第一話
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
「ありがとう」
俺のバイト先の小さな喫茶店には────魔女のお客さんが来る。
「ねぇ、今日も来てるよ」
「あんまり見てると気づかれますって」
「笹倉くん、話しかけてきてくれない?」
「嫌です。そもそも話すことないですし」
好奇心が旺盛な先輩は、魔女のお客さんが来るといつもこの調子だ。
声を潜めてはいるものの、目は興味津々とばかりに輝いている。
「話題なんていくらでもあるでしょ。服装のこととか。魔法が使えるのか、とか」
「それ、先輩が気になっているだけで俺は知りたいと思ってないですから」
「これだから最近の若者は。探求心が足りないと思うのだよ」
先輩だって俺より三つ歳が上なだけだろうに……。
「注文、お願いしてもいい?」
「あっ、はい!」
ツッコもうかと思ったタイミングで、噂の魔女からお呼びがかかった。それと同時に、隣から腰をポンッと叩かれる。
俺が行けってことか……。
漏れそうなため息を我慢しながら、俺は魔女が座る窓際のテーブル席へと向かった。
「お待たせしました、ご注文お伺いします」
「フレンチトーストのセット。ホットコーヒーでお願い」
落ち着いているけれど、芯はしっかりと通った声。
この人はいつも同じものを頼む。本当の常連だけに許されるであろう『いつもの』って言われても通じるくらいには。
だというのに、毎回メニュー表を見て悩むのは何故なのだろうか。
「かしこまりました。少々お待ちください」
そんな疑問を心に抱きながらも、また別の変人が待つカウンターのほうへと戻る。
「魔力感じた?」
「感じるわけないでしょう。ファンタジーじゃないんですから」
「だったら私が。むむむ……」
「一応聞きますけど、何をしてるんですか」
「魔女の正体を暴いてやろうと……」
「はぁ……。そんなことやってないで、フレンチトースト作ってください」
「は~い」
さっきからあのお客さんを魔女扱いしているけれど、本当のところ魔女かどうかなんて分からない。
つまり、俺と先輩が勝手に魔女と呼んでいるだけ。
なら何故、そんな呼び方になっているのかというと──────あの身なりだ。
纏っている黒色のローブは、まさに物語に出てくる魔女が着ているようなもの。
中の真っ赤なシャツと、黒く長い丈のプリーツスカートの組み合わせも魔女の要素がプラスされている。
ここまでなら俺が知らないだけで、どこかで流行っているのかもしれない。
だけど、普通の人ならまず被らないであろうものを見れば話は変わる。
ローブと同じように真っ黒で、一本角のように上に尖った帽子。
あの帽子を被るのは、ハロウィンを除いたら魔女しかいないだろう。ちなみに、ハロウィンまではまだ三ヶ月以上ある。
綺麗な顔立ちをした人なのに、どうしてそんな格好をしているのか────さっき先輩にあんなことを言ったけれど、正直知りたさはあった。
帽子の広いつばが、彼女の顔に影を落としミステリアスさを演出している。
「……実は笹倉くんも気になってるんでしょ。そんなにジッと見ちゃって」
「しつこいですよ。先輩と一緒にしないでください」
「見てたことは否定しないんだ?」
ときどき、こういう鋭さを見せてくるから面倒くさい。
イタズラっぽい笑みを浮かべる先輩を適当にあしらう。
「先輩の気のせいです。だいたい、なんでそこまで夢中になるんですか」
「だって、現実じゃありえないことが起こるかもしれないんだよ? それを体験出来るチャンスなわけで」
「本の読みすぎですよ。魔法を使えるのか、なんて聞いたら頭がおかしい人に思われます」
「じゃあ服装のことだけ! どうしてあんな格好をしてるのかだけ聞いてきてよ~」
「だから、気になるなら自分で聞きにいけばいいんじゃ……」
「聞いてきてくれるなら、デートしてあげてもいいんだけどなぁ」
その言葉で、俺の動きが一瞬止まった。
残念な発言は多いけれど、先輩はかなりの美人でもある。
「ちなみに聞きますけど、どんなデートを?」
一言目で受け入れては、まるでデートがしたくて仕方ないように見えてしまうだろう。
断じて俺はそういうわけではない。どうしてもデートがしたい訳ではないけれど……聞くだけならいいはずだ。
「そりゃあもう、イチャイチャバカップルみたいなデートを……」
「この話は無かったことで」
「違う、冗談だって! 本屋巡りはどう? オススメの本を教えあって、カフェでまったり語らうの」
真っ先に受け入れてたら、絶対に最初の案で採用されていたんだろうな。
それに対して二つ目に提案されたものは、俺の理想のようなものだった。非常識な質問をする代わりの対価としては十分すぎる。
「まあ、先輩の知識は興味ありますけど……」
「決定ねっ。じゃあほら、フレンチトーストもできたから持っていって! 一番大事なことも忘れずにね!」
一番大事なのは仕事ですよ、とはツッコまないでおこう。
こうしてあっさり人生初デートが決まった俺は、フレンチトーストとホットコーヒーをトレーに乗せて魔女が待つ席へ。
「お待たせしました、ご注文のセットです」
「ああ、ありがとう」
レンズの大きな黒縁メガネをかけて、手元には魔法書のように分厚い本。こんな姿を見ると、ますます魔女っぽく思えてしまう。
まさか、先輩の期待通りのことが本当にあるのだろうか。
そんなことを考えて突っ立ったままになっていた俺に、魔女から不思議そうな目線が送られてきた。
「ん、まだなにか用?」
「あの、失礼な質問かもしれないですけど……。どうしてそういう格好をしてるんですか?」
勇気を出して先輩との約束の質問をぶつけてみる。
だけど、答えが返ってくる──なんてことはなく、ただただ無言の間が。
やっぱり不味いことを聞いてしまっただろうか。
そんな焦りを抱きながら、おそるおそる魔女の様子を伺ってみると──目を見開いて驚いた顔をしていた。
「す、すいません。やっぱり失礼でしたよね。俺はこれで……」
「ふふっ、ごめん勘違いさせて。別に失礼だとは思ってないよ」
俺が背を向けて戻ろうとすると、吹き出すような声が返ってくる。
普段は表情があまり変わらない人だから、数秒の間に起こったこの変化に理解が追い付いてくれない。
「熱烈な視線が送られてきてたから、わたしに興味があるのは理解していたけど。まさか、直接聞いてくる勇気があるとは」
「それは、色々ありまして……」
デートに釣られました、なんて口に出せるはずがない。
俺が言いあぐねていると、魔女は唐突に席を立ちだして向き合うような形に。
「気になるのも仕方ないか。こんな格好の人間は滅多にいないもんね」
くすくすと笑いながらそう言われて、細く長い人差し指が俺の口元に添えられる。
二人だけの内緒、とでも言うかのような仕草で、質問の答えがボソッと囁かれた。
「わたし、魔法が使えない魔女なんだ」