先輩の言葉
それから少しして、俺の受賞作は全国の書店に並んだ。意外と批判は少なかった。もちろん、俺に対して散発的に批判や脅迫は送られてきていたし、俺はそのひとつひとつに深く傷ついたものだったが、それらの数は普段と比べてほとんど増えていなかった。いつもの『高瀬ヨモギの小説は面白くない』と主張している人たちが、その批判の内容を変えているだけだった。
それに、二学期に入ってしばらくすると、人々はその事件を忘れていった。俺にまとわりついていた『あの事件の当事者』という先入観はだんだんと消えていき、一人の書籍化経験のある人気小説家と見られるようになっていった。
冬ごろ、柿田先輩にあるテレビが『人気の高校生小説家を取材する!』という特集で取材をしにやってきた。すると、先輩はなぜか「私よりも年下の人気小説家がいます!(大嘘)」と俺をテレビ局に紹介してしまい、人気の高校生小説家は人気の高校生小説家コンビになってしまった。これが決め手になった。俺のそれまでの過去はかなりの割合で塗りつぶされてしまって、俺のイメージは『柿田涼花の後輩』で定着した。もちろん、俺があの夏の事件の当事者だということを思い出す者は、もうほとんどいなくなっていた。
世間があの事件を忘れていくのに比例して、俺の記憶からも同じようにその記憶は薄れていった。ときどき思い出すことはあったが、それはもう過去に終わったこととしての思い出し方だった。例えるなら、厨二の頃の歪んだ妄想を振り返るのに似ていた。
俺はその後も、学校に行き、部活に行って小説を書き、帰っても小説を書く毎日を送っていた。もちろんいくらかの出来事はあったが、それはまた別の話だ。
とにかく、その日は特別な日だった。その日は、柿田先輩がーーこの二年間にわたって実質的に定慶高校文芸部の指導的存在でもあった絶対的エースが、ついに卒業する日だったのだ。俺たちは前々から必死に計画を練って、毒舌な先輩をなんとか泣かせようと、お別れ会を開いた。
「今日はどうもありがとう、高瀬君。さすが私が二年間育てただけあって、なかなか凝った演出だったじゃないか。私も何かこみ上げてくるものがあったよ」
俺たちの心を尽くした出し物に、先輩は珍しく殊勝なコメントをした。俺の知る限り人前で涙を見せたことがない先輩を、そこまで感極まらせることができたのなら上出来だ。
文学部の推薦で(そんな推薦の方法があるということを、俺は先輩が五月ごろに「大学に受かったぞ!」と大喜びで部室に入ってきた先輩を見て初めて知った。絶対俺もやってやる)入試を人より早く終えてしまった先輩は、卒業の前日まで普通に部活に出ていた。制度上は先輩は文化祭で引退していて俺が部長になっているはずなのだが、全くその実感はなかった。だが、明日からは俺が実質的にも部の中心人物となる。
「高瀬君」
俺と先輩は横並びに立っていた。一応は部長であった前の三年生が普通の時期に引退して以来、部活終わりになると、俺と先輩は必ず並んで立って、部員たちにいろいろな話をしたものだった。ことあるごとに突破なことを考えつく先輩を制止するのは、いつも俺の役目だった。後輩たちには「毎日『部長のお話』はコントのようだ」と言われたものだった。
でも、いつもはからかうような、悪戯っぽい横目をちらりと送ってくる先輩は、今日は俺と向かい合って立ち、俺をまっすぐ見つめていた。俺はこんなときにもかかわらず、意外と先輩は小さいんだなーーとか、どうでもいいことを考えていた。普段改まって話すことがないので、こういう感慨深そうな先輩の表情は、俺にとっても新鮮だった。
そして先輩はこう言ったのだった。
「高瀬君は、私にないものを持っている。私には書けない、楽しい小説を書ける。これからも、定慶高校文芸部をまとめて、引っ張っていってくれ。いつか私を超えてみせろ。期待している」
そして先輩は俺に歩み寄って、俺と握手をした。そこでお別れ会はお開きになった。
……もちろん、先輩のそれらの言葉の本当の意味について、俺は全く深く考えなかったのであった。