松田なな の場合
あの時、私はまだ中学生だった。
私には2才上の姉がいる。 姉は真面目で成績優秀、おまけに芸術の才能があり、オペラ科を専攻していた。
私は勉強はイマイチだったが、体操の部活が好きで毎日練習ばかりしていた。
性格が全然違う私と姉・・・当然仲が悪かった。
全然勉強しない私に
「馬鹿は生きてても空気の無駄!金の無駄!」といつも言っていた。
私の父は某有名大学を卒業しており、考え方も姉と似ていた。
父は会社を経営していたので、私はそこそこ裕福な家庭で育った。 しかし両親とも会社を運営していたので、朝から晩まで会社に行っており、顔を合わせる時間はほとんど無かった。
姉は、両親が家を空けている間の私の行動を全てチェックし、親に伝えていた。
テレビを何時間見た・電話が長い・服装が派手だ・友達と話す時の言葉使いが悪い・など事細かにチェックして毎日親に報告するのだ。
「あんな下品な言葉使いで話せる友達なんてどうせロクな友達じゃないよね〜、類は友を呼ぶ? アンタみたいな人間にはそれなりの人間しか寄って来ないわよ」
「あんな友達と付き合うのやめなさいよ!」
「アンタと姉妹っていうのが恥ずかしいから外では他人のフリしてね」と、何かにつけて私をバカにした。
私がピアノを弾いていると
「どいて! 今から私が使うから。アンタはお遊びで弾いてるだけでしょ? お姉ちゃんは真剣に音楽を学んでるの」とピアノを取られる事も何度もあった。
自分の部屋でロックを聴いていると、いきなり部屋に入って来て
「うるさい! そんなバカみたいな音楽聴いてるからアンタはバカなんだよ! そんな音楽、脳にも影響悪いよ〜」と言って勝手にCDデッキの電源を切って出て行った。
当然喧嘩になり、お互いが相手を罵倒するのだが、頭の良い姉は必ず難しい言葉を使って私をなじり、最後には
「あ、バカなアンタにはこんな難しい言葉は理解できないよね? ごめんね〜」の決まり文句で終るのだった。
私が高校受験を控えたある日、姉は
「どこの高校受けるの? 頼むから最低でも○○高校より上のランクの高校にして! 低レベルな高校に入学するなんて事になったら恥ずかしくて友達に言えないから」と言い放った。
毎日のように
「バカ、バカ」と言われ続けていた私は、この頃から自分の存在価値に疑問を抱くようになり、自殺する事ばかりを考えていた。
車や電車に飛び込んだら相手に迷惑かけるよなぁ・・・。 中学生には睡眠薬は売ってくれないし・・・
飛び降り? 手首を切る? それぐらいの事しか頭に浮かばなかった。
でも私の中でどうしても譲れない条件があった。 それは、私が産まれてから今までにかかった費用を親に返す事だ。
姉はよくこんな事を言っていた。
「この家には優秀な私しか必要ないのに後からアンタがのこのこ産まれてきて迷惑だ! アンタを育てる為にいくらお金が必要だと思ってんの? バカに使うお金はこの家には無い」と。
だから私は自分が使ってきた分のお金を親に残したかったのだ。 それには保険金が入るような死に方をしなければいけない。 「自殺じゃダメだ・・・事故に見せかけて死ぬ方法を考えなければ・・・」 私は毎日考えた。でも考えても考えてもコレと言って良い方法が思いつかなかった。
私は少しだけ手首を切ってみた・・・でも血が少しにじんだだけでドラマの様にはいかなかった。 単に勇気が無かっただけだったのだ。
それから間もなく高校受験に合格し、私は高校生になった。
受験に合格した時も姉は
「私が認める高校の中ではギリギリのランクだけど、受かってよかったね〜。でも高校は義務教育と違って留年ってのがあるからボケボケしてると留年するわよ」と嫌味を言っていた。
私が高校1年の時、姉は高校3年生で大学受験を控えていた。 某有名国立大学の受験だ。
その頃からまたピアノの取り合いが多くなり、ついにキレた私と姉は取っ組み合いのケンカをした。
もちろんお互い手加減はしたが、脚には打撲の痕が残るぐらい蹴り合い、姉の唇は少し切れていた。 姉は傷の痕を母に見せ
「明日は歌のテストなのに、こんな状態じゃまともに歌えない」と母に何度もアピールし、結局私だけが怒られた。
翌日も姉は私にその事を責め始め
「そんなに私が嫌いなら殺せば?」と包丁を私に差し出したのだ。
その時は私も驚いて、刺せばいいのかどうか迷っていた。 私の手が上がる瞬間に
「刺すならどうぞ〜、でも刺したらアンタは殺人罪に問われて一生その汚名は消えないよ、犯罪者になるんだもん。困るのはアンタだよ〜。ま、アンタもそこまでバカじゃないよね」と言ってきたのだ。 腹わたは煮えくり返っていたけど、当然刺せるはずもなく
「お姉ちゃん本当は刺されるのが怖いんでしょ」と言い返して包丁をしまった。
この頃から私は真剣に自殺の方法について考えるようになった。 テレビを見ていたある日
「アメリカでホームステイしてみよう」というCMが目にとまった。 「アメリカって銃社会だなぁ・・・アメリカのスラム街をウロつけば強盗か何かで銃で撃たれて死ねるかもしれない」 私は真剣にそう思った。
次の日私は父に
「アメリカに行きたい」と話を持ちかけた。
すると父は
「どうせ行くなら家族で行こう」と言ったのだ。 私1人で行かなきゃ意味ないのに、父はアメリカ行きに乗り気ですっかり旅行気分になっていた。
姉に旅行の事を話すと
「私は行かない。優秀な私は、いずれ国の奨学金で海外に行く事になるだろうから、別に今行く必要ないし」と言ったのだ。
母は飛行機が苦手という事で、結局私と父の2人で行く事になった。
私は英語が苦手だったが、幸い、父が大学で英文科を専攻していたので言葉には困らなかった。
アメリカに着き、実際にスラム街を歩いてみたが、とても怖くなって20分で帰ってしまった。
汚れた路、壁の落書き、家の門や窓には鉄格子が入っている。 こんな所で死ぬのか・・・こんな所で日本人1人死んだところで誰も気にしないんだろうなぁ」
結局当初の目的は果たせず、帰って来た。
姉は有名私立大学と国立大学の2つを受験し、私立大学には合格したが、国立は落ちた。 「やっぱり国立大学がいい」とのことで、私立大学を蹴って自宅浪人する事になった。 一日中姉が家に居る事になり、ますます姉との仲は悪くなっていった。
あまりの仲の悪さに両親も耐えかねて、私だけ叔母の家に預かってもらう話が持ち上がったほどだ。
あれから姉は国立大学に合格し東京に出て行った。
姉が居なくなって静かな生活を送れるようになったが、私は今でもずっと死ぬ事ばかりを考えている。 朝から晩まで会社にいる両親は事には気付いていない。 姉とのバトルも親はほとんど知らないのだ。両親も姉の事を信用しきっていたので、いつも怒られるのは私の方だった。
私には生きてる価値が無いんだよね?
お父さんお母さんごめん・・・こんな娘で・・・。
でもとりあえず私は今日も生きている・・・。