もふもふ秋田犬 紅芋編
夏から秋へと、季節がだんだんと変わりゆく頃。
うっかりTシャツ一枚で過ごそうものなら凍えてしまうが、実はそれはフェイントで、ショッピングモールとかに厚着していくと超暑かったりする。
「ワフッ……」
私が少し早めのコタツの中でそんな事を考えていると、愛犬のフワワが突然腹の上へと顎乗せしてきた。
「どうしたでござる。サンポに行くでござるか?」
「フンッ……」
ちなみにフワワは秋田犬。
もふもふ加減が半端ではない。サモエドとはまた違った、ザ・モフモフワールドを有している。
「よし、じゃあ実験してみるか……今日は少し肌寒いでござる。こんな日にTシャツ一枚で過ごしてるアンポンタンを癒しつつ、どんな反応をするか見てみるでござるよ」
「ワフッ」
そんなこんなで私とフワワは散歩へと。
ちなみに私は歴とした女子大生である。
時代劇ファンの。
※
フワワのリードを持ち、近所の公園までとりあえず来てみる。
今日は想像以上に肌寒い。何せ私はロングスカートにセーターだ。しかもニット帽をかぶっている。
完全に真冬! というスタイルだが、要はそれくらいに肌寒いということだ。
「フンッ」
「むむ、こんな寒いのに……あのオッチャンは勇敢でござるな。まさか……あんな恰好で外に出てるなんて」
公園のベンチ。
そこには、ネクタイをハチマキのように頭に巻いたオッチャンが一人。
何故かズボンは履いていない。トランクスをさらけ出し、上着はカッターシャツのみ。
「ヒック……どうせ儂なんて……」
なんだか物凄くメンドクサイ空気を感じる。
よし、ここはスルーしよう。
「ワフッ!」
「フワワ? どうしたでござる、いくでござるよ」
「クゥーン、フンッ」
「むむっ、あのオッチャンを癒してやりたいと? お主……なんて心優しい」
「ワンッ」
「でもなんか面倒くさい雰囲気がプンプンとするでござる。ほら、いくでござる」
「ワン!」
「どうしても癒してやりたいと? なら私に心意気を見せるでござるよ」
フワワは私の言葉に頷き、そっと尻尾を振りつつ腰へと抱き着いてくる。
「ふむ、フワワ、私を誘惑しようとしているでござるか? しかし甘い……もうフワワのモフモフ・ワールドを毎日堪能している私には通じないでござるよ」
「クゥーン……」
だがその時、フワワは非常に……非常に悲しそうな瞳で見つめてくる!
ぐっ……犬のくせに……なぜそんな目が出来る!
「クゥーン……《訳:悲しい人……あのオジサンを癒してあげたいとは思わないのですか? 貴方の心は冷え切ったアフタヌーンティーのようです。アイスティーとして楽しめる事に関しては評価しますが、それでも貴方の心はとても寂しく、オーストラリアのカンガルー達もビックリして逃げ出す事でしょう。さあ、己を開放するのです。そしてあのオジサンを癒す為、私のリードを解き放つのです!》」
なんて長い翻訳なんだ。ちなみに大半私の妄想だ。
「仕方ないでござるな……モフモフさせるでござるよ」
私はフワワの首から後頭部にかけて、モッフモフを堪能しながら撫で上げる。
「ウフフ……フワワ……フワフッワでござるな……」
セーターに毛が付きまくるが気にしない。
あとでまたブラッシングしてやらねば。
「よし、ではフワワ、おっちゃんを癒してくるでござるよ」
「ワフッ……」
私はリードを手放し、フワワを開放する。
そしてオッチャンへと突っ込む一匹の秋田犬。
私はこの時、自分が何をしたのか気づいていなかった。
フワワの……あのオッチャンを癒したい、という心の叫びで胸が一杯だったのだ。
秋田犬は日本六犬種の内、唯一の大型犬。
そんな犬がリードを引きずりながら突っ込んできたら……
「ん? うあぁああぁぁ!」
まあ、普通の人ならああなるわな。
まるで子熊に襲われたかの如く、おっちゃんはベンチから転げ落ちた。
フワワは転げ落ちたオッチャンの腹へとそのままダイブ!
