57. 動き始めた証言
翌朝、菜々美のカフェには、張り詰めた空気が漂っていた。
朝の光が窓から差し込む中、テーブルの上には開いたままの報告書が広がり、菜々美はじっとその文字を見つめていた。
「リュウ……昨日のこと、報告書にまとめたわ。」
彼女は、そっと紙を差し出した。
そこにはリュウが聞き出した“脅し”の詳細が丁寧に記されていた。
男が語った黒衣の人物、そして「家族を危険に晒す」との言葉──すべてが陰謀の裏を示している。
リュウは報告書に目を通しながら、静かに呟いた。
「証言者は、まだ迷ってる。だが……もうすぐ腹を括るはずだ。」
「彼の証言で、何かが変わるかしら?」
菜々美の問いに、ガイデンが答えた。
「ええ、でも一人では足りないわ。彼と同じように脅された人が他にもいるなら、私たちはその声を集める必要がある。」
「それって……」
アリスが不安げに口を挟んだ。
「また被害者たちに接触するの?」
「そうなるわね。」
ガイデンは真剣な表情を崩さずに頷いた。
「でも、今度は私が行くわ。昨日、ミリアムのカフェで客の一人が妙な話をしていたの。『言いたいことがあるけど、誰に話せばいいか分からない』って。多分、私たちに協力してくれるかもしれない。」
「それなら……僕も一緒に行くよ。」
マークが手を挙げた。
「僕、正直怖いけど……このままじゃ何も変わらないって思うから。」
ガイデンは静かに微笑んだ。
「ありがとう、マーク。無理だけはしないでね。」
その頃、町の一角では新たな動きが起こっていた。
ミリアムのカフェの裏手、倉庫の近くで一人の青年がリュウを待っていた。
彼は、かつて菜々美のカフェに通っていた常連客──今はミリアム側のカフェに通っている者だ。
「来てくれてありがとう。」
リュウが言うと、青年は帽子を深く被りながら小声で答えた。
「……あのカフェ、おかしいんだ。店の雰囲気が最初とは全然違う。まるで……誰かに支配されてるみたいで。」
「お前も脅されたのか?」
「いや、俺は脅されてはいない。でも見たんだ。裏口で黒い服の男が、スタッフの一人を怒鳴りつけてるのを。」
「何て言ってた?」
「“余計なことを言えばどうなるか分かっているな”って。そいつ、青ざめてたよ。」
リュウの目が細められる。
「その男の特徴は?」
「でかくて、無表情。アーウィンって呼ばれてた。」
「……やはり。」
リュウの声に怒気がにじむ。
「アーウィン……ミリアムの指示を現場に伝えている男だ。」
青年は続けた。
「俺、あのカフェで働いてる友人がいるんだ。何度も『辞めたい』って言ってた。でも、最近連絡が取れなくなった。」
「連絡が?」
「家も留守で……誰も見かけてないって。」
沈黙が落ちる。
リュウは低く呟いた。
「……これはもう、“営業方針”の問題じゃねえ。人が消えてるってのは……尋常じゃない。」
「お願いだ、菜々美さんを助けてくれ。」
青年は頭を下げた。
「俺、何もできないけど……もし何か役に立てるなら。」
「それだけの気持ちがあるなら十分だ。」
リュウは短く答えた。
「お前の証言も記録に残す。ヴァレリーに伝えれば、裁判の流れが変わるかもしれない。」
一方その頃、カフェに戻ってきたガイデンとマークは、一人の女性を連れていた。顔をマントの影に隠していたが、その手は細かく震えていた。
菜々美が声をかける。
「ごめんなさい、怖い思いをさせて。でも……あなたの話を、聞かせてくれませんか?」
女性はしばらく沈黙していたが、やがて震える声で語り始めた。
「……あのカフェ、最初は普通だったんです。でも、ある日を境に様子が変わった。『特別なハーブ』の管理が厳しくなって、従業員は誰一人、それに触れられなくなった。」
「それって、誰が管理してるの?」
「アーウィンです。……でも、本当に怖いのは、その先。ある日、作業中にほんの少しだけ、そのハーブの匂いを嗅いだ子がいたんです。その後で急に体調を崩して、数日姿を見せなくなったんです。」
菜々美は思わず口元を押さえた。
「その子は、今……?」
「無事に戻ってきました。でも、もう働いていません。それどころか、町からいなくなってしまいました。」
「ミリアムが……?」
ガイデンの声が鋭くなる。
「彼女の指示を聞いたことがある人は?」
「いません。いつもアーウィンを通してしか伝わらないんです。でも、店には不思議な“報告用の巻物”があるんです。誰が見ても分からない文字で書かれてる。」
「文字?」
「はい。普通の文章じゃないんです。たぶん……何かの符号か魔法文字のような。」
菜々美はリュウの方を見た。
「もし、それがミリアムの指示だとすれば……直接の証拠になる。」
「だが、それを手に入れるのは相当難しいだろうな。」
リュウは眉をひそめた。
「でも、やる価値はある。」
その時、カフェの扉が軽く叩かれた。
「失礼。」
入ってきたのは、あの監査官ヴァレリーだった。整った身なり、冷静なまなざし。だが、その瞳の奥には、わずかな迷いが見えた。
「菜々美さん……今日は少し、お時間をいただけますか?」
菜々美は深く頷いた。
「もちろんです。」
嵐の前の静けさのような時間が流れる中、戦いの火蓋はゆっくりと、確実に落とされようとしていた。




