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人にたい焼きをふるまう喜び

「応援、ねえ……」


 週明けの昼休み、教室の自席でたい焼きを食み、ひとりごちる。

 今朝焼いた薄皮のたい焼きは先週のより格段に美味だった。小麦粉と餡で組成されている鯛の形をした何かではなく、いっぱしの焼き菓子になっている。甘く香ばしい普通のたい焼き。惨憺たる過去の品を思うとそれだけで軽い感動を覚えた。

 劇的な味の改善はひとえに、昨日夕方まで付き合ってくれた栗須さんの指導の賜物だ。感謝しきりな反面、今後のことに頭を悩ませていると、


「お昼だよモモモモ! って今日もたい焼き弁当? そろそろ飽きたりしない?」


 にぎやかで華のある声に合わせて私の席を衝撃が襲う。震度三を感知した机の上で水筒がぐらぐらと揺れた。

 私の机に自分の机をガツンとぶつけてきたのはミウミウ。明るい茶髪と垂れ目と巨乳がチャームポイントの美少女である。芸能人がまとうオーラよろしく、透明感のある美肌によって彼女の周囲は常に発光している。

 決して力加減を学ばない彼女に目もくれず返答する。


「飽きない。それに今日はなんとほうじ茶と塩昆布もセット」

「わあ塩昆布! あたし塩昆布大好き! モモモモがたい焼きならあたしは塩昆布って感じだよね? キャラが。ちょうだいな!」

「逆じゃない? エマがほうじ茶って言うならわかる。あげないよ」

「じゃあたい焼きちょうだいな! あーん」


 人目もはばからずに大口を開けて待ち構えるミウミウである。雪のように真っ白な歯の奥でのどちんこがぷらぷら揺れていた。でかい。クラス随一の整ったツラも完全に台無しののどちんこ。横を通り過ぎようとした男子がぎょっとした顔で二度見している。


「わかったよもう。ほれ」

「あむっ」


 ちぎってよこすと食いついてきた。鳥の餌付けでもしている気分だ。それにしても指を舐め回すのはやめて頂きたいと切に願う。


「あれ? おいしい! おいしいよモモモモ!」

「あれ? ってなんだよ。そりゃたい焼きはおいしいよ」

「照れない照れない~……ごめん鼻つねらないで。痛いしなんかべとべとして汚い。臭い」

「お前の唾液がついた指だよ」

「くさくない! だって先週はモモモモありえないくらいまずそうに食べてたよ! 公害で死んだ魚みたいな目しててせがむ気にもならなかったのに!」


 腐敗物の次は産業廃棄物扱いだった。むべなるかな。

 ハンカチで指先を拭いているとエマも自分の机を寄せてくる。


「なんたって師匠がついたからね~。桃の技術向上は著しいよ~」

「師匠!? カッコいい! ていうかそのたい焼き自作!? 手作りなの!?」

「そうだよ~それも巨大なハサミでガッコンガッコン焼いてるんだよ~」

「ハサミ!?」


 古いホラーゲームのハサミ男を模してミウミウが身をくねらせる。余計なことを喋りおってからに。エマを睨むもどこ吹く風である。


「でも手作りかあ、同じパティシエ志望としてがぜん燃えてくるね! あのさモモモモ、たい焼きってあと何個……何枚……何尾……あるの?」

「単位どれなのか困るよね。あと四枚あるけど」


 実際どの単位が正しいのかよく知らないので栗須さんにならう。


「おう多いねえ。せっかくだし温めて食べない? むしろあたしが温めて食べたい!」

「たかる前提かい。まあいいけど、わざわざ司書室行くの? めんどくさいなあ」

「頼むよモモモモー! モモモモー! モモモモモモモー!」

「ええいやかましいメス牛! 暴れんな! 絞るぞ!」


 目と鼻の先で乳を揺らされて頭の血管が切れそうになった。

 モー……とうなだれるミウミウを見ていられず、私はぽりぽりと頬を掻いた。




 昼休みに入ってから間もない図書室はまだ閑散としていた。貸出カウンターの脇を抜けて奥の扉から司書室に入る。美傘高校の司書室は図書委員とその連れの出入りが自由なのだ。


