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第1章 華月

 8月25日——、夏休みも、気づけばあと1週間くらいとなった。


 学校の行き帰り、わたしは決まってJRの線路をまたぐ国道の高架橋を通る。歩道は車道とは別になっていて、ちょっときつい坂道なんだ。自転車をわざわざ降りて押すから、毎回、体力の限界に挑戦してる気分。今みたいに真夏には容赦なくアスファルトを焼き、立ち上る陽炎が視界を揺らす。汗が額に滲んで、制服のブラウスが肌にまとわりつくのが不快でたまらない。本当は迂回してもいいんだけど、この高架橋を上り切った先にある景色が好きで、つい足を向けてしまうんだ。

 一番上まで登ると、道路沿いに少し開けた場所がある。東には、緑に包まれた小高い丘の上に威厳を保つ松山城の天守閣が見え、南西には展望広場からの眺めが美しい松山総合公園がある。街を少しだけ見下ろせるけど、そこまで絶景ってわけでもない。でも、夕暮れ時には、西日がお城の白い壁を金色に染めて、それはもう綺麗なんだ。

 ついこないだまで、友達と並んで、この場所までたくさんの話をしながら通っていた。恋愛の話、将来の夢、くだらない愚痴まで、なんでも話せる相手がいた。高架橋を下って「また明日ね」って別れて、それぞれの家へ帰るのがいつもの風景だった。あの頃は、この高架橋の坂も友達と一緒なら苦にならなかった。むしろ、もう少し長く話していたくて、わざとゆっくり歩いたりもしたっけ。

 けれど最近は、ひとりでこの高架橋を行き来している。誰かの笑い声が聞こえてきそうな錯覚に陥ることもあるけれど、振り返っても誰もいない。ここで待ち合わせたり、立ち止まって話していた頃が、もうずっと昔のことのような気がする。記憶の中の友達の顔も、なぜか少しずつ曖昧になっていく。それでも、時々一番上で立ち止まって、風景を眺めてしまう。

「……わたし、誰とここで会ってたんだっけ?」

 8月は補修だとか、運動会の準備だとかで学校へ通っていたけど、そんなふうに思いながらこの場所を通ることが多くなった。心の奥底に、大切な何かを忘れてしまっているような、もどかしい感覚がある。

今日も、一人で家路にとぼとぼと自転車を押して歩き出す。校内では自転車を押して歩くのが決まりだ。

華月(かづき)ーっ!」

クラスメートの(かえで)が、息を切らせながらわたしの名前を呼んだ。

「一緒に帰ろうよ!」

「あれ?今日は後輩たちの指導はいいの?」

「今日はいいんだって」

 部活を引退してから髪を伸ばして、すっかり女の子らしくなった楓。部活のほうは顔を出さず、県大会で痛めた脚を庇いながら、わたしを追いかけてきてくれたんだ。サポーターをした足首を見ると、胸が痛む。本当に優しいんだよね、楓は。

 楓は、あの高架橋の手前で別れる。だから、あの場所で仲良く話していたのは楓じゃない。今まで部活で忙しかったし、こんなふうに一緒に帰ったのも久しぶりだ。話が弾んで、楓と歩く道のりはあっという間に短く感じられた。

「ありがとう。また明日ね。まだ無理しちゃダメだよ」

 楓に手を振って別れ、高架橋に差し掛かる。話に夢中になって気が付かなかったけど、まだまだ蝉の声が騒がしい。残暑の湿った空気にじっとりと汗が滲む。台風前のような重い空気が肌にまとわりつく。いつもより坂道がきつく感じて、息が切れる。ペダルをこぐのを諦めて、自転車を押して、ゆっくりとあの場所に向かう。

 坂を登りきった場所で、自転車のハンドルに手をかけたまま足を止めた。車道を走る車の音に混じっていた、さっきまでの蝉のうるさい声が、まるで映画の音声を消したかのように、突然聞こえなくなった気がした。背後から、不意に男の子の声が聞こえた。

「ケイジ? うん、俺……明日のスタジアム行き、10時のバスでいいよな?」

 振り向くと、スマホを片手に話す男の子。制服姿で、わたしと同い年くらい。いつの間にかそこにいた。さっき上を見上げた時は誰の気配もなかったはずなのに、まるで最初からそこにいたかのように自然に立っている。

「今、楓を見送ったとこ。最後の大会だからって張り切ってたよ」

 楓を知ってる?うちの学校の子なんだ。ネクタイの校章も一緒。でも、見たことない顔だ。誰かに似ているような……。電話の相手、“ケイジ”という名前に胸の奥がチクリと反応する。よくある名前のはずなのに、なぜか懐かしいような、切ないような気持ちになる。この感覚は何だろう。やっぱり何かがおかしい。わたしは首を傾げながらその場を離れた。

 帰り道、目に入る景色が、どこか微妙に違う。よく見る看板のロゴ。いつもチワワを散歩しているおばあちゃんの服の趣味。あの家の車、あんな色だったかな?全部、ほんの少しずつ違っている気がする。でも、はっきりと「違う」と言い切れるほど覚えているわけじゃない。

「わたし、最近……うつむいてばかりで、気づかなかっただけ?」

 誰かと会っていた気がするとか、いつもの風景が微妙に違うとか、なぜこんなことを考えているのだろう。

「ただいま~」

 家に帰ると、いつものように誰もいないけど、とりあえず声をかける。両親はまだ帰ってない。でも、とりあえず「ただいま~」って家に入るのは、防犯上の習慣で続けてること。空っぽの家に響く自分の声が、いつもより寂しく感じられた。洗った弁当箱と水筒をキッチンに置いて、2階の部屋へ。最近はちゃんと弁当箱を洗うようにしている。お母さんとはよくケンカしたけど、最近は仲良くなってきたんだよね。

