46. 裁判の幕開け
町の裁判所の前は、朝早くから集まった人々のささやきでざわめいていた。普段は静かなこの場所に、こんなにも多くの住民が集まるのは珍しいことだ。菜々美の裁判が行われるとあって、誰もがその行方を見届けようとしていた。
「菜々美さん、本当にそんなことをしたのかしら?」
「でも証拠が出てるんだろ?もし有罪になったら、カフェは終わりだな。」
「まさか……そんなはずないよ。」
噂話の飛び交う中、菜々美は裁判所の入り口で深呼吸を繰り返していた。緊張で手が震え、胸の奥が重く沈んでいる。隣にはリュウとガイデンが付き添い、少し離れたところでアリスとマークが不安そうに様子を見守っている。
「大丈夫だ、俺たちがついてる。」リュウが力強く言葉をかけると、菜々美はかろうじて小さく頷いた。
「ありがとう……。」それでも不安を隠すことはできなかった。
重厚な扉を押して裁判所に入ると、中は静かで冷たい空気が漂っていた。傍聴席には、菜々美のカフェに通っていた常連客たちの姿もあったが、どこかよそよそしい表情を浮かべている。裁判官が席に着き、低く威厳のある声で開廷を告げた。
「これより、菜々美のカフェに関する案件の裁判を開始します。」
検察側の弁護士が立ち上がり、菜々美を鋭く見据えた。「この裁判では、被告である菜々美が経営するカフェで提供されたハーブティーにより、複数の住民が体調を崩した事案を審議します。現場で発見された有毒植物、ならびに被害者たちの証言を基に、事実を明らかにしていきます。」
その言葉に傍聴席がざわつき、菜々美は拳を握りしめていた。「私は無実だ。絶対に負けない。」そう心に誓いながらも、不安が胸を締め付ける。
最初に証言台に立ったのは、「被害者」を名乗る中年の男性だった。彼は市場で野菜を売る商人で、以前は菜々美のカフェの常連だったこともある人物だ。「ある日、菜々美さんのカフェでハーブティーを飲んだんです。その日は特に変わったことはなかったんですが、その夜から急にお腹が痛くなりまして……。」
裁判官が尋ねる。「その症状はどのくらい続きましたか?」
「一晩中痛みが引かず……翌日には治ったんですが、今思うと、あのハーブティーが原因だったのかもしれません。」
菜々美はその証言に息を呑んだ。彼が以前カフェで笑顔を見せていた姿が思い浮かぶ。こんな作り話をするなんて、何か裏があるとしか思えない。
次に証言台に立ったのは、カフェの近くに住む若い女性だった。「私も菜々美さんのカフェでハーブティーを飲んだ後、ひどい頭痛に襲われました。あのお茶のせいだと思います。」
しかし、彼女の証言は具体性に欠け、質問されるたびに曖昧な返答を繰り返していた。それでも、検察側はその矛盾を追及することなく、次々と「被害者」たちの証言を並べ立てていった。
「明らかに、誰かに言わされてるな。」リュウが小声で呟いた。
「でも、それを証明するのは簡単じゃないわ。」ガイデンが冷静に答える。
次に検察側が提出したのは、役人たちが畑で発見したという有毒植物だった。「この植物は、被告のカフェに隣接するハーブ畑で発見されました。明らかに栽培されていた痕跡があります。」
裁判官が書類に目を通しながら菜々美に視線を向けた。「菜々美、これは事実ですか?」
「いいえ!」菜々美は力強く否定する。「私たちはこのような植物を育てたことは一度もありません!誰かが意図的に紛れ込ませたとしか思えません!」
しかし、検察側の弁護士は皮肉げに微笑み、「それを証明する証拠は?」と冷たく問いかけるだけだった。傍聴席の空気が重く沈む中、菜々美の声だけが虚しく響いた。
裁判所の外では、ミリアムの部下たちが暗躍していた。「裁判でも、菜々美のカフェから有毒植物が見つかったらしいぞ。本当に危険な店なんだな。」市場や広場、町のあちこちで繰り返される噂話が、町の人々の不信感を煽っていく。
「これじゃあ、裁判で無罪を勝ち取っても町の信頼は戻らないかもしれないわね。」ガイデンが眉を寄せながらリュウに耳打ちする。
