ーリアンの脳裏に映る人ー
束の間の太陽が覗いた後は、再びしんしんと雪が降り始め、夜には吹雪に戻っていた。
夜の吹雪はまるで、ガタガタと恐怖に窓を震わせ、吹き荒れる風の隙間風は行くあてなく叫び続けるような音を城内に轟かせていた。
リアンは書類の整理をするも、どこか上の空だった為、マクロスが半分する事にした。
本来であればマクロスがする業務なのだが、リアンはヒューゴが亡くなった後から、マクロスに頼んで分けてもらっていたのだ。
少しでも国の仕事を、こなしていけるようになる為に。
しかしそれでもリアンは大幅に減った書類の数を見て、心ここにあらずの状態であった。
リアンはまた目を閉じ、オリビアの面影を思い出していた。
ーーバンッ
その時、勢いよく執務室の扉が開いた。
「おい、リアン、風呂入るぞ」
近衛騎士団長のジャッカスだ。二人きりの時は、父のようにリアンに接してくる。
上の空なリアンをジャッカスも、心配していたのだろう。
今まで、一度たりとも一緒に入ったことなどなかったのに、あたかも何度か入っている仲ではないかと言わんばかりに、ジャッカスは堂々とリアンを呼びにきた。
リアンは乗り気ではなかったが、いい気分転換になるかもしれないと、渋々ついて行くことにした。
体を洗い、湯船に浸かるリアンとジャッカス。
ゆらゆらと波立つ水面に立つ湯気を、二人はしばらく見つめていた。
沈黙が続く中、先に口を開いたのはジャッカスだった。
「リアン、あいつらは無事だ」
確信を持って力強く言葉を発するジャッカスは、あいつらと語るカイとパトラスの事を思い描いていた。
カイとパトラスはジャッカスにとって、リアンと共に子どもの様な存在なのである。
「そう信じてるという話だろ?」
何も根拠はない。ただ、どう思うか。
それを問うてる話だろと、言わんばかりにリアンは言葉を投げかけた。
「ああ、信じてるさ。お前は信じてないのか?
オリビア様の事を」
「は?」
リアンもジャッカスの目線の先にいるのが、カイとパトラスだと分かっていた。
そこで、オリビアが出てきて、つい間抜けな声を出してしまった。
ジャッカスが信じているのはカイとパトラスだと、思っていたからである。
ジャッカスはリアンの方を向くと、リアンが考えてる事が筒抜けなのか、笑い始めた。
「はははっ! 確かにカイとパトラスも信じているさ。
あいつらは並大抵の事で死にはせん。
だが、あいつら、ここは少々未熟だ」
そう戯けてジャッカスが指したのは、頭であった。
ジャッカスはリアンから正面へ視線を戻すと、さらに言葉を続けた。
「オリビア様も壮絶な過去を乗り換えてきている。
彼女の生命力も並大抵のものではないだろう。
だが、彼女にはそれ以上の頭がある。
そう思わないか?」
ーーなぜ、この男はこんなに自信満々に語れるのだろうか?
ーーなぜ、この男はこんなに人を信じられるのだろうか?
ジャッカスの何の疑いもない眼を再度向けられたリアンは、疑問に思わずにはいられなかった。
常に人と一線を引いているリアンには到底理解できるものではなかったのだ。
それはジャッカスも感じていた。
今のリアンには理解し難いだろうと。
ただ、同時にリアンの中に芽生え始める気持ちにも気付いていたのだ。
今こそ、リアンの中に潜めるものを目覚めさせる時かもしれない。
ジャッカスは率直にそう思ったのだ。
「彼女は、無闇矢鱈に人を危険に晒す人ではない。
皆無事にやってるさ」
力強いジャッカスの言葉は、人を信じられないリアンにとって、とても居心地が悪かった。
リアンは穏やかになるどころか、益々苦虫を噛み潰したような顔を浮かべている。
「リアン、いつまでも殻に篭ってちゃ、大切なものも見落としてしまうぞ。
この機会に胸に手を当てて聞いてみるんだな」
ジャッカスはそう言ってリアンの肩に手を置くと、その手を支えにする様に力を加え、湯船から足を出した。
「おい、待て、ジャッカス。
何を聞くっていうんだ?」
スタスタと風呂場を出ようとしていたジャッカスに、空かさずリアンは問いかけた。
「全くそういう所、まだまだお子ちゃまだな〜お前は」
後ろ向きのままでも感じる、呆れた様子のジャッカスは、気怠そうに言った。
ジャッカスは体の向きだけは変えずに、首だけ振り向かせると、言葉を続けた。
「今一番思い浮かべる人が誰なのか。
その人はお前にとってどんな存在なのか。
それも分からなかれば、まだまだお前は青二才だな」
いちいち口に出させんなよ、と捨て台詞を吐きながら、ジャッカスは終始気怠そうに風呂場を出ていった。
「今一番思い浮かべる人…?
どんな存在か…?」
リアンは唖然としていた。
そんな物が分かった時に、何故あのように強く構えれられるのかが分からなかったからだ。
ーーそれが分かった時、自ずと強くあれるとでも言うのか?
リアンは不思議でならなかった。
スッキリしないまま、少しのぼせる手前の体を湯船から出し、少し水を浴びると、風呂場を後にした。
リアンはこの日、ベッドに横になると、天井をひたすら見つめていた。
窓の外の吹雪の音すらも耳に届かぬ程、じっと天井を見つめていた。
そして、その天井に残像を映すかのようにリアンは一人思い浮かべてみた。
ーーオリ…ビア…??
何も考えず思い浮かべた影は、天井にオリビアの笑顔の残像を映し出した。
意外だった。
リアンはヒューゴが浮かぶと思っていたからだ。
確かに、この状況では安否が分からない連中の存在が大きくなるのは分かる。
ただ、それでも不安を煽ぐような状況の中で、いつも思い浮かべていたのはヒューゴであった。
おどろおどろしく鳴り響く雷と豪雨の日も…
誰の存在さえも感じない程静まり返った真夜中も…
夜盗が捕らえられても尚、不気味な笑みを浮かべている時も…
全て脳裏に浮かんだのは、血塗れになりぐったりと横たわったヒューゴの姿だった。
今でも改めて記憶を巡ると鮮明にその姿は浮かんでくるのだ。
「…ゔっ!」
あまりの意外さに、記憶を辿り過ぎたリアンは、鮮明に思い出してしまった光景に、つい吐き気を催してしまった。
だが、その時吐き気を抑えてくれたのは、不思議と、オリビアの笑顔であった。
ーーなぜ、こんな時にまでオリビアが出てくるんだ…
起こした体を再びベッドに寝かせると、もう一度天井を見つめた。
ーーオリビア、お前は俺にとってどういう存在なんだ?
なぜ俺の中にいる?
そう問いかけると、残像が消えた天井を見るのを止め、目を閉じ、瞼の裏に映し出してみる事にした。