 階段を上がろうとして、足が止まった。途中にスケボーやグローブが置かれている。え?誰の?どちらも使い込まれていて、明らかに誰かが長く愛用してきたものだ。でも、うちにスケボーや野球の趣味がある人なんていない。

 部屋に入ってエアコンをつける。最近は、ずっと冷房で使っているはずなのに、設定が暖房になっている。

「ん?暖房?なんでよ~」

 冷房に切り替え、制服を脱いで、着替えを探す。……こんなTシャツ持ってたっけ?黒地にバンドのロゴが入った、男の子が好みそうなデザイン。タオルも青や緑の無地ばかり。下着は――

「トランクスじゃん!」

 カーテンも花柄じゃなく、紺色のチェックに変わっている。昔クリスマスにもらったキーボードのところにエレキギター。アクセサリー置き場にはゲームソフトが山積み。でも、部屋の片隅には大好きなバンドのポスターがそのまま。これは間違いなく、わたしが貼ったやつだ。

 ここは……やっぱりわたしの部屋?

 その時、ドアが開いた。さっき高架橋でスマホを持っていた男の子が立っている!お互いポカンと見つめ合ってる。……って、わたし半裸じゃん!

「きゃあああ!!!!!」

 カバンを投げつけて、ドアを閉める。

「このド変態!勝手に入り込んで何してんのよ!」

「はあ?!こっちのセリフだよ!お前こそ俺の部屋で何してんだ!」

「何を言ってんの!?ここはわたしの家!わたしの部屋!」

「お前どうやって入ったんだよ!」

「鍵で開けたに決まってんじゃん!」

「何で鍵持ってんだよ!」

「自分家だもん、当然じゃん!警察呼ぶからね!」

「何言ってんだよ!人ん家に勝手に入って警察呼ぶって聞いたことねえぞ!」

 無視して、自分のスマホを取り出して110番。だけど繋がらない。圏外?なんで?いつもはちゃんと繋がってるのに。だんだん冷静になってきた。最近まわりの変化にも気づいてないくらいだし、もしかして家の隣に似たような家ができてて、たまたま同じ鍵で入れた?

「……あの……ここの住所って松山市朝美2丁目86だよね?」

「ああ、そうだよ!松山市朝美2丁目86の土岐ときだよ!」

「だよね~……って、だからそれこそわたしん家ぃ!……誰なのよあんた!?」

「だからこの家の土岐(とき)カヅキってもんだ!早く服着て出てけよ!」

「土岐華月はわたしのことなんですけどー!」

 住んでいるのは“土岐カヅキ”という男の子。家の外観も間取りも一緒、玄関の鍵も同じ。隣の家が全く同じ作りで同じ住所で同じ鍵でドアが開き、同姓同名が住んでるなんて、

「……そんな偶然ってある……?」

 頭の中が混乱する。現実感が薄れていく。脱いだ制服を慌てて着直して部屋を出て行く。

「お前さ、さっきあそこにいたよな!?」

「え……」

 あそことはあの高架橋のことだろうか。どうやら、彼もわたしに気付いてたらしい。確かにこの部屋は男の子のものでいっぱいだし、最近のわたしはうつむいてばかりでまわりの変化に疎かったし。でも、これは現実なの?

「ちょっと外見てもいい?ほんとに、ここ……どこ?」

 二人で玄関を出て、周囲を見渡す。お隣さんの家も見慣れたいつもの家だ。でも、なんとなくだけど、色が違う。それに、真夏だったのに空気が違う。

「やっぱりおかしいよ!ここわたしの家のはずだよ!……ほら!表札!土岐じゃん」

「だから俺は土岐だもんよ」

「わたしも土岐だもん!土岐華月だもん!……ほら!鍵も合った!」

「お前なあ、いい加減にしろよ~」

「カヅキ〜なにしてんの?」

 その時、別の男の子が現れた。聞き覚えのある声、見覚えのある顔。でも、どこで会ったのか思い出せない。

「あ、ケイジ、いや、この子がさ~」

 ケイジ?さっき電話で話していたのは、この男の子なんだ。近くで見ると、優しそうな目をしている。なぜだろう、この子を知っている。確実に知っている。

「へえ、お前訪ねて女の子来るようになったんかよ?やるー!」

「ばっか!なんか知らねーけど人ん家に入り込んでやがってさあ!」

「そりゃ積極的だね……ん?どしたの?」

 ケイジという男の子が、わたしの顔を覗き込んできた。顔を見た瞬間、胸がギュッと痛んだ。まるで心臓を鷲掴みにされたような激痛。そして、ボロボロボロボロ涙が溢れ出す。止まらない。懐かしさと悲しさと、安堵感が一気に押し寄せてくる。

「……ああああああ……っ」

 声にならない声が喉から漏れる。なんで泣いてるのかわからない。でも、涙が止まらない。

 気がついたら、わたしはまた玄関に走り込んでドアを閉めていた。玄関のドアにもたれかかり、頭を抱える。

「……わかんない! わかんない!マジで何が起こってんの?」

 何が起こっているのかわからない、まるで掴めない。そして、あのケイジという男の子。彼の顔を見た時、なぜか涙が止まらなかった。心臓が、ぎゅーって締め付けられるような、どうしようもない衝動。

 これ、一体何?全然理解超えちゃってるんだけど!





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