「そんなの許せるかよ。」リュウは拳を握りしめ、「俺たちで奴らの正体を突き止めてやる」と低く呟いた。
裁判の進行とともに、傍聴席に座る町民たちの間にも疑念が広がっていた。「証拠もあるし、被害者もたくさん出てるんだろう?やっぱり危険な店だったのかもしれないな。」
「でも、菜々美さんがそんなことをするとは思えないし……。」
裁判所を取り巻く空気はますます重苦しくなり、菜々美の訴えは届いているのかさえ分からない。
「私は無実です!」菜々美が立ち上がり、絞り出すような声で訴えた。その声は、静まり返った裁判所の中に響き渡った。「このカフェは、私が一から作り上げた夢そのものです。私は誰も傷つけたくないし、町のみなさんに安全で美味しいものを提供するために、日々努力してきました!」
菜々美は拳を握りしめ、息を整える間もなく続けた。「私のカフェに来てくださるお客様が笑顔になること、それが私の一番の喜びです。このカフェは、ただの商売のための場所ではありません。町の人々と繋がり、支え合い、信頼し合う場でもあるんです!」
傍聴席から微かなざわめきが起こる。その中には菜々美の言葉に心を動かされた者もいれば、冷ややかな視線を向ける者もいた。しかし、菜々美はそれに構わず、さらに言葉を続ける。
「疑惑を向けられている有毒植物が、私たちの畑にあったことは事実かもしれません。でも、私たちはそんな危険なものを育てた覚えもないし、それを使った覚えもありません!それは誰かが意図的に仕掛けたものだとしか思えません!」
菜々美の声が震えながらも強く響く。その真剣さに、一部の傍聴人は目を伏せるようにして聞いていた。しかし、その中には冷笑を浮かべる者もいた。
「聞いてください!」菜々美は声を張り上げ、視線を裁判官に向けた。「これまで私たちのカフェに通ってくださった方々が、この場所をどれほど愛してくれていたかを知っています。常連の方たちが笑顔で『また来るね』と言ってくださる姿が、どれだけ私を励ましてくれたか……。それを裏切るようなことを、私は絶対にしません!」
傍聴席に座る常連客たちが顔を伏せたり、そわそわと動く様子が目に入る。菜々美の言葉に動揺している者もいるようだった。
「私は誰かに陥れられているんです!」菜々美はさらに力を込めて言った。「これが単なる偶然だなんて思えません。畑にあった植物も、このような偽りの証言も、すべてが仕組まれたものなんです!」
その言葉に、検察官が立ち上がろうとする。しかし、菜々美は構わず言葉を重ねた。「どうか、もう一度冷静に考えてください!私はこの町が好きで、この町の人たちが好きで、このカフェを続けてきました。その私が、わざわざ人を傷つけるようなことをするはずがありません!」
「被告!」裁判官が低い声で菜々美を遮った。「その主張は既に聞きました。裁判では、感情ではなく証拠が重要です。」
「でも――!」菜々美が反論しようと口を開いた瞬間、裁判官が厳しい表情で手を上げた。「これ以上の主張は必要ありません。証拠に基づいて話を進めるように。」
菜々美は息を飲み、言葉を飲み込むしかなかった。裁判所の中が再び静まり返り、冷たい空気が彼女の肌を刺すように感じられた。
裁判官が冷静な声で告げる。「次に進みます。被告の主張は記録しましたが、証拠が不足している以上、それを裏付ける材料が求められます。」
菜々美は拳を握りしめ、うつむいた。自分の真剣な訴えが届いていないのだろうかという無力感に、胸が締め付けられるようだった。それでも、彼女の心の中には小さな火が灯り続けていた。「私は無実だ……絶対に負けない。」その思いをかみしめながら、次の言葉を口にすることを待つしかなかった。
その声は裁判所中に響いたが、冷たく沈む空気を変えるには至らなかった。傍聴席に座る町民たちの視線には疑念と迷いが入り混じり、菜々美の心に重くのしかかってきた。
彼女の戦いはまだ終わっていない。だが、この戦いがいかに厳しいものになるのか、菜々美は裁判が進むにつれて痛感していた。