まるでタイの大仏のように、おっちゃんの腹を枕にして寝そべってみせた!
「ふぅっぉ! こ、この犬は……フワフワ、フッワフワ……」
どうやら秋田犬の魅力に、おっちゃんは心を打ちぬかれたようだ。
むふふ、そのまま自由の女神のようにポーズを決めながら喜んでもいいのよ。
「っく……うぉぉおっぉお!」
しかし私の予想に反して、おっちゃんはいきなり大声で泣き始めた!
フワワもその反応にビックリし、怯えるように私の元へと戻ってくる。
「ふむ……」
私はそっとメモを出し……サラサラと今の結果を記録する。
『青空の下でトランクスをさらけ出しているオッチャンの反応は……号泣』
さて、どうしようか。
公園のベンチでトランクスをさらけ出しているオッサンは今も涙を流し続けている。
あれが美少女だったら男は誰でも駆け寄るだろう。
だが今は警察官が駆け寄ってきそうな勢いだ。
「仕方ない、心優しい私が話だけでも聞いてやろう。めんどいけど」
というかフワワのリードを離してしまった私にも責任はある。たぶん。
「トランクスおじさん、どうしたでござる? なんで泣いているでござる」
私はトランクスおじさんへと近づき話しかける。おじさんは涙をぬぐいながら私を見て……
「こ、これはこれは……みっともない姿をお見せしました……」
うむ。まさしくその通りだ。
いい歳したオッサンがトランクス姿で号泣……誰がどう見てもみっともない。
トランクスおじさんはベンチへと座りなおすと、私に隣に座るよう促してくる。
私は丁寧にお断りしつつ、そのまま立ち去ろうと……
「ちょっと待たれよ! 話を聞いてくれるのでは?!」
「ならせめてズボン履け。なんでそんな恰好でござるか」
私の尤もな指摘に、トランクスおじさんは項垂れながら
「実は……会社の飲み会で朝帰りしてしまって……」
あぁ、それで奥さんに怒られながら追い出されたでござるな。
それは自業自得というもの。
「違うんだ! 私は必至に妻に謝った。それでなんとか妻は許してくれたんだ。でも……」
でも?
「反抗期の娘に、酒臭いと罵られ……ズボンを奪われネクタイを頭に巻かれてしまったんだ」
なるほど。中々エキセントリックな娘ですな。
じゃあそういう事で。
「あぁ! 待って! お願いがある! 娘を宥めてくれないだろうか。娘は犬が大好きなんだ」
むむ、つまり……フワワに娘さんを癒してもらいつつ、説得しろという事か。
しかし父親のズボンを奪って頭にネクタイを巻くような面白い娘の説得……出来るだろうか。
「お願いだ! このままでは家に帰れない!」
仕方ないな……まあ乗りかかった舟だ。その願い、叶えて……
「お父さん! 何してるの!」
その時、公園に娘っぽい人が現れた!
高校の制服を着ている女の子。
むむ、なんて可愛らしい。このオッサンの遺伝子は何処に行ったんだ。
「そんな姿で……こんなところで……恥ずかしい父親ね!」
いや、こんな姿にしたのは君だろうに。
なかなかドSな娘さんだ。
さて、では説得の前に……フワワに癒してもらおう。
「フワワ、娘さんを癒してあげるでござる」
「ワフッ」
そのままフワワは娘さんに近づき……「クゥーン……」と可愛らしい声を!
おお! いいぞ、そのまま娘さんにナデナデさせるのだ!
「ワンコ……犬……イッヌ……」
しかしその時、娘さんは私達の予想を遥かな斜め横の行動に。
フワワの頭に、どこから出したのかサンタ帽子を被せ、黒縁メガネを掛けさせた!
