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42. 新しいカフェと噂

その日の昼下がり、常連客のエドワードがいつものように店を訪れた。カウンター越しに菜々美がティーカップを差し出すと、彼は重そうなため息をつきながら椅子に腰を下ろした。


「最近、何だか町の雰囲気が少し変わったように感じるんだ。」エドワードがぽつりと呟いた。


「町の雰囲気?」菜々美はティーポットの蓋を閉めながら彼に問いかけた。「どういうことですか?」


「町外れに新しいカフェができたって噂を聞いただろう? どうやらその店、特別なハーブティーを売りにしてるらしいんだが……妙に評判がいいんだ。」


「そうらしいですね。でも、具体的にどんな評判なんでしょう?」


エドワードは少し考え込むように目を細めた。「話を聞く限りじゃ、あそこのお茶を飲むと疲れが吹き飛ぶとか、病気が治ったなんて大げさな話もあるらしい。正直、にわかには信じがたいんだが……。」


菜々美は不安げに眉をひそめた。「そんなに効果があるって話、逆に怪しい気がしますね。薬草に詳しい人なら、無闇にそんな誇張はしないはずなのに。」


エドワードはうなずきつつも、少し困ったように肩をすくめた。「でも、うちの常連だった人の中にも、あの店に行ったって話を聞いたんだよ。」


「えっ、誰ですか?」菜々美は驚いて身を乗り出した。


「名前は伏せるが、しばらくここに顔を出していない人たちだな。皆、『たまには別の店も行ってみよう』なんて軽い気持ちで行ったらしい。」


それを聞いて、菜々美の胸には小さな焦りが広がった。常連客たちがふらりと別の店に行くこと自体は不思議ではないが、町外れという不便な場所にわざわざ出向くのは、何か特別な理由があるに違いない。


その時、アリスが厨房からひょっこり顔を出してきた。「菜々美さん、今日のお客さんも新しいカフェの話をしてましたよ。『あそこのお茶は特別なハーブを使ってるらしい』って。」


「特別なハーブって、一体どんなものなのかしら……。」菜々美はティーポットを手に取りながら呟いた。


「それに、面白いことを言ってましたよ。」アリスは身振りを交えながら話し続ける。「そのカフェの人、あまり店に顔を出さないんですって。お茶を淹れる人は別にいるみたいで、店主が誰なのかよく分からないって。」


「店主が顔を出さない……?」菜々美はさらに眉をひそめた。


「そうなんです。ちょっと不思議ですよね。でも、逆にそれが神秘的だって言ってる人もいました。」


アリスの言葉が、菜々美の記憶の中に埋もれていた市場での光景を呼び起こした。あの日、雑踏の中で見かけた自信に満ちた立ち居振る舞いの女性。その姿が妙に引っかかる。


「ねえ、アリス。」菜々美は少し迷った後で言葉を紡いだ。「そのカフェの話、もう少し詳しく調べてみようと思うの。」


「了解です!私も何か分かったら報告しますね!」アリスは張り切った様子で頷き、厨房へと戻っていった。


エドワードは少し苦笑しながら、「どうやら新しいカフェの話が、町中の話題を独占しているようだな。菜々美さん、気にしすぎることはないと思うが……まあ、情報はあって損はないだろうな。」と付け加えた。


菜々美は静かにティーポットを置き、カップにお茶を注いだ。香り立つペパーミントの清涼感が心を落ち着けるが、胸の中の不安は一向に消える気配がなかった。


その日の夜、カフェの閉店後、菜々美はリュウとガイデンに相談を持ちかけた。


「町外れのカフェ、思った以上に町に影響を与えてるみたい。」


リュウはティーカップを手に取りながら言った。「そうか。それで、何か情報は掴めたのか?」


「店主が顔を出さないらしいの。それに、特別なハーブティーを飲むと『病気が治る』なんて話まで出てる。」


ガイデンは考え深そうに口を開いた。「それが本当なら、ちょっと気になるわね。だけど、店主が顔を出さないのは少し不自然ね。」


菜々美はその言葉に頷きながら、ティーポットを握る手が無意識に強くなるのを感じた。その話を聞くたびに、頭の中に過去の記憶が蘇ってくる。あの時も、町中に似たような噂が広がったことがあった――。


それは今から一年ほど前、菜々美がカフェを始めて間もない頃のことだった。ある日突然、町に奇妙な噂が流れ始めた。「新しいカフェができた」「そこのお茶を飲むと疲れが吹き飛ぶ」「特別なハーブで作られているらしい」といった具合に、耳を引く話ばかりだった。


最初のうちは、ただの新規店だろうと気にも留めていなかった。しかし、その店の名前が次第に町中の話題を独占し始め、さらに「病気が治る」「他の店とは違う特別な味」など、常識では考えられない誇大な評判が加わるようになったころ、状況は大きく変わった。


客足が明らかに減り始めたのだ。常連だった冒険者や旅人が、次々とその新しいカフェに足を運び、しばらくしても戻ってこないことに気づいたとき、菜々美は胸の中に焦りを覚えた。


そのカフェの噂が気になり、菜々美自身も情報を集めようとしたが、どういうわけか「店主が誰なのか分からない」「妙に隠された場所にある」「本当に飲んだ人しか場所を知らない」など、不審な点ばかりが浮かび上がってきた。


「特別なハーブティーか……。」菜々美は今でもその言葉を聞くたびに、過去の一件を思い出してしまう。


そのときの店主こそ、今菜々美の頭を悩ませる存在――ミリアムだった。彼女は初め、菜々美のカフェでアルバイトを希望してきた明るい女性だった。薬草やお茶について興味があり、熱心に質問してくる姿勢に、菜々美も当初は好感を抱いていた。


しかし、彼女の「自分の店を持ちたい」という言葉に、どこか強い野心を感じたことも確かだった。そして、最終的に彼女は採用を見送られることになった。それが直接の原因だったのかは分からないが、ミリアムはその後突然姿を消し、数か月後には噂のカフェを立ち上げていたのだ。


「どうしてこんなに話題になるのかしら……。」その時の菜々美は、そう思いながらも不安を抱えた日々を過ごしていた。


だが、すぐにその不安は的中することになる。噂のカフェでは、菜々美が丹精込めて育てていたハーブに酷似した素材が使われているという話が広まり始めたのだ。さらに、ある日突然、菜々美のハーブ畑から大切に育てていた一部のハーブが姿を消しているのを発見した。


「まさか、ミリアムが?」菜々美はその時初めて、ミリアムの存在を意識した。


しかし証拠はなく、直接対決することもできないまま、彼女のカフェの評判はさらに広がっていった。


結果的に、その騒動は、ミリアムのカフェで提供されたハーブティーを飲んだ客が体調を崩し、大きな問題になったことで終息を迎えた。成分の調合が間違っていた可能性が高いと判断され、町の役人がミリアムのカフェを調査。最終的に彼女の店は閉鎖され、彼女自身も町を去った。


「もう二度と戻ってこないだろう」と、町の誰もが思っていた。菜々美もその一件を心に封じ込め、再びカフェの運営に集中する日々を送っていた。


しかし、今目の前で広がる「特別なハーブティー」の噂。姿を見せない店主。市場で見たあの女性の後姿――。それらが重なり合い、菜々美の中に新たな疑念が生まれる。


「もしかして、またミリアムが……?」


そう思った瞬間、自分の考えに驚き、菜々美は小さく頭を振った。「違う、そんなはずない。気のせいよ。」


それでも胸の中には、忘れたはずの不安が小さな種となって芽吹き始めていた。

「ま、とにかく行動を起こす前に、もう少し情報を集めてみた方がいいな。」リュウはカップを置きながら言った。「何か分かったら俺たちにも教えてくれ。」


菜々美は二人に感謝の気持ちを込めて頷いたが、心の中に芽生えた疑念はますます膨らんでいくのを感じていた。

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