第三話
「わたしの秘密を知ったからには、少し協力してもらおうかと思って」
人通りが全くない静かな夜道。
帽子の広いつばが魔女の顔に影を落としているせいで、不気味さが増している。
暗い夜道で待ち伏せされたあげく、いきなり協力しろだなんて怪しさの塊でしかない。
「一応聞きますけど、秘密って?」
「わたしが魔女ってこと」
「常連さんに失礼かもしれませんが、名前も知らない人のそんな言葉を信じると思いますか? しかも、こんな時間まで待ち伏せする人の……」
「だから、それをこれから証明しようと思っていたの。というか、瞬間移動だって証明としては十分な気がするけど……」
それを言われてしまうと言葉に詰まる。
さっき、確かに現実ではありえない体験をした。後ろにいたはずの彼女が、いつの間にか俺の目の前に移動していたんだ。
それが魔女の証明になるか俺には判断できないけど、彼女の言葉が嘘だと否定することもできなくなっていて……。
「なかなか警戒を解いてくれないんだね。それなら、もう少しサービスが必要かな。訳あって魔法は使えないけど、この世界ではありえない体験ならさせてあげられるし」
「その訳が怪しいんですけど……。まあ、嘘だと思ったらすぐ帰るので」
最悪のときは、本気で逃げたり叫んだりすればなんとかなるだろう。
瞬間移動を実際に見たことで、少しだけ興味が出てきたのは事実だ。学校にバイトにと疲れているけれど、俺はしぶしぶ付き合ってみることにした。
「じゃあ決定。わたしの家がすぐ近くだから、おいで」
「帰ります」
「年上の女の人の家にあがれるんだよ。男子高校生には夢のような提案じゃない?」
「まったく。なんで俺が高校生だって知られているのか、そっちの怖さが勝ちます」
「それはキミの先輩とのやり取りを見て、鎌かけただけ。あの人は会話からして大学生みたいだし、それより年下なら高校生かなって」
いよいよ、この人が怖くなってきた。自然と俺の足は、彼女と距離を取ろうと後退りする。
「帰ろうとしてもいいけど……。即効性の睡眠作用があるこの薬、手が滑ってキミに飲ませちゃうかも」
魔女の表情は真剣そのもので、その手には液体が入った試験管が。
遠回しに逃がさないって言われてないか、これ。
「……脅しですか?」
「そんなつもりはないよ。ただ、わたしってドジだから」
本人は冗談のつもりなんだろうけど、そのクールフェイスで言われるとそうは思えない。
どうやらこの魔女と出会った時点で、俺に選択肢はなかったらしい。
※
「どう? 魔女の家に来た感想は」
「……汚いんですね」
「キミ、よく失礼って言われるでしょ。まあ、とりあえず適当に座ってて」
草木が生い茂って、道という道がないところを進んだ先にあった洋風建築の小さな屋敷。
非現実感が漂うこの家が、彼女の住みからしい。
案内してもらわなければ、おそらく誰一人としてたどり着けないだろう。
暗がりでもオシャレで、思わず目が奪われてしまうほどの外観だったから中も期待したんだけど……。この部屋の散らかりようを見て、汚い以外の感想を言えというほうが無理だ。
とはいえ、女性の家をキョロキョロするのは失礼かと思い、とりあえず目に入った椅子に座らせてもらう。
目の前の四人掛けのテーブルの上は──食器や紙きれ、食べ物に植物とめちゃくちゃな状態。
「はい、コーヒーしかないけど」
「ありがとうございます……」
テーブルの僅かなスペースに、カップが置かれる。
毒とか盛られてないだろうな。
さっき、試験管に入った液体で脅されたせいで妙に警戒してしまう。
「まずはお互いの自己紹介からしようか。わたしは、ミオ・ベルダイッサ。長いだろうし、ミオって呼んでよ」
見た目は日本人……。ハーフってわけでもなさそうだし……。
顔をまじまじと観察しながら、日本人とは思えない名前についてもう一度聞く。
「……本名はなんていうんですか?」
「だから、ミオ・ベルダイッサ」
聞き間違えではなかったみたいだ。
魔女になりきったヤバい人なのか、本当に魔女なのか。いやいや、後者はあるわけないと思いたい。
「はあ……もう今はそれでいいです」
「本当に本名なんだけど。さすがに酷くない?」
「信じろというほうが無理です。それより、魔女だという証明は?」
「まだ、キミの名前を教えてもらってない」
教えたくない、というのが本音だった。
ここで言い渋ってても、また変な脅しをされる気もしたから仕方なく俺も教えることに。
「笹倉って呼んでください」
「本名は?」
「本名ですよ。一緒にしないでもらえます?」
「冗談だよ。名前も教えてもらえるように信頼を得ないとだね」
冗談の割に顔が笑ってないんだよなぁ。
無愛想というわけではないけど、ポーカーフェイスだから言葉とのギャップを感じてしまう。
「魔女って名乗らなきゃ、最低限の信頼はしてたんですけどね」
「わたしは本当のことを言っただけなのに」
「それが信じられないんですって。どうやってここから、俺に信じさせるつもりで?」
「さっきの瞬間移動も自信作だったんだけど。そうだね……」
そうして彼女は顎に手を当てると、部屋の中を見回しながらなにやら考え始めた。