え、何してんの……この子。
「ウフフ……サンタ犬……」
いえ、その子は秋田犬です。
というか私のフワワになんて暴挙を!
ここはビシっと言ってやらねば!
「もしもし娘さん。私の相棒に何をしているのでござる?」
「ハッ! ごめんなさい……実は私、可愛い犬を見るとサンタさんにしたいという衝動に駆られるんです」
成程、気持ちは分る……いや、ごめん、全く分からん。
「それはともかく……何故にお父さんのズボンを奪い、ネクタイを頭に巻いたのでござる?」
「……それには深い事情があるんです。聞いてくれますか?」
いや、超めんどい。
帰る。
「あぁ! 待って! そこまで深くないです! 聞いてください!」
ええい、親子そろってめんどい。
トランクスおじさんの遺伝子は性格の方に反映されていたのか。
「それで……事情とは何でござる」
「実は……飲み会の朝帰りの父親って、大抵こんな格好していると思いません?」
……うん……まあ……そうか?
「で?」
「で……って?」
いや、終わり?
「はい」
次の瞬間、私ははた迷惑な親子へとフワワをけしかけ、モフモフ・ワールドへ突き落した。
※
公園でめんどい親子を成敗した私とフワワ。
次の目的地は役所前のパン屋さん。いつも朝から夕方にかけて、ここにワゴンカーでパンを売りに来るお兄さんが居るのだ。
「ごめんくださいでござる」
「あぁ、おはよう。フワワちゃんも……って、なにそのサンタ帽子と眼鏡」
あぁ! あの娘に装備されたのがそのままだった!
まあ大丈夫かしら……フワワもそこまで嫌がって無いし……眼鏡には度も入ってないみたいだし……
「まあ、ちょっと面白い親子に絡まれて……」
「そ、そうなんだ。今日大学は?」
今日は休みでござるよ。
お兄さんは毎日大変でござるな。
「学生さんが買って行ってくれるからね。君も毎日来てくれるし」
……うん。
それは置いといて!
今日のオススメは?
「今日は……紅芋パンなんてどう? メロンパン風にしてみたんだけど」
ふぉぉぉぉ、私がメロンパン好きだからでござるか?
外はカリカリ、中はもふもふ……
「じゃあそれ買うでござる……っ、あとフワワのオヤツも貰っていいでござるか?」
「毎度ありがとう。フワワちゃんのオヤツね、ちょっと待ってね」
そのままお兄さんは紅芋パンを紙袋に包み、そしてフワワにオヤツを。
「フワワちゃん、はい、オヤツだよー」
お兄さんはフワワの前に来ると、フワワ専用に作ってくれた犬用のパンを!
フワワも大喜びだ!
「ワフッ」
「あはは、そんなに手舐められるとくすぐったいよ」
フワワは犬用の小さなパンを頬張ると、そのままお兄さんの手を舐めまわす!
なんという羨ましい……いや、微笑ましい。
「お兄さん……毎日フワワの分まで作ってくれて……大変じゃないでござる?」
「そんな事ないよ。愛犬用のパンも最近売り込もうとしててね。フワワちゃんが味見してくれて助かってるから」
ふむぅ。まあ、フワワは舌が妙にお高いというか……不味いと思ったらすぐに吐き出してしまう。
過去にお兄さんの作ったパンも吐き出した事があり、その度にいたたまれない空気に……
「今回のは成功かな……ありがとうね、フワワちゃん」
「ワフッ!」
フフ、美味しそうに食べたでござるな、フワワ。
「……じゃあまた明日……来てくれる?」
「は、はい……また明日……」
うぅ、今日の私の癒しタイムは終わってしまった。
まあいい、家で紅芋パン……ゆっくり味わって……
「ワフッ!」
「むむ、フワワ、どうしたでござるか。行くでござるよ」
「クゥーン……」
どうしたでござる。
そんな店番みたいにお座りして。
「ぁ、見て見て! サンタさんみたいな可愛い犬が店番してるー!」
その時、登校途中の学生がフワワを見つけてテンション高めに近づいてきた!
