表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤目のカラス  作者: 胡蝶
眷属集合編
4/4

湿地魔境1

 「――着きました。貴方は此処から旅立つこととなります」


食事を終えたベリアスは「扉」へと案内された。


 ――背に冷汗が伝う。昨夜みた夢の光景が脳裏に浮かんだ。まさか正夢になろうとは、あのときの嫌な予感は正しかったのだ。


 アウローラが「扉」と呼んだのは小さな泉であった。中央が黄金色(こがねいろ)に発光している。炎こそ無いものの、夢の光景と(おおむ)ね同じである。


「……ここに潜るのか?」


「いいえ、()()()()潜る必要はありません。貴方は扉まで歩くだけで良いのです」


 アウローラに促され、泉へと入る。歩くだけで良い、などと簡単に言うが、暗く底の見えない泉を進む行為は不安でしかない。一歩、また一歩と進む度、靴の裏にある砂の感触に安堵する。水嵩は腰を超え、今や胸あたりになっていた。そろそろ中央かと思われたその刹那(せつな)――

地面の感触が無くなった。成程、確かに()()()()潜る必要は無い。下に向かって水流が出来ているらしく、放っておいても身体が勝手に沈んでいく。しかし、あまりに唐突だ。まだ、息も吸い込んでいない。


(溺れる………!!!)


身体を浮かせようと試みたが無駄であった。


(息が……な……!)


 筋肉が弛緩する。意識が遠のき、やがて眼前に闇が広がった。
















 ――火の爆ぜる音。冷たい風に混じって、泥の匂いがする。近くに人の気配を感じ、ゆっくりと目を開けた。


 十五、六と見える少女が此方の顔を覗き込んでいる。艶やかな長い黒髪、血色の良い頬、黒みがかった紫の瞳。美人と言って差し支えない少女が、べリタスに微笑みかける。


「よかった、目が覚めたのか」


 耳を疑った。少女の声とは間違えようのない低さ。――男の声である。


「具合はどうだ? どっか痛むとこは無いか?」


「あ、ああ大丈夫だ。アンタが助けてくれたのか?」


「おう!」


「そうか……助かった」


「いいって、いいって」


少年は人懐っこい笑みを浮かべる。ふと、懐かしさを感じたのは何故だろうか。


「いやー、驚いたぜ。舟を漕いでたら川の近くに人が倒れてるんだから」


目の前の男が、まさか自分を少女と勘違いしたなどと言う事実を知らぬ少年は、そのまま話を続けた。


「しっかし、倒れる場所が悪かったな。あの辺は特に湿ってるからよ。」


言われてみれば、髪も服も軽く湿っている。溺れて以降の記憶はないが、無事に扉を通り抜けたられたのだろうか。べリタスは辺りを見渡した。


 背の高い植物も建物も無く、視界を遮るものは何も無い。地には草原のように短い草が生えているが、多量の水分を含んでおり湿っている。どうやらこの辺りは湿地帯らしい。今は草で簡単に編まれた敷物の上に座っている為、水が染みてこないようだ。


