48. 囁かれる名
リュウとガイデンは早朝、町外れのカフェへと向かっていた。昨日の調査で、菜々美を陥れる陰謀の影にこのカフェが関与している可能性を強く感じ取った二人は、さらなる証拠を掴むため慎重に動く必要があった。途中、町ではいつも以上に噂が飛び交っているのが耳に入った。
「裁判がどうなるにせよ、菜々美のカフェはもう信頼を取り戻せないだろうね。」
「新しいカフェの特別なハーブティー、飲んでみた?あれは素晴らしいよ。菜々美のところとは比べ物にならない。」
人々の何気ない会話に、リュウは奥歯を噛み締めた。「奴らが広めた噂のせいで、町全体が菜々美から離れていってる。」
「感情を抑えなさい。」隣で歩くガイデンが冷静な声で言った。「私たちはここで感情に流されるわけにはいかないわ。」
二人は無言のまま町外れの道を進み、ついに例のカフェが見える場所までたどり着いた。昨日も見たその豪華な外観と活気に満ちた店内の雰囲気は、菜々美のカフェが今置かれている状況を思い出させるだけだった。
「見ろ、またあの使者が来ている。」リュウが低い声で指差した。
ガイデンも視線を向ける。そこには、明らかに他の客とは異なる立ち振る舞いをする一人の男がいた。貴族らしいきらびやかな装飾が施された衣服を纏い、周囲の客と交わることなく店内を観察している。
「王族の使者かもしれない。」ガイデンが慎重に言葉を選んだ。「王女が派遣した調査員という可能性もあるわ。」
リュウは眉を寄せた。「王族がこんな店と関わる理由があるのか?それとも、何か別の目的があるのか?」
「それを確かめるのが私たちの役目よ。」ガイデンが答えると、二人はさらに慎重に動き始めた。
カフェの正面を避け、裏手の搬入口付近に身を隠した二人は、従業員たちの動きを観察し続けた。そこでは、大きな木箱やハーブの束が次々と運び込まれていた。その中の一つが半開きになり、中の乾燥した葉が見えたとき、ガイデンの目が鋭く光った。
「見覚えがあるわ。このハーブは――」
「菜々美の畑に紛れ込んでいたものと同じじゃないか?」リュウが小声で遮った。「間違いないな。」
ガイデンはさらに近づこうとしたが、突然、搬入口から現れた一人の男に目を奪われた。彼は以前、菜々美のカフェで見かけた顔だった。
「あいつ……元々菜々美の店に通ってた常連だ。」リュウが険しい表情を浮かべた。「どうしてここで働いてるんだ?」
「それだけじゃない。」ガイデンが呟いた。「彼の動きが何かおかしいわ。明らかに誰かに指示されて動いているように見える。」
その従業員は辺りを警戒しながら、木箱を奥へと運び込むと再び外へ戻り、周囲を見渡していた。その動きには不自然さがあり、二人に強い違和感を抱かせた。
「裏で何かが起きているのは間違いないわね。」ガイデンが静かに言った。「ただ、それをどう証明するかが問題よ。」
リュウは拳を握りしめ、「証拠を掴むには、中に潜り込むしかないだろう。」
「無理に動いて見つかるのは得策じゃない。」ガイデンが即座に否定した。「それより、今の状況を整理して次の手を考えましょう。」
その時、不意に一人の女性がカフェの裏手から現れ、二人の方に近づいてきた。
「何者だ?」リュウが身構えた。
その女性は周囲を見回しながら、静かに囁くような声で言った。「私も菜々美さんを信じています。ここで何が起きているのか知りたいの。」
リュウとガイデンは驚きつつも、彼女の表情の真剣さを見て警戒を緩めた。
「あなたは?」ガイデンが問いかける。
「私はこのカフェの従業員です。でも、最近の動きにはどうしても納得がいかなくて……。特に、王族の使者が頻繁に出入りしているのを見ると、不安でたまらないんです。」
リュウは目を細め、「お前がどこまで知ってるか聞かせてもらおうか。」
彼女は一瞬迷ったが、決意したように頷いた。「ここで使われている『特別なハーブ』は、どこから来ているのか分からないんです。それに、店主のミリアムは一度も姿を見せたことがありません。ただ、彼女の命令を従業員たちは絶対的に従っている……。」
「ミリアム……?」リュウが眉をひそめ、驚きと警戒が混ざった声を上げた。「その名前、聞き覚えがある。」
ガイデンも瞬時に反応し、鋭い目で女性を見つめた。「本当にミリアムがこの店の背後にいるの?」
女性は困惑したように頷いた。「ええ、少なくともここで働いている私たちは、店主のことをそう呼んでいます。でも、彼女自身を見たことがある者はいないんです。ただ、彼女の指示は必ず一人の男性を通じて伝えられてきます。その人が……。」
「どんな人物だ?」リュウが前のめりになるようにして尋ねると、女性は少し怯えたように後ずさった。
「短髪で、体格が良くて……常に冷静で、感情を表に出さない人です。名前は……たしかアーウィンと呼ばれていたような。」
「アーウィン……。」リュウがその名前を繰り返し、考え込むように呟いた。その名前には聞き覚えがなかったが、何かが引っかかる感覚があった。
一方でガイデンは冷静に話を整理し始めていた。「ミリアムの名前が出たということは、やはり今回の件と彼女が関わっている可能性が極めて高いわ。菜々美が裁判で苦しんでいる裏で、この店を繁盛させている。偶然とは思えない。」
「おい、待てよ。」リュウが少し苛立った声で言った。「確かミリアムは、以前菜々美のカフェにアルバイトとして来ようとした人物だったんだろう?それが失敗して、それから町でトラブルを起こしたって話もあった。」
「そうね。」ガイデンが頷く。「それに、彼女が過去に巻き起こしたトラブルの内容を思い出してみると、今回の事件に通じるものがあるわ。」
「もしこれが仕組まれたものだとしたら……その首謀者がミリアムだとすれば、あいつはどこかで私たちを見て笑っているかもしれないな。」リュウが歯を食いしばりながら言った。
女性は二人の会話に戸惑いながらも、怯えた様子で続けた。「彼女がどんな人物なのか、私には分かりません。ただ、この店で働き始めてから、どうも何かがおかしいと感じていました。すべてが計画的で、従業員に与えられる指示も緻密すぎるんです。それに……王族の使者が頻繁にここを訪れるのも。」
「王族の使者まで絡んでいる……?」ガイデンの目が鋭く光った。「ミリアムの狙いは、単に店を繁盛させるだけじゃないのかもしれない。」
「そんな……。」女性はますます困惑した表情を浮かべた。「私、本当に何も知らなくて。ただ、菜々美さんのカフェがこんなことになったのは、どう考えても偶然じゃないって思うんです。」
「分かった。」ガイデンが静かに頷いた。「あなたの話はとても重要な手がかりよ。私たちはそれをもとにさらに調査を進める。」
「ありがとう。」リュウも短く礼を言ったが、その表情は厳しいままだった。「俺たちで必ず真相を暴いてやる。そして、菜々美を救う。」
女性は恐る恐る後ずさりながらも、「何かあったら連絡してください」と小声で付け加え、慎重にその場を後にした。
リュウは静かに拳を握りしめ、「ミリアムがこの町で何をしようとしているのか……絶対に暴いてやる。」と低く呟いた。その声には、確かな怒りと決意が込められていた。
二人は慎重にその場を離れ、菜々美に報告するためカフェへと戻った。町外れのカフェで見た光景、聞いた情報は、確実に事件の核心へと繋がる道筋を示していたが、同時に危険も伴っていることを二人は理解していた。