私は……どうしよう……フワワの巨大な影に隠れるしかない!
ササっと忍者の如く、フワワの後ろへと縮こまる私。
女子高生らしき二人組は私の存在には気づかず、そのままワゴンパン屋へと!
「いらっしゃい。パン食べる?」
「え、いいんですか? タダ?」
「どうぞどうぞ、味見してって」
女子高生へと無料で小さなパンを分け与えるお兄さん。
なんて心優しい。私も初めてこのパン屋に来た時……無料で食べさせて貰ったっけ……
あの時は盛大に勘違いして……もしかしてこのお兄さん、私に一目惚れしたんじゃないかって……
「美味しいーっ、あの、この紅芋パンくださいっ」
「ぁ、私も私も!」
女子高生二人組はお兄さんのパンが気に入ってしまったようだ。
むむぅ……なんだろう、この気持ちは……
喜ばしい事なのに、なんだか素直に喜べない……
「ありがとうございましたー」
パンを購入した女子高生二人組は、お兄さんに手を振りつつ立ち去っていく。
「ねえ、あの犬の後ろの人……なんだろうね」
「さあ……ストーカーじゃない?」
あぁ! 気づかれてた!
っていうかストーカーじゃない! 私は……このパン屋のファン……
なんだろう、自分で言ってて不安になってきた。
私……ストーカーじゃないよね……
「おーい、いつまでそこに隠れてるの?」
「ん? ふぉぉぉ!」
お兄さんが私に顔を寄せて……っていうか近い! 近いでござる!
フワワの背中へと顔を突っ込み、チラッチラお兄さんを見つめる私。
むぅ……フワワの背中……犬用シャンプーの匂いがする……。
「……ねえ、ちょっと紅芋パン……食べてみてくれない?」
「ぁ、はい……」
そうだ、冷めてしまう前に食べてみよう。
暖かい内に……
「ワフっ」
「むむ、フワワはダメでござるよ。これは私のでござる」
っていうか君はさっき専用のオヤツ食べただろう。
この食いしん坊め!
「……いただきます」
フワワとお兄さんが見守られながら、紅芋パンを一口齧る。
むむ、甘い……甘いでござる。
メロンパンみたいに、外はカリカリ……中はモフモフ……
うむぅ、美味しい……
と、その時……お兄さんはフワワの背中に手をおきつつ、私に顔をさらに寄せてくる!
こ、これは……犬ドン!
「あ、あの……お兄さん……? どうしたでござる?」
「そのパン……俺の事が好きなる成分が含まれてるから。どう? 効いてきた?」
な、なにぃ!
そんな成分が……あぁ、やぱい……それはヤバい……
「効いてきた……ような……」
「そう……」
そのまま、お兄さんは私の顎へ人差し指を添えながら、親指で唇を触ってくる。
「美味しい? 紅芋パン」
「はぃ……美味しいでござる……」
「じゃあ……味見させて」
えっ、お兄さん、自分で作っといて味見してないの……?
って……
「ワフッ……」
フワワが見守る中、唇を重ね合わせる私達……。
お兄さんの唇を通じて……再び口の中に広がる甘い味。
初めてのキスは……紅芋味……
「うん、美味しい……」
お兄さんはそのままワゴンカーの店内へと。
私は放心状態のまま、もう一口……紅芋パンを口に入れ、その味を噛みしめる。
この味が……初めてのキスの味……
紅芋パンの……この甘さが……
「お、お兄さん……」
私は再びワゴンカーの前へと立ち、追加の紅芋パンを注文。
「毎度ありがとう、で? まだ何か言いたそうな顔してるけど……」
「……もっかい……」
そのまま私は、再びキスを要求。
サンタの恰好をした私の愛犬の……少し早めのプレゼント。
それは……紅芋味でした。
【この作品は 遥彼方様主催 《「紅の秋」企画 》参加作品です】