 不意に寒風が吹き付けた。開けた場所であり視界も良いが、その分、風を遮るもの無い。寒さに身を(すく)めていると、べリタスは己の服装に違和感を覚える。


「ん……? 上着が……」


「ああ、濡れてたんで干しといたぜ。もう乾いてんだろ。」


焚き火の傍に、木で組んだ簡素な物干し竿がある。少年が掛けられていた上着を此方に寄越した。


「ほらよ」


「ああ、ありがとな。……それで此処は何処なんだ?」


「ロライゼ湿原だよ。お前、川の近くで倒れてたんだ。覚えてないか?」


べリタスは左右に首を振った。


「…そっかぁ……まだ意識が朦朧(もうろう)としてんのかね。他のことは思い出せるか? 自分の名前とか住んでた場所とかさ」


「それは大丈夫だ」


「ん、なら良かった」


少年が此方に優しい笑みを向ける。労る気持ちが心に染みた。


「……ありがとうよ」


「いいってば。礼ばっか言われんの恥ずかしいし」


べリタスは軽く笑った。


「ところで、アンタは此処で何してるんだ?」


「薬草を集めてたんだよ」


「ほう……湿原でか?」


「集めるつっても陸じゃないぞ。陸にも良いのはあるけどさ」


少年がくいと顎をしゃくる。


「水の中か。」


「そ。この湿原の水草は良い薬になるらしいんだ。だから、全種類集めて記録しとこうと思ってさ。結構な間、此処に居るんだ。」


白い歯を見せ、少年が笑う。


「そういやまだ名乗ってなかったな。おれはシュテン、薬師(くすし)をやってる。お前は?」


「べリタスだ。俺は……まあ、便利屋みたいなことをしてた」


「へえ……」


再び風が吹き付ける。焚き火が風に揺れ、小さく爆ぜた。


「べリタス、歩けるか?」


「問題ない」


「よしっ。じゃあついてこい!」


「何処に行くんだ?」


「おれの家だよ。身体、冷えてんだろ。(なん)かあったかいモンでも食わせてやるよ」


 早速、歩き出すシュテン。泥濘(ぬかるみ)に足をとられながら案内されたのは、湿原を縦断する長い川であった。此処からは舟で移動するらしい。べリタスが舟に乗り込むと、シュテンは力強く舟を漕ぎ出した。


 先程までの曇天は幻であったか。カラリ晴れた湿原にふわりと風が吹く。日光を受けた植物たちは活き活きと輝き、その間から小動物たちが顔を覗かせていた。


「いい景色だな」


「おっ、そうだろそうだろ。おれ、此処での暮らし結構気に入ってんだ」


「アンタ、此処で暮らしてるのか」


「おう」


「独りでか」


「おう! 此処には俺しか居ねえしな。こんなに景色良いんだし、誰か来ても良いのになあ。まあ辺鄙なとこだし難しいんだろうけど」


にっとシュテンが笑う。


「……寂しくはないのか。」


「――おれは何処にいても寂しいよ」


「え?」


「いいや、薬草採るのに夢中だから気にならねー」


「そうか……」


一瞬見えた寂しげな表情は何だったのだろうか。笑うシュテンに寂寞感(せきばくかん)を覚えながら、再び湿原の風景に目を向ける。


「ん? あれは……」


「おっ、気付いたか」


左前方、川から少々離れた場所に木造りの家が見える。柱によって床が高くなっており、通気性にも配慮されているようだ。湿原ならではの建て方と言える。


「あれがアンタの家か」


「おう! もともと此処に建ってたのを再利用したんだ。前に誰か住んでたのかね」


舟が川縁(かわべり)接舷(せつげん)する。


「ほら、こっちだ」


舟から降りたべリタスは、シュテンに案内されるまま再び泥濘(ぬかるみ)を進む。(ようや)く家に着いたかと思ったのも束の間(つかのま)――


「おい、随分(いた)んでるな」


遠目には分からなかったが、近くで見るとかなり傷が目立つ。獣、かなり大型のものの爪痕だ。


「な、なんでこんなことになってんだ?」


隣に立つシュテンは青ざめていたが、慌てて家に駆け込んでいった。その後をべリタスも追う。


 ――中は外より酷かった。食卓(つくえ)には外同様に獣の爪痕。寝台の布はズタズタに引き裂かれ、調理台にはこれでもかと道具が散らばっていた。


「ああああああ!! おれの薬がああああ!」


悲鳴をあげたシュテンの前には、これまた派手に荒らされた薬棚がある。薬瓶は全て割られ、採集した薬草が床に散らかっている。


「あ……ああ……折角集めったってのに……」


「ひでえな……」


この家は、全てが荒らされている。恐らく人の仕業ではないだろう。


「なあ、シュテン。この辺りには大型の獣でも居るのか」


悔し涙を浮かべるシュテンに問う。


「……大型の獣? 見たことねえ。いてもせいぜい

ヌーくらいだろうよ」


「ヌーは違うだろうが……そうか、見たことないか」


「なんだ? なんか分かったのか?」


「いや……結構な大きさの爪痕が残ってるからな。もしかしたら獣でも入ってきたのかと思ってな」


「この辺にはそんなの居ないと思うけどさ……今まで1度もこんなこと無かったし」


だが、とシュテンは続ける。


「気になるな。もし居るんなら早いとこ捕まえねえと。片付けてもまた荒らされたんじゃ堪らねえ」


「俺も手伝うぜ。夜になる前に見つけないとな」


「ああ。助かる」


()くして、湿原に隠れ潜む獣を探し出すこととなった。図らずもこれがべリタスの状況を動かす転機となる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