瞬間移動と同じくらい、現実ではありえないもの……。それが体験できるかもしれないと思うと、不本意だけど期待してしまう自分がいた。
「じゃあ、今からその植木鉢にコスモスの種を植えて、すぐに咲かせる──っていうのはどう?」
やっぱりこの人は、正気ではないらしい。花をすぐに咲かせるなんて、そんな昔話みたいなことが出来るわけがない。
けど、彼女が自信満々で言っていることだけはクールな表情からも分かった。
「本気で言ってます?」
「まあ、見ててよ」
そう言うと彼女は、テーブルの上に山を築いていた紙きれや本を────ドサッと、躊躇いなく床に落とした。細い腕を使って、重機のように豪快に……。
「成長は……この葉っぱと。この実だね」
俺が呆気に取られている間にも、彼女はなに食わぬ顔で準備を進めている。
水道水を半分ほど入れた試験管。細かくされた葉っぱや木の実。そして、学校の理科室でしか見ない、独特な形のガスバーナー。
豪快に空けたスペースが再び埋まっていくけど、理科の実験でもやるつもりなのだろか。
「それじゃあ、コスモスを咲かせるための成長薬を作っていくね」
「成長薬……? こんな素材で?」
「この素材だけじゃ、すぐに花が咲くわけないよ。大事なのはこのあとだから」
そうは言っても、何をしたって花はすぐに咲かないと思うのだけど。
俺は口にするのを我慢して、もう少しだけ彼女の作業を見続けてみる。
試験管のなかで葉っぱや木の実を水に混ぜて、それをガスバーナーで熱しはじめた。俺も授業でやったことがあるような作業だ。
「暇みたいだし、手伝ってもらおうかな。この試験管、火にかけたまま持っててくれる?」
「……失敗しても責任は取りませんよ?」
「大丈夫だから、ほら」
向けられた試験管ばさみの持ち手を、俺は警戒しながら受けとる。
とりあえず、振りながら加熱してればいいのだろうか。
「それじゃあ最後に、わたしの血を入れるね」
この人は今なんて言った……。
俺が理解するより先に、彼女は親指の腹を噛みだした。
「試験管、こっちに向けて」
手首を掴まれた腕は、そのまま彼女のほうに傾いて。
試験管の入り口に近づけられた彼女の親指から、ぽたぽたと数滴の血が垂れ落ちた。
「な、なにしてるんですか。早く止血を……」
「大丈夫、すぐに治るから」
そう言われたときには、彼女の親指は何事もなかったかのような状態だった。
赤く滲んだ様子すらない、綺麗な指の腹。
人間とは思えない出来事を、また目にした気がする。
「それより、完成したよ」
そんな声でハッとして、本番はこれからだったと思い出す。
彼女が手に持った試験管には、黒に近いほど深い緑色の液体が。
「そんなもので、本当に花がすぐ咲くんですか?」
「せっかくだから、キミがやってみる? 上手くいっていれば、すぐに咲くはず」
「……言い訳は聞きませんからね」
「しない。そのかわり、キミもイカサマとか言わないでよ」
そうして隣で彼女に見守られながら、俺はまず土の上にコスモスの種をまく。
正真正銘、植えたばかり。この状態でいくら水をあげても、すぐに咲くことは絶対にないと言いきれる。
ただ、今からあげるのはさっき作った怪しい薬。疑いながらも、俺は試験管を傾けて垂れ流す。
薬を全て土にあげたところで様子をみるけど、特に変化はない。
やっぱり、詐欺だったか。
そんな風に思ったそのとき────突然、植木鉢の中から眩しい光が。
放たれる光の中から芽が出てきて、ぐんぐん伸びていき、そして蕾に。
その蕾もあっという間に開いて、気づけば植木鉢には、たくさんのコスモスが咲きほこっていた。
「成功みたいだね」
「マジか……」
体感、一分程度だろうか。触ってみても本物らしい。
「ちなみに、同じ材料と手順でやればキミ一人でも作れるよ。重要なのはわたしの血で、魔力は必要ないからね」
「…………マジか」
「で、わたしが魔女ってことは信じてくれる?」
「……すごい人なのは分かりました」
「まだ信じてくれないの?」
「信じてないというか、頭で理解できてなくて……」
マジックが得意な人か、もしくは本当に魔女なのか。
マジックだとしても仕掛けが分からない以上、魔女だというほうを信じなければいけないだろう。
「信じるも信じないも好きにしてくれていいけど。わたしに協力してくれる気にはなった?」
「協力するかどうかは、内容次第です」
「でも話は聞いてくれると。だったら、本題に入ろうか。キミにしか相談できないことだったんだ」
「大袈裟すぎません?」
「そんなことないよ。だって、話したいのはキミのバイトの先輩についてだから」
正直、ここで先輩の話が出てくると思わなかったから戸惑ってしまう。
それでも思い返してみると、先輩には問題があるようにも思えて。
「先輩のこと……。もしかして視線が鬱陶しいですか?」
「違う。鬱陶しくはあるけど、もっと大事な話」
そう言った彼女の醸し出す雰囲気は、冗談なんて通じない。張りつめたものへと変わった。
「あの子から悪い魔力を感じたんだ。このまま放っておいたら───あの子は死ぬよ」