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一緒にくりすやを甦らせましょう

 窓から斜めに射しこむ夕陽が眩しくて手びさしを作る。


「来てくれてありがとう、柊さん。紅茶に砂糖かミルクは必要?」

「じゃあ両方ともお願いします」

「同い年なんだから丁寧語じゃなくていいわよ」


 遠慮せず頼んでみると江津さんはふふっと楽しげに微笑んだ。

 放課後の司書室は昼間の騒ぎが嘘だったかのように静かで、古い紙の匂いと紅茶の香りがセピア色の部屋を満たしていた。室内にはテーブルを挟んで対面する私と江津さんしかいない。司書さんはつい先ほど職員会議のため席を外したらしい。

 充分に蒸らしたのを確認して彼女は紅茶を出してくれた。お礼を言ってひとくち含むと、柔らかい果実の風味が広がる。


「私もくりすやのファンだったの」


 ソーサーに自分のカップを置いて江津さんが話を切り出した。


「店主さんはいつも何を考えているのかわからない無表情で、商品と代金を受け渡すとき以外ずっと黙りこくっていた。常連さんにも、小さい子にさえ愛想のひとつも撒かなかった」

「いかにも昔気質の職人って感じだったよね、あのお爺さん」

「本当は茶目っ気のある人なんだけどね。でも、そう。そもそも人柄なんて関係なく、作るたい焼きは絶品だった。心の中に幸せな気持ちを直接注ぎこまれるみたいな……私が子どもの頃からそうだった。あのモールに移転する前から、本当に大好きだったの」


 訥々と語る江津さんのまなざしが淡い憂いを帯びる。


「お昼に委員の子が、たい焼きなんて久しぶりに食べたって言ってたの、聞いてた?」


 彼女の問いに黙って首肯する。

 チョコや煎餅のように日常に深く根差しているお菓子ではない。

 ファーストフードやホットスナックほど広く売られる軽食でもない。

 誰もがその存在を知りながら実際に食す機会は少ない。たい焼きとはそういう食べ物だろう。私もくりすやに出会うまでは一年に一枚食べるか食べないかだった。


「悔しかった。つい最近まですぐ近くにあんなお店があったのに。……再開発での商店街からの立ち退きにも黙って従って。せっかくの一丁焼きも売り文句にせず、ただ静かに焼き続けて。誰にも知られず、いつか忘れられて――くりすやはそういうお店だった」


 私はその、知名度が低く混んでいないお店こそ好ましかった。

 身勝手な私の思いをよそに江津さんは苦い口ぶりで続ける。


「今年閉店するってわかってたらもっとみんなにも勧めていた。そうでなくても勧めればよかった。そうしたら今頃、少しでも何かが違っていたかもしれないのに」


 あでやかで深い色合いの髪が江津さんの肩口で揺れている。

 緑の黒髪と呼ぶのだろうか。清潔感のあるストレートボブは彼女の気立てを表しているふうに見えた。まっすぐで清冽とした、真冬の針葉樹のようなそのいでたち。同じボブカットでもちんちくりんの私とは全然違っている。


「……くりすやが閉店したのは別に江津さんのせいじゃないでしょ」


 お爺さんが死期を悟っていたという栗須さんの言葉を思い出す。もしそうなら閉業の直接の原因はあくまで寿命である。

 過去のいきさつがその年数に及ぼした影響は定かではない。しかし百年に渡るお爺さんの生は遠からず終わる運命にあった。人の手が介在する余地は元々少なかっただろう。


(まあ、私だってそのいきさつ(・・・・)とやらに思うところはあるけど――)


 彼女はもう知っているのだろうか。お爺さんがこの世にいないことを。


「ありがとう」


 江津さんが薄い笑みを貼りつける。本気で自身が引導を渡したと信じこんでいるようだった。


「でもね、そんなふうに後悔しているところに柊さんが現れたの。くりすやの焼き型を受け継いでたい焼きを焼いているあなたが」

「受け継いだって、それはおおげさだよ。私は単に譲ってもらっただけで」

「そう、それを訊きたかったの。どうして柊さんは焼き型を譲ってもらったの?」


 小首をかしげて江津さんが問う。私はひと呼吸置いて答えた。


「また、あのたい焼きが食べたかったから」


 それから私は少し時間をかけてこの夏の出来事を話した。

 終業式の日、モールで偶然くりすやを発見したこと。一枚食べてすぐにハマったこと。毎日通い続けていたこと。閉店の日、何の気まぐれかお爺さんが焼き型を五本くれたこと。

 栗須滝野という女のこと。お爺さんが亡くなってしまったこと。

 くりすやのたい焼きをもう一度食べたくて、たい焼き作りを始めたこと。


「何よ、立派に受け継いでるじゃない」


 江津さんが口に手を当てて笑う。目尻が夕の光できらめいた。

 彼女はお爺さんが亡くなった事実を粛然と受け止めている。印象以上に強い人だった。


「でも、そっか。そうなると柊さんは、くりすやのレシピを再現するのが最終目標なわけね」

「先の見えない道のりだけどね……」


 干し草の中から針を探す旅。その遠大さを思い頬杖をつく。窓の外でカラスが私を嘲笑うかのように鳴いていた。

 夕焼けに赤く染まった部屋で、テーブル越しに江津さんが身を乗り出してくる。


「ねえ柊さん、一緒に文化祭に出ない?」

「はい?」


 やぶからぼうに飛び出してきた江津さんの提案に目が点になる。


「十月の文化祭よ。図書委員会では例年通り古本カフェを営業する予定なんだけど、マンネリ気味だから新しい風を呼びこみたいって話が出ているの。そこで柊さんのたい焼きをメインとして売り出していく。『今夏惜しまれて閉業した美傘の名店・くりすやの味!』ってキャッチコピーでね」

「いやいや、そもそも私図書委員じゃないし。お店の味もまだできてないし。カフェやるならミウ……赤羽根さんのお菓子でいいじゃん。おいしいよ?」

「もちろんそれはそれで推していくわ。和の柊さん、洋の赤羽根さん。二枚看板ってやつね」

「看板の片方を部外者が背負うのは委員会的にアリなの?」

「そんな線引きなんてこの司書室の出入りくらいガバガバよ。他の委員会でも友達やOBが手伝う展示はあるしね」


 身も蓋もない言い方にくらっとする。

 自分のおでこを指で揉みながら私は別の反論を試みた。


「えっとね、さっき話したと思うんだけど。私は自分が食べたくてたい焼きを焼いているだけなんだよ。お客さんに出す気は全然ないの」

「それは嘘よ。お昼にみんなに分けていたじゃない」


 江津さんはあっさりと私が立てた言葉の防壁を撃ち抜いた。


「あれはなりゆきで」

「本当に食べてほしくない人は他人に欲しいか訊いたりしないわ?」


 江津さんが顎に指を当てる。一周回ってきょとんとした顔だった。

 そんな江津さんの断定を、否定しきれない自分自身がいた。


「初めは違ったかもしれなくても、柊さんはもう客に自分の作品を出す喜びを知ってしまったはず。司書室に来たのも、本当は自分以外の試食が欲しかったからよ」

「……」


 初めておいしく焼けたたい焼きを他の誰かに食べてみてほしい。

 本音を言えば、そんなよこしまな気持ちもたしかに存在していた。エマとミウミウのふたりには最初から見透かされていたかもしれない。

 先日栗須さんに、自分のためだなんてタンカを切ったばかりなのに。


「私は街のみんなにくりすやのことを忘れないでほしい。ううん、忘れちゃっても別にいい。そういうお店があったってことを、ただたくさんの人に知ってほしい」

「つまりそのために私のたい焼きを利用すると?」

「ええ。だってこれが最後のチャンスだと思うし。でも柊さんの言い分もわかる」


 江津さんが指で輪っかを作る。


「ただでとは言わないわ」

「いやお金の問題じゃないし、お金の問題にされても困るし」

「柊さんにとって値千金……いえ、それ以上の情報を教えてあげる。お昼のたい焼き、餡は既製品だったわよね?」

「缶の茹で小豆ですけど」

「私はくりすやの餡の製法を知っている」

「は?」


 カラスの声が遠ざかる。自分の発した一音のみが耳に響いた。

 悪戯っぽく口角を上げて江津さんは続きを口にする。


「店主さん直伝よ。交換条件としては申し分ないんじゃないかしら?」


 瞬時に膨張する疑問が喉に詰まって呼吸すらおぼつかない。

 今度は私が問い質したかった。

 なぜ餡のレシピを教えてもらったのか。どうして教えてもらえたのか。お爺さんとはどんな関係なのか。本当にただの常連客なのか。

 仮に深い関係にあるとして、なんで私ではなく江津さんが焼き型を譲り受けなかったのか。

 私の問いも答えも待たずに江津さんはぱちんとウインクした。


「あなたに製餡を教えてあげる。一ヶ月半後の文化祭で、一緒にくりすやを甦らせましょう」


 江津さん――江津由香里(ゆかり)は強いだけでなく、(したた)かな少女だった。

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