赤羽根(あかばね)でーす! こんにちはセンセー、レンジとトースターお借りしまーす!」

「はいどうぞ~」


 司書のおばあちゃん先生は煎茶を啜りながらのほほんと許可をくれた。委員であるミウミウを先頭に、私とエマはぺこぺこと他の四人の委員に会釈して歩を進める。


「あっ柊ちゃんだ、やっほー。また美羽(みう)が変なこと思いついたの?」

「やっほーです、毎度お騒がせします……」


 テーブルで弁当箱をつつく呆れ顔の図書委員長に苦笑を返す。ミウミウが戸棚から取ってきた花柄の大皿にたい焼きを置くと、興味しんしんといった様子で委員たちがこちらを眺めてきた。面倒な空気になってきた。


「桃の手作りのたい焼きです~。あっためたほうが絶対おいしいので~」


 エマに紹介されて「おお~」と司書室の衆目が一身に集まる。


「……たい焼き?」


 その中にひとり、訝しげに眉を寄せる女の子の顔があった。


「どうかしたの江津(こうづ)ちゃん?」

「あ、いえなんでも」


 首をひねる委員長に江津と呼ばれた彼女が慌てて取り繕う。左目の泣きぼくろがカーテンを引いたように前髪に隠れた。


(あれ?)


 泣きぼくろが艶めかしい彼女を私はどこかで見かけた気がした。

 それもここではない別の場所で。他人の空似っぽくも思えるが。

 水道の側の電子レンジで二十秒、隣のトースターで五分。温めている間も江津さんはこちらをじっと窺っている。

 温め直した四枚のたい焼きを再び大皿へとあける。わかってはいたけどやっぱり多い。今朝は上手く焼けるのが嬉しくてついつい焼きすぎてしまったのだ。

 ここに来る前に済ませた昼食で胃には既に二枚収まっている。どう始末するか考えているとエマが謎の目配せをよこした。

 そっぽを向くと今度はミウミウがグッと謎のガッツポーズ。

 辺りを見回せば委員たちの目。ぐう、と誰かのお腹の虫が鳴く。


「……よかったらみなさんも食べます?」

「えっいいの?」


 待ってました! とばかりに目をきらきらさせる委員長に笑いかける。


「見ての通り無駄にたくさんありますし、元々ミウ……赤羽根さんにあげる予定だったので。もし迷惑じゃなければ、場所代ということで」


 提案してみると委員たちからウェーイ! と歓声があがった。まんまと予定調和に乗っかってしまった感覚が心に残る。

 半分ずつ、計八つに割られたたい焼きに司書さんも含めた一同でかぶりつく。

 それがどこからあがった声なのか、私には判然としなかった。


「――おいしい!」


 弾かれたようにたい焼きの断面から目線を上げてしまった。

 喜びの声は次々にあがる。熱いという声、甘いという声、パリッとしてて好みだという声、たい焼きなんて久々に食べたけどハマりそうだという声、声、声。

 そのどれもがきっとお世辞じゃない。そう信じられる声色だった。

 見開いた目で司書室を見渡す。

 まるで部屋全体を暖かい陽だまりが包んでいるように映った。


「おおっモモモモモいい顔してるねー! モモモモもこの年でお菓子作りの醍醐味ってのがわかっちゃったかな?」

「うるさい」


 腕を絡ませてくるミウミウをどついて私は顔を背けた。

 ぼうっと頬が火照るのを感じる。脈拍が変に早まったせいで胸から何かが吹きこぼれそうだ。まさかこんな気持ちになるとは思わなかった。今夜はちゃんと眠れそうにない。

 ほうじ茶でも飲んで気を鎮めようと水筒の蓋に手をかけたとき、食べかけのたい焼きを手に持ったまま、彼女――江津さんがぽつりとこぼした。


「くりすや」


 喧騒の中でその一言はいやにはっきりと耳奥に届いた。

 ばっと反射的に彼女を見る。当たり前みたく視線がぶつかる。

 江津さんは変わらず小声で、私だけに聞こえるように尋ねた。


「このたい焼きの型、くりすやのよね。どうしてあなたが持ってるの?」

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