尖塔に誘われて3
先程まで居た森とは明らかに違う光景である。辺りには木々が生い茂り、昼であるのに陽も差さない。そして、なにより静かである。住まうもの全てが息を潜めているかの様に。
好奇心と使命感の為に中へと踏み込んだが、混乱するばかりである。あの小さな塔の中にこの様な森があるなど想像出来よう筈もない。金銀財宝を手に入れたい、という欲も多少はあった。しかし、ここには金のきの字も無い。
奇妙な森を目的も無しに進んでいくほどの無鉄砲さを持ち合わせぬベリタスは、この場で引き返そうとする。が、
――扉が無い。先程までシルド近郊の森と繋がっていた筈なのだが。
「おいおい……! 帰れないと困るんだよ!!」
慌てふためき扉を探す。草の根掻き分け、必死になるも虚しく、見つかりはしなかった。どうするべきかと、その場にドサリと座り込む。
通常このような所で迷子など死活問題だが、ベリタスはこういった状況で生き抜くための術を身につけていた。断っておくが「こういった状況」とは「謎の魔塔に迷い込み進退窮まった状況」という意味ではなく、「人里離れた場所で一人で生きていかなくてはならない状況」である。
義父は様々な知識や技術を授けてくれた。火の起こし方や、食用の木の実の見分け方、星から方角を読む方法などがそれにあたる。ふと空を仰ぎ見る。背の高い木々が葉を広げ、頭上を覆い隠していた。これでは星が読めない。陽も碌に差さないような所なのだから当然であった。
現在地すら分からない。この様な訳の分からぬ場所で生きていくなど………と、溜息をつく前に事は起こった。
全身が何かに引っ張られたのだ。気がつけば、自らの意志とは関係なく身体が動いている。身体の主導権を誰かに奪われたらしい。べリタス自身は金縛りにあったかの如く動けずにいた。
(おい待て、どこに行く気だ!?)
勢いよく立ち上がったかと思うと、そのまま走り出した。生い茂る草木を掻き分け掻き分け突き進む。
どのくらい走っただろう。脚の感覚も麻痺し始めた頃。
「どわっ……!?」
突如、金縛りを解除され転びかける。ある程度開けた場所までやってきた。身体の自由を取り戻せたことに安堵しつつ、辺りを見渡す。この場所に不似合いな石造りの家がひとつあるのを発見した。煙突からは煙が立ち昇り、家主の在宅を知らせている。
人の気配に警戒すべきか安堵すべきか。およそ人間の住む環境でないこの場所に家がある異質さに首を捻る。
(助けを求めるか? いや、簡単に手を貸してくれるとは限らない。せめてここが何処だか分かればな……。)
べリタスとて見も知らぬ場所で見も知らぬ人間宅を訪問することに抵抗がない訳では無い。しかし、状況を考えれば訪問しないという選択肢はなかった。
(話が通じると良いんだが。)
突然見も知らぬ男が現れれば多少なりとも驚かれることだろう、などという考えは杞憂に終わった。――家主の方から現れたためである。
「よく来ましたね。早くお入りなさい。」
白みがかった長い金髪、手には身の丈を超える杖。小柄で穏やかな声音の女が手招いている。
「え………あ、ああ。」
戸惑いながらも言われるがままに入った家は、香ばし香りで満ちていた。テーブルの上には幾つもの料理。考えてみれば朝食以来まともな食事を摂っていない。急に空腹というものを思い出し、腹が鳴り始めた。
「御食べなさい。貴方の為に用意したものです。」
奇妙な発言をする女に、此方から問いを投げる。
「俺の為って……さっき来たばかりなんだが。アンタ、俺が此処に来るって分かってたのか?」
女はゆったりと笑みを浮かべる。
「無論です。貴方が、今日、この刻に訪れたのは宿命によるもの。神の眷属として課された使命を全うするためです。」
宿命、神、使命。疲弊しきった頭を回転させ、女の言葉を咀嚼しようとする。女は微笑んだまま、椅子を引いた。
「食事をしながら説明しましょう。さあ、此方へ。」
奇妙な味であった。食卓に並ぶのは、野草のスープや野草の香草焼きといったもので、肉や魚は一切ない。食用の植物に関してはある程度の知識を持ち合わせるべリタスでも、目にした事の無いものばかりであった。
空腹が徐々に満たされていく感覚を味わいながら、話を切り出す。説明しようなどと言っておきながら、女の方から話す気は無いと見えた。
「まずは……礼を言う。食事に関してな。そういえばアンタ、名前は?」
「アウローラです。礼は必要ありません。貴方を此処まで導いたのは私ですから。」
「使命がどうとかっていうやつか。それで、ここは何処なんだ?何故俺を呼んだ? 」
べリタスの質問を前に、アウローラは食事の手を止めた。
「ひとつずつ答えていきましょう。まず此処は世界の狭間です。」
「世界の狭間?」
「ええ。貴方の住んでいた世界と、別の世界の間にある、謂わば隙間の世界なのです。そして私には、それらの世界を繋ぐ『扉』を護る役目が課されています。」
世界の狭間、こことは別世界が存在する―― 突拍子もない話だが、自分の身に起こった事を考えれば分からぬ話でもない。まだ混乱してはいるが、今更である。
「神は扉番である私に予言なさいました。宿命により、此の地に眷属が訪れるであろう、と。全てはあのお方の宿願を果たす為、御告げ通りに現れた貴方を扉まで導いたのです。」
これが二つ目の問いに対する答えのようだが、納得いくどころか却って質問が増えた。
「ちょっと待て。さっきから言ってる神ってのは何だ。眷属ってのは俺か?」
「……貴方は、ナファドーラの伝承をご存知ですか。」
「ああ。流石にそれくらいは知っている。」
太古の昔、創造神アファールによって形成された此の世界には、多くの生命が息づいていた。万物を愛するアファールにより、世に遍く生命の全てが幸福を享受していたという。
しかし、やがて年月が経ち、アファール神の命は尽きる。人々は大いに嘆き悲しんだという。しかし、凶事はこれだけで終わらない。――天空より邪神が舞い降りたのだ。大地は穢され、星々は輝きを失い、人々は神の奴隷へと成り下がった。誰もが世界の終焉を覚悟したその時――
天空より一筋の光が差した。艶やかな漆黒の翼。燃え盛る炎にも負けぬ赤い瞳。突如として現れたその神は、瞬く間に邪神を打ち砕いた。漆黒き神の声は、人々に自由と安息を与え、穢された大地を浄化し、星々に光を宿したという――
人々は感謝と敬意を込め、彼の神を「赤目のカラス」と呼んだ。
――という話だ。漆黒き神というのはナファドーラのことであり「赤目のカラス」はナファドーラの別名である。幼子でも知っている有名な伝承であり「赤目のカラス」は現在でも信仰の対象となっている。慶事の際には黒が用いられるなど、文化面に及ぼした影響も大きい。
***
断っておくが、此の世界のカラスに対する認識は、読者諸君の世界とは大きく異なっている。存在自体が希少な為、見かけることは殆どない。神の使いとして崇められ、姿を見たものには幸福が訪れるとされている。
***
「神というのはナファドーラ様に他なりません。伝承に残る戦いの後、あのお方は密かに此の地を見守り続けていたのです。」
「此の地ってのは、俺がいた世界のことか?」
「加護が届く限りの全ての世界です。ナファドーラ様は仰いました。再び世界に災いが近づいていると。災いを退けるには力が必要だとも。しかし今の力では到底足りない。そこで残る力を振り絞り、人の子に眷属としての力をお与えになりました。それが貴方です。」
アウローラが立ち上がる。真っ直ぐに此方を見据え、言葉を紡いだ。
「貴方には重大な使命があります。宿願を果たすのです。彼の神――赤目のカラスの復活を。貴方は世界を救う、勇者たる存在です。」
傷が疼く。未だ味わったことない奇妙な感覚が全身を支配した。神の眷属、世界を救う、など突拍子もない話ばかりで到底理解は追いつかない。しかし、その話には何か惹き付けるものがあった。大いなる力とでも言おうか。それらがべリタスを捉えて揺さぶったのだ。
頭を垂れ、返答する。
「謹んで拝命しよう。」
と。
2話が短かった分、少々長くなりました。
ご報告。3話までは「不定期に更新」となっていましたが、今後は「隔週更新」への切り替えを考えています。具体的に言いますと5話以降になります。4話に関しましては、近日中に公開できるかと思いますので、今しばらくお待ちください。