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赤子の白髪造り

 …ここはどこだ。

 男はゆっくりと目を開いた。

 漆黒。

 何も見えない暗闇の中で男は手足を動かしてみる。

 すると、何か繊維のようなものがそこら中で散らばっていることに気がつく。

 男は細いその繊維を手探りで拾い取り、ぐにぐにと人殺しの指でそれを弄ぶ。

数分弄んでいたが、結局、男にはそれが何なのかわからなかった。

 そのまま漆黒の中で、歩いてみたり、辺りの暗闇を見回してみたり。

 数十分。数時間。

 男は不安に襲われる。前後の記憶が曖昧。

 何でこんな漆黒に自分がいるのか、男にはわからない。

 頭を掻き毟ろうと思った。そして掻き毟った。

 そしたら、ボロボロ抜けた。何が?髪の毛が。

 男は呻き声を上げる。まるでテレビで見る抗がん剤の治療を受けている人間のyように、自分の髪の毛がブッツリと抜け落ちた。

 また掻き毟ってしまう。先程以上に抜ける。そこで男はようやく気がついた。先程の暗闇で弄んだ繊維は、己の髪の毛なのだと。

 自然と彼の息が上がる。吐息は荒々しく、暗闇の中、血眼で周囲を見回す。何もない。

 遂に走り出した。何が何だかわけもわからないので走り出した。すると男はすぐに息が上がってしまい、地面にひれ伏してしまった。

 それに付して男の髪の毛も抜ける。何本も。

 漆黒の中で、男の荒い息だけがしばらく鳴り響いた。男の怪物のような呻きはその漆黒の中でやけに鳴り響いていた。

 男はその響き具合から察した。

 ここは、あの茶色いツボの中なのだ、と。

 あの殺した赤ん坊が、俺に復讐をしているのだ、と。

 ならば出口は遥か上空か、と男は仰向けになった。

 しかしツボの蓋は閉じられているのか、天井は漆黒のカーテンに包まれている。

 それからまた何十分、いや、数時間か。

 漆黒のカーテンから、何かが降りてきた。

 それは突然、ぼんやりとしながらも、しかし次第に漆黒の中ではっきりと姿を現し始めたのだ。

 男の動悸が激しくなる。

 それは人形。先程の妻の、血をダラダラと流している、乾燥した目の無い人形。

 それがゆっくりゆっくり、カサカサの白髪を垂らしながら男の目の前にまで、降りてきた。

 糸で吊るされているようにして。

 「ひっ」

 「おかえりなさい」

 妻の人形の血液が、落ち窪んでいる目であったはずの部分から垂れ落ちて、男の頬に付着する。

 糸に引っ張られるようにして唇を動かす妻は、「おかえりなさい」としか言わない。

 男は首を左右に、嫌嫌と何度も激しく。嫌嫌と何度も激しく。

 その頬にまた、血液が垂れる。繰り返される出迎えの挨拶。

 それもまた、数時間は続いた。

 数時間、男と妻は向かい合ったままだった。

 が、突然妻の人形は、ぎこちなく、宙に浮いていた右腕を、男の頭部に向かって伸ばし始めた。

 右腕は男の髪の毛を鷲掴みにする。

 ぶち。

 とも鳴らずに、男の髪の毛数十本は呆気なく抜けた。続いて左腕も伸びてきて、また男の髪の毛は抜かれた。

 「おかえりなさい」

 女は最後に唇をひん曲げて(それもやはり引きつったように)、そして高笑いをした。

ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ

 男の全身は恐怖で硬直する。それを見て満足したような妻の人形は、男の髪の毛数十本を両腕で抱えたまま、やがて暗闇を上りあがって行く。おっして漆黒のカーテンに包まれた。男はそれを見送った後、何が何だかわからぬまま、しかし死を、いや死以上の苦しみを味わう恐れを感じて。意識を喪失した。


 目が覚めるともはや体が動かなかった。金縛りに遭ったように、指先一つ動かせない。

 男は仰向けのまま、またも数時間、漆黒。恐怖と絶望(それも想像のつかない)で頭は破裂寸前だった。そんな男の前で、漆黒のカーテンは再び開いた。そして妻の人形が以前のように。男の目の前で止まって血液を流した。

 「おかえりなさい」

 そう言いながら妻の人形は右腕と左腕を伸ばす。そして男の頭部から、またも髪の毛を奪い取る。

 以前と同じ行為。同じ数時間。同じ恐怖。同じ絶望。

 妻の人形は男にそれを味合わせた後、再び漆黒のカーテンに身を隠した。

 そして男も意識を失った。

 何度もそれが繰り返される。時の感覚も忘れた男は漆黒を無限に味わう。忘却。よくわからぬ感覚。自分の体が自分の体であるかどうかももはやわからない。生きているのかも怪しい。自分は既に地獄に落ちているのではないか。地獄は、ツボの中。ツボの中は、赤子の居場所。赤子の亡骸が、腐敗している場所。

 ……ず……ず……

 ず………ず……ず

 …ず…ず……ず…

 突然、這いずるような音。地面を擦るような音。ふすまが開く音とも違う。もっと、生々しい音。

 生物?赤子?腐っている?いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ

 ……ず……ず……

 ず………ず……ず

 …ず…ず……ず…

 いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ

 いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ

 『お父さん』

 声が聞こえた方角は……男のすぐ右側……。

 男は、ゆっくりと、首を、右に……動かす。

 『お父さん』

 腐った肉の塊のような、何の判別もつかないキモチワルイモノが、声を発している。

  ……ず……ず……

 ず………ず……ず

 …ず…ず……ず…

 いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ

 いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ



 緑青の絨毯。男は全身に汗をかきながら目を覚ました。

 男は飛び上がるように上体を起こして、そして辺りを見回した。

 既に日は落ちている。誰もいない。時計は九時の方向を指している。

 (…夢、だったのか?)

 ふすまに目を向けた。閉まっている。 

 電気が付いていない。真っ暗な部屋は不気味であった。月明かりの中人形たちが男を見守っている。男は背筋を凍らせながら、慌てて電気をつけようとした。

 だがそこで軽快な高音。

 呼び鈴であった。男は電気を付ける寸前の指をピタリと止めてから、ぎこちなく玄関の方向に首を向けた。

 玄関へ繋がる扉を開けて、慌てて覗き穴に片目をくっ付ける。

 (…誰だ…?)

 覗き穴の向こうにいるのは一人の男。若々しい男。

 鍔付きの帽子を被っている。少し下向き加減のせいで、男の顔つきを見ることが出来ない。

 男は少し不気味にも思ったが、男にとってはこの部屋にいることの方が不気味であった。茶色いツボや赤子の陰から少しでも遠く、一刻でも早く、遠ざかりたかった。鍵を開けてドアノブを捻り、男はドアを開けた。

 開けてから男はすぐに安心した。鍔つき帽子の男が宅配業の人間であることがわかったからだ。鍔付き帽子の彼のすぐ隣には、大きめのダンボールが蛍光灯に照らされながら佇んでいた。

 「どちらさまでしょうか?」

 男は高慢な調子を少しだけ取り戻していた。言葉も威張り腐った嫌味を含んでいた。

 鍔つき帽子の男は顔を上げた。特徴的な切れ長の目。その中の黒目が妙に澄んでいる。

 切れ長の目が、男に何かの警戒を伝えていた。男は何かを思い出そうとした。しかし、思い出せない。

 男が不安を感じていると、宅配業の男は口を開いた。

 「お荷物です。印鑑かサインをお願い出来ますか?」

 明るめの、爽やかな声。特に警戒する必要の無い、やわな餓鬼。

 男はサインをした。

 宅配業の男はそれを爽やかな笑顔で受け取った。爽やかな笑顔のまま彼は続ける。

 「これ、運ぶのを手伝ってもらってもよろしいでしょうか?」

 たしかに、蛍光灯に照らされているそのダンボールは一人で運べる代物ではなさそうだった。

 男は面倒だと思いながらも「はい、いいですよ」と述べてからダンボールの片端に手を入れた。ずしりと重量がのしかかる。

 (重……)

 男は思わず舌打ちをする。それを聞いていた宅配業の男は苦笑している。

 玄関に無理やりダンボールを捻じ込み、半分程それを入れた。

その瞬間に、疑問が生じた。

――ここまで、どうやってこれを運んできたんだ?

脳裏で言葉を呟いた瞬間に、ぐにゃぐにゃとした不気味な気持ち悪さが、男の全身を支配した。赤子のことが一瞬にしてフラッシュバックされ、忘れていたはずの赤子のその顔さえも思い出せた。そして男は、男は、その赤子の顔を思い出した瞬間、気がついた。気がついてしまった。

――赤子は、目の前の宅配業の男と同じ、切れ長の目を、していた。

 背筋が固まる。ぎょっとしてから、思わずダンボールを取りこぼしてしまう。床に大きな音を立ててダンボールは落っこちた。

 慌てて片端を掴もうとした。しかし片端を掴んだ瞬間、のっぺりとした液体が男に付着する。両手に、付着。それは、紛れも無い。血。

 「ひっ」

 飛び退いた。ダンボールから、宅配業の男から、慌てて距離をとる。

 宅配業の男はすでに爽やかな笑顔を作っていない。無表情だ。何も考えていないような目で、赤子の切れ長の目で、男を見つめている。

 「どうしたんですか」

 宅配業の男は冷たい言葉。平坦な、心の読み取れない言葉。

 「ああ。どうせなら部屋の中まで運びたかったんですけれど」

 「だ、誰だ。誰なんだ、お前は」

 「知っているでしょう?」

 始めて嘲りが宅配業の男に浮かんだ。片頬を引きつらせて卑屈に微笑んでいる。切れ長の目で、腰を抜かした男を、見下している。

 「さあ、荷物を受け取ってください」

 宅配業の男はダンボールを開き始めた。「おい、お前、何やってんだ」男の制止も聞かず宅配業の男はダンボールの中身を顕にしていく。

 その中から血が噴出してくる。どんどん、風呂の栓を抜いたかのように、血がダンボールの内部から滲み出ている。

 ぼとり。

 最後に現れたのは、妻の遺体だった。

 夢でみたのと同じ、目が落ち窪んだ、糸で引っ張られたような、白髪の、乾燥した、彼女。

 宅配業の男は、笑い出す。堪えきれずに曲げてしまっているかのような、頬。唇。

 「お返しします。おかげで、僕は短い期間で、こんなにも成長しました。毎晩、毎晩、あなたたちのおかげで僕は成長しました。とても立派になったでしょう?これからはあなたたちの代わりに、僕が幸せに生きていきます。この人は動かなくなってしまったけれど、大丈夫。あなたも、じきに動かなくなるから。この人は女だから、体力が無かったんだ。あなたは男だから、女よりは長持ちなんだね。ありがとう。何度も繰り返すけれど、あなたと彼女のおかげで、僕はここまで成長したのだよ。忘れないでね。どこか遠くにいっても、そのことを忘れないでね。あなたたちの血肉が、僕に血肉を与えたんだよ。さあ、これを見てくれよ」

 そういって宅配業の男は鍔つきの帽子を脱いだ。

 男は息を呑んだ。

 彼の髪の毛は、真っ白。

 「あなたから毎晩分けてもらったね。彼女を通して。もちろん、ここだけじゃないよ。毎晩のあなたの髪の毛は、僕の全身を形作ってくれたんだ。すごいでしょ?人形たちから教わったんだ。僕が腐り果ててボタンを食べたとき、人形たちがこういう手段を教えてくれたんだ。白髪が、僕を形作って、あなたたちをタベツクシタ。ボクガアナタタチヲタベツクシタ。ドウモアリガトウ。イッショウ、ワスレナイヨ」

 彼は右手で左腕をつまんだ。すると彼の皮膚が、肉が、サラリと『抜けた』。抜けたそれは乾燥した白髪に変わっていた。

 「さあ、そろそろ時間だよ。そろそろ気がつかなくちゃ」

 宅配業の男は男の放心した体を、白髪で造られた体で引っ張り上げた。彼の力が強いのか、男の体が軽いのか。男の体は床をズルズルと簡単に進む。

 鏡の前にまで男は引っ張りあげられて、そこで男は、

 (なるほど)

 と思った。男の体は、もはや妻と同じ、人形だった。目が落ち窪んでいて、血が噴出していて、全身が乾燥していた。頭には、白髪。

 宅配業の男、いや、赤子は、一言、呟く。たまりにたまっていた何かをこの一言で全て吐き出すようにして、赤子は恍惚とした表情。白髪で造られた頬と唇と切れ長の目と、全てを引きつらせながら、彼は男と女への復讐を果たした。

 「オトウサン、オカアサン、アリガトウ」


結局、一万字は超えましたね。これにて連載終了です。

個人的には、今まで書いた中では一番まともに書けたホラーになったと思うので、ちょっと満足です。

ご意見、感想などございましたら、送りつけてください。

今後の参考にさせてもらいたいので。

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