線路をまたいだ高架橋のてっぺんで待ち合わせしてるんだ。あの場所からの景色は、まあまあで、お城も見えるし、ある程度街を見下ろせる。最近は部活後の楓の帰りに合わせて、わざと別行動してたけどな。楓と二人きりになれる時間を作るために。
……今日は、明日の大会に備えて早く部活をあがった楓と一緒に帰って、見送って、その後高架橋の上でケイジと電話してたんだっけ。明日のスタジアム行きのバスの件で。で、あの女の子が現れて。
「ほんっとになんだったんだよ……」
エアコンが効いてる。今日は5月31日、冷房かけるには早すぎるか、少し寒くなってきた。ベッドに置いてあったスマホに、ケイジからのメッセージが届いた。
「パラレルワールドから来た子だったりしてなw」
「パラレルワールド……かよ」
その文字を見つめたまま、エアコンが効きすぎた部屋の中で、俺はひとり、ため息をついた、と同時にくしゃみをした。明日から6月だ。あんまり雨が降る地域じゃないから、大会は天気を心配しなくて済みそうだ。それにしてもパラレルワールドってな……。もしそんなものが本当にあるとしたら、あの子は……別の世界の……俺?
「まさかな……」
俺はリモコンを取り、エアコンを